筒井茅乃とヘレン・ケラー

Posted on 2018/08/09

今日は8月9日。
アメリカのボストンにあるパーキンス盲学校のアーカイヴスにはヘレン・ケラー宛への手紙が多数デジタル化されているのですが、その中にこんな手紙がある。
まさに、今日読むべきものだ。

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ヘレン、ケラー先生
おげんきでヨーロッパからおかえりになりましたか?先生が私のうちへおいでになって、私の小さい手をにぎってやさしくなぐさめて下さったのは一昨年の秋で、コスモスのさいているときでした。私は大きくなりました。お父さんの本は点字になって出版されました。うちへ点字の手紙がきます。目のみえない人のためによくしてあげたいと思います。このごろ、チヨウセンでおそろしい事が起っています。それが大せんそうにならないようにと私たちは毎日毎日おいのりしています。これは私が見た原子ばくだんの雲です。それから五年たちました。
あのときのおそろしさは忘れません。
どうかもうこんな恐ろしいものを使わないようにといのっています。こんな平和シールを作っています。

一九五〇年七月十日
長崎市上野町三七三
永井かやの
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この手紙はネッラ・ブラッディ・へニーという、アン・サリヴァンについて稀有な伝記を書いた女性のコレクションに含まれているもの。こちらで見ることができる(Nella Braddy Henney Collection, Box 10)。ヘレンに手紙を書いた永井かやのさんは永井隆博士の二女、筒井茅乃(1941-2008)さんのこと。『娘よ、ここが長崎です』という著作があり、筒井さんが原爆について証言した映像はこちら。

永井隆の本が点字になったことは知らなかったが、おそらく『この子を残して』のことだろう。
ところで、わたしは、恥ずべきことを告白しなければならない。手紙の右側には絵が描いてあって、ピンク色に湧き上がる光と青い空。黄色とヴィヴィッドなグリーンが差していて、美しさすら感じさせる。わたしが手紙を読まずに絵を先に見れば、大空に大きな花が咲いたのかと思うにちがいない。しかし、これは紛れもなく原爆なのだ。命を奪っただけでなく、けっして終わることのない歴史そのものの恐怖なのだ。この絵に一瞬でも美しさを感じてしまったわたしは、原爆の恐ろしさを本当は認識していなかったのではないか。あってはいけないことだ。ならば、この手紙によって原爆の恐ろしさを認識できなかったという事実を決して忘れてはならない。

 

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