セライオ《プシュケーの物語》について

ヤコポ・デル・セライオ《プシュケーの物語》(1490年頃、ボストン美術館)について記録しておきたい。セライオの生没年は1441–1493というが、確定していないそう。もしそうであれば、15世紀に活躍したフィレンツェの画家とまずは覚えておこう。むろんこういう人いっぱいいるけども。セライオのこの絵はもともと家具の一部だったらしい。横に細長い家具だったと想像される。

さて、この絵は1490年頃とされる。日本でいえば、足利義政の銀閣寺ができたころ(1489年)と覚えておけばよい。それでこれをみると、ぱっとくるのはボッティチェッリの影響が見て取れるということ。それは女性の身体表現と衣であるけれども。衣服や建築の装飾をみると、金が最後に塗られているせいか、截金のような効果を出しているのがわかる。筆を左右に動かすことでなされる樹木の表現がおもしろい。

白い衣をまとっているのが、プシュケー。右にプシュケーを含めて女性三人で話し合っているシーンがあるけれど、三姉妹と考えられるだろう。プシュケーの顔の向きからすれば、左から右に話が進行していることを読み取る人が多いかもしれない。異時同図法だね。

それで面白いというほどでもないけれども、ヘイドン・ホワイト『物語について』のなかに「ねじ曲げられた話」という論文がある。書いたのはかのネルソン・グッドマン。この論文にセライオの絵が取り上げられているが、グッドマンによると、一番最初の出来事は画面の左端に描かれているが、本当はそうではないかもしれないという。つまり、セライオは順序をまったく逆にして、右側から描いて物語を逆向きに語ろうとしたかもしれないという。
グッドマンはこう書く。

「最後の出来事を最初に、つまり画面の左端に描いたのかもしれないし、あるいは画家は、一つ一つの場面の配置は変えずにその順序をまったく逆にして、物語を逆向きに語ろうとしたのかもしれない。まったく違うことになるのは絵全体を逆にしたときである——その結果、語りが右から左に進むが、語りの順序と出来事生起の順序の調和は影響を受けないので、物語はやはり逆向きではなく始めから終りの順で語られるのである。」

これだけではよくわからないかもしれないが、グッドマンが言わんとしているのは、プシュケーの物語が語られる順番(語り)と、画家が描く順番(出来事生起)は必ずしも合致しているわけではないのだということ。グッドマンは絵、物語、画家の時間的関係についてに考えているわけです。

なんか講義でしゃべっているみたいな文章になってしまったな・・・・。こんなふうに話すことが多い。


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