立命館大学先端総合学術研究科での講演について

Posted on 2013/01/14

1、はじめに
立命館大学にて講演をしてきました。テーマは「明治10年代の京都盲唖院の発展と縮小に関する諸様相」でした。
ねらいは、京都盲唖院に関するトピックをしぼって話をしてほしいということで、京都ということもありますし、現地の方ならば誰もが知る事項についてお話ししようと考えていました。そこで取り上げたのは、

1、明治13年7月に明治天皇が京都盲唖院の授業を天覧したことについて
2、琵琶湖疏水の計画によって、京都盲唖院の経営が厳しくなったことについて

でした。また、参加される方々は院生が中心と思われるため、研究の手法についても知りたいという希望があり、それについても内容を盛り込むようにしました。

ここではどのように準備をし、どのように発表をしたのか、またディスカッションではどのような話題があったのかについて記録しておきたいと思います。

2、準備と発表について
まず、発表の条件ですが、ふだんの学会などと違って発表時間について明確な指定はありませんでした。しかし、わたしは90分の講義をしていることもあり、あまり長々しくならないよう、90分以内に抑えられるように準備をしました。

準備については、スライドを作りながら考えるひともいますし、読み上げ原稿から考えるひともいますが、わたしはまずどういう結論をもっていくかという点を設定しましたので、そこから遡上していくかたちで準備をしました。

1、スライドに用いるイメージの選定、言及する事項の抽出
2、読み上げる原稿のラフスケッチ(こんなふうに話をしよう・・・と書き出す)
3、1と2をもとにしてスライドを作成。あるいはイメージの作成(図表など)
4、 スライドをもとにしてレジュメの作成。

これがわたしの方法になります。読み上げ原稿は作成するのですが、その場その場の様子をみながら進めるので、じつは読み上げは全くしていません。
Keynoteにあるノートにもあまり目を落とさず、結局あまりみないのです。わたしが聾者だから、というのもあるのだと思うのですが、わたしは手話で発表をするという性質上、周囲だけでなく手話通訳にも注意しなければならないため、常に原稿やパソコンの画面を見ながら手話をするのが難しいのです。耳の聞こえる人ならば、原稿に目を落としながら口をあけて発表をすることができるのでしょうが、わたしの場合、視線はつねに前を向いていなければいけません。原稿をみている余裕がありません。

なので、必ず言及するところは読み上げ原稿なり、レジュメに記述しますが、そのまま読み上げることはしておらず、暗記とアドリブになります。

スライドでは、冒頭と各セクションで「ここではこういうことを話します」とまず結論をお伝えするように心がけました。

また、「発表します」ということを引用したいとおもう史料所蔵機関に伝えておく必要があります。これは成果をご覧頂きたいからです。

3、ディスカッションについて
発表自体は80分程度で終わり、休憩後に90分ほどディスカッションを行いましたが、たくさんのご質問をいただきました。具体的には以下のようになります。

基本事項について:
1、京都盲唖院が分離した時期について、その理由について。
2、京都盲唖院の既往研究について、どのように評価しているのかについて。

発表内容について:
1、祇園の舞妓さんたちによる慈善活動との関連について
2、槇村・北垣知事の時代における京都府「勧業課」について、より具体的な内容について、また「勧業」についてどう考えているのかについて
3、京都盲唖院と博覧会の関連性を示す史料について
4、京都盲唖院の北敷地が民有地となっていることの疑問について
5、京都盲唖院における授業料徴収システムについて
6、京都盲唖院に入学する生徒の貧富について

とくに司会の川端美季さんからは「生徒がどういった経緯で京都盲唖院に入学したのか」という質問がありました。これはわたしが常々気にしていることでもあるのですが、入学の経緯を明確に示す史料が乏しく、難しい問題です。しかし、郡部よりの文書で学齢期にある盲や唖の子供達の調査をしたものがありますから、京都に関してだけでいえば、このようなやり取りで入学があったと思われます。
それ以外となると、明治14年に初めて京都以外からの入学があったのですが、このときどういった経緯で入学したかを追いかけるのは困難です。その地域の史料を調査する必要もあるでしょう。
京都盲唖院は京都にとどまらない、幅広い地域から入学があったことは事実ですから、最低限、見立てをするべき重要な問いだとおもいます。京盲文書(京都府立盲学校が所蔵する文書)にある膨大なデータを統計的に処理していかないとみえてこないでしょう。頑張らないといけない。

京都府立盲学校の岸博実先生からは、小西信八に関する補足をしていただきました。先生が補足してくださったおかげで皆さんの理解も深まったと思います。逆にいえば、発表者であるわたしの至らなさ、ということでもあります。

最後に、立命館大学の松原洋子先生から特別支援学校の評価についてどう考えているのかということと新聞調査の失敗談についての2点についてご質問をいただきました。たしかに、京都盲唖院について研究をはじめたきっかけとして、特別支援学校に関する評価軸をどうすべきなのか、これについて考えるには京都盲唖院について多角的に評価する必要があることと、京都盲唖院でなければできないことがあり、それを積極的に評価すべきであると事例をひきながら回答しました。
そして、新聞調査の失敗談について。わたしは発表するときに新聞調査の手法について述べましたが、特定の記事を探すような見方をしておらず、日ごとに読んでいくようにしていることを説明しました。
しかし大掛かりなイベントがあったときに、新聞全体がそのイベント一色になることがあり、そこで京都盲唖院の記事を見逃してしまうことがあります。いま思い起こしてみれば、これは心のどこかで「ここにはないだろう」という勝手な思い込み、わたしの弱さが露呈してしまっているからなのでしょう。「盲唖院」と考えすぎてしまうと新聞の良さまで見えなくなってしまうおそれがあります。新聞の性質を生かした調査をしていただきたい、歴史をご研究される方々にはどうかこのことを胸にひめていただきたいと願っています。

4、感想・反省点
大変盛り上がった研究会だとおもいます。病と社会・環境・科学技術に関する近代史研究会 (立命館大学生存学研究センター)よりお呼びいただけたことは大変光栄なことと感じています。皆さんの求める内容に十分応えられたかどうか不安なところもありますが、発表を真剣にご覧頂き、また事前にわたしの論文もチェックしていただいておりましたことは発表者冥利につきます。
反省点については、ひとり、盲の方がみえていたので、論文のテキストデータを渡しておりましたが、レジュメのテキストデータを渡すのが遅くなってしまっていたことは申し訳なく思います。

ご出席いただきましたみなさん、どうもありがとうございました。

(写真は知恩院三門です。京都盲唖院は、インクライン、知恩院とともに京都における3つの「イン」といわれていましたが、そのうち知恩院は未訪問でしたのでこの機会にゆっくりと見て回りました。また京都盲唖院について新たなイメージをもつことができた。)

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