ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400 – 1464)による、「若い女性の肖像」(1430頃, Gemäldegalerie, Berlin)というもの。どちらも同じ絵だけれども違うものにみえる。具体的には左のほうが白みを帯びていて、右は経年変化のような黄ばみがみえるようにもみえる。撮影条件、パソコン上の処理、修復の有無によってこうも違うものになってしまっているのだろう。でも、「どちらが正しいの?」ではなくて、この違いそのものをみることがとても大切で、たとえば資料をみるときやごはんを食べるときでさえ、そういうことがあると思う。
例えば、わたしはよく行くカフェがあって、それは1人でしか行かないようにしているれど、すごくおいしいケーキがあるんですよね。それをカプチーノと一緒に頼むのがささやかな楽しみになっている。ところが、ある日それは普段と違った。生地がほんのすこし湿っぽかったのだ。それで帰り際に「今日のケーキ、生地がいつものと違ってパリパリしていなかったね。」とスタッフのお姉さんに伝えたら「そうなんですか?!厨房に伝えておきます!」と返してくれた。
資料だって、デジタルでみるものと実際にパラパラとめくるものは違う。とくに、明治の印刷物はザラザラした紙に活版印刷による凹凸が混じっていて、文字そのものがそこにあることがわかるように・・・。
きりがないけれども、同じようにみえるものが違ったものになっている。モナリザだって毎日「同じはず」だなんてない。絵もまた何かの条件でこんなに色合いが違ってしまっている。
わたしはあいにく、これを見た事がないのでどう見えるのかはわからないけれど、しかし目の前にあるものが絶対だと信じないことだな。じゃあ、何を信じたらいいのと聞かれたらこう答えようではないか。変わり続けることを信じろ、と。なあに、怖くないよ。
2012年 7月 21日(土) 21時54分48秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
亥の刻 二つ
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