木下直之『股間若衆 男の裸は芸術か』

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会田誠展にわいせつな表現があるということで抗議されたということもあり、性器表現についてどういう概念が働いているかを勉強しようと思っていました。また、2011年に東京国立近代美術館「ぬぐ絵画 – 日本のヌード 1880-1945」が開催されていることも思い出しながら読みたい本です(わたしにとって読書というのは、単に読むのではなくて、問題意識をもって読むということが重要なところと思います)。

まず、木下が着目するのは、松本喜三郎の生人形です。『藤岡屋日記』安政三年(1856)二月二十五日によれば、松本は吉原の遊女・黛、チラリズムで久米仙人を空から落した女、忠臣蔵夜討における尻を出してひっくりかえった女の生人形を出品しているといいます。これは寺社奉行によって撤去を命じられたといいます。すなわち、裸体に対する規制というのは、近代にはじまったことではなく、江戸以前のこの事件が伏線であると木下は重視しているように思われます。
木下がとりあげる生人形は北海道開拓使顧問として明治政府に雇われたホレス・ケプロンによって注文されたもので、スミソニアンのコレクションになっているものです。木下は3体紹介していますが、こちらでみることができます。

Nude

そして、明治に入り、工部美術学校における西洋美術教育では、石膏制人物の制作がカリキュラムに組み込まれていることと、松岡壽による石膏デッサンの授業風景のスケッチにおいて裸体彫刻が対象になっていることから、生徒たちは裸体を制作する機会があったことが指摘されます。

木下直之によれば、彫刻における股間の表現として7つを取り上げます。

1、曖昧模っ糊り:何も身に付けていないが、曖昧なもっこりになっているもの
2、腰巻き
3、フンドシ
4、葉っぱ:これは、イチジクの葉。アダムとイヴからの系譜があるでしょう。
5、露出
6、パンツ
7、謎の物体:矩幸成「自由と正義の像 」を取り上げており、何かわからないものが股間を覆っています。

美術において陰部が規制されるようになった有名なきっかけとして、明治34年の第六回白馬会に出品された黒田清輝《裸体婦人像》(静嘉堂文庫美術館蔵)には腰巻きが巻かれたという事件が取り上げられます。木下は、10月20日の『都新聞』をもとに、警察署長が裸体に関するものは紫色の巾にて覆いを施せと指示したと指摘します。馬屋原成男『日本文藝発禁史』によれば、美術展において裸体画・裸体彫刻が出品されても陰部を公衆にみせないことはこのときから始まったと指摘しているとのことです。
当局の干渉に懲りた黒田は腰布をまいた婦人像を描くようになったといいますが、しかし他の芸術家が黒田のあとに続こうとしますから、いたちごっこのような様相をみせているように思われます。彫刻でも同様で例えば、新海竹太郎は明治41年に《ふたり》を出品したときに、お咎めをうけ、特別室に送り込まれたといいます。この特別室というのはおそらく、優待券をもっている者か、美術学校の生徒しか入れなかったもので、現在でいう成人以上のものであれば入れるというものとは違った基準だったと思われます。

木下はこのように男女のヌードの絵画・彫刻をめぐる股間について調査されながら記述しているのですが、わたしがひとつ象徴的に覚えている絵画があります。それは中村正義《舞妓》で、舞妓が正面をむいて、自ら衣服をぬぎ、裸体をみせているもので何も身につけていません。

Nakamura

日展だったとおもいますが、これが出品されたときに昭和天皇が観賞する前に布で覆い隠されたといいます。これに比べたら、たいていのヌード画は大人しく見えてしまうような気もします。「ぬぐ絵画 – 日本のヌード 1880-1945」にも出品されていません。

『股間若衆 男の裸は芸術か』というタイトルですが、実際は女性の裸体についても多くを扱っています。

2013年 3月 16日(土) 21時14分12秒
癸巳の年 弥生 十六日 辛巳の日
亥の刻 一つ


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