東京国立近代美術館「映画をめぐる美術 ― マルセル・ブロータースから始める」をみる。真っ黒なカーテンが通路を覆うのは、デヴィッド・リンチ「ツイン・ピークス」を思わせる。その先には光があって、何かが動いている。ムービーや写真である。
今日はこのうち1つ、アンリ・サラ《インテルヴィスタ》をとりあげる。この作品は、サラの母が政治的な活動をしていたときのヴィデオフィルムを発見し、母にみせる。それには母へのインタビューもあるのだが、音声がなく、何を言っているのかわからない。母は自分が何を言っているのか知りたいという。そこで、サラはインタビュアーやカメラマンに会い、母のインタビューの背景にあるものを探っていく。
ここで、サラは聾学校に行き、聾者から読唇によって母が何を言っているのかを教えてもらうのだけれども、この聾学校、子供たちが使っている言葉は手話というよりは、アルバニア語の指文字を覚えて発音を学んでいるようだ。指文字の一覧表が一瞬、カメラにうつるけれども、アルファベットじゃないし、フランス手話系統でもなく、なにか独特の体系をもっているようにみえた。アルバニアはマケドニアの西、アドリア海の東にある国だけれど、もしこの国がなくなったら、聾者は何を話すのだろうか。かすかに映る指文字の一覧表をみながら思った。
サラは聾者に母のインタビューをみせ、何を言っているのかを教えてもらうけれど、サラはその正しさを確かめることはできない。聾者の読取りが間違っているかもしれないから。字幕をみた母は「わたしはこんなことを言っていない」と憤慨した顔をみせる。でも、サラは構わず、読唇に基づく字幕は正しいと信じているからか「ほら、みてよ」と母を促している。あれは、恐ろしかったな。
恐ろしいのは、わたしも同じことをしていることを思い出したからだった。たとえば、テレビで言っていたことがわからずに無邪気に家族に「ねえ、何て言っていたの?」ときいたりする。家族は「何々って言っていたよ」と教えてくれる。耳が聞こえるから、できるんだよね、もちろん。そのとき、わたしは家族 ― 耳の聞こえるひとたちの体を使っている。そして、わたしは「何々って言っていたよ」という声そのものを確かめることはできない。
サラはわたしのこの思い出の逆のプロセスを使って、聾者の身体を「使っている」。耳がきこえないかれらが生きていくための方法として、相手の唇を読むということを教えられ、それをもとにして社会のなかにとけこもうと、とけこみきれずにいる現状があるなかで、サラが母の声を復元することの物理的な不可能さ(録音テープがないこと)を感じたときに、聾学校に行くという行為をとる。
繰り返しになるけど、わたしが、耳のきこえる人たちに「すみません、ちょっと電話をお願いしてもいいですか」とたずねるような行為。電話してもらえても、そのこと自体を確かめることはできない。
けっして、確かめることができないという意味で軌道を同一にしていた。
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