どんなゲームなのか知るにはデモとプレイ動画をみるのが一番良いと思っているけれども、そのなかでたまたま見かけるものがあって、スーパーファミコンで大人気だった「ファイナルファンタジー5」(1992、スクウェア)。これはわたしも発売されてすぐ友達とすぐ買いに行き、夢中でやりこんでクリアしたものだった。
でも、この動画をみると、見知らぬ敵がいる。それもかなり強いが、プレイヤーもそうとう強化していて倒してしまうけれど。あれと思っているとどうもこれはカセットからデータを吸い出したうえ、改造を施しているものだった。これをハックロムや非公式作品といったりする。ファンサイトまである。そこまでして好きなんだなあと感心しながら見ていたけれども。
これらはゲームにおけるパロディといえるかもしれない。前に、表象文化論学会で石谷治寛さんがジェリコーの絵をもとにショニバレがパロディ化するという発表をされていた。わたしはここで石谷さんに「小林秀雄は、このジェリコーの絵が乗った本は売れる、なぜならそれは悲惨だからだと書いていた。それで、こんな悲惨な物語を歴史的にパロディ化していくプロセスはどうなっているのか?」と尋ねたら、「わからない」という回答を得たとき、このプロセスってよく考えていくべきなんじゃないかと思ったことがあった。リンダ・ハッチオン『パロディの理論』といった基本文献をもっとひきつけるなど。
ハックロムって「ポン」「スペースインベーダー」みたいに人気がありすぎてそれに乗っかかって儲けようとするものもあるよね。でも、そうじゃない別の意味で、ハックする、パロディするためにゲームのなかにアクセスしてプログラムをいじり、プレイヤーが楽しむ。それってやっぱり、このゲームがプログラム上いじりやすいというのがあるのかな。現在のゲームはデータが多すぎて、あるいはマシンパワーが必要だったりしてなかなかできないものだろうか。
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