刻まれる写真 — 東松照明の長崎

Posted on 2016/06/14

ちょうど、わたしは長崎で史料調査をしていた。わたしは全国の盲人・聾者の社会とコミュニティを盲唖学校を通じて研究しているが、それを長崎に求めにきたのであった。
時代としては明治・大正であって、原爆が落ちる前の長崎の姿をみようとしている。
そこから延々と広島で資料調査を行ったのち、時間のあいまをぬって広島市現代美術館の東松照明展に向かう。
広島平和記念資料館からのバス「めいぷるーぷ」に乗ると、丹下の建築のまえで子供たちがピースをしている。深刻そうな表情をしている子はおらず、楽しげに走り回っている。このような風景がずっと続くべきだ。

バスに揺られながら考える。広島で長崎の写真が展示されることについて、原爆という二文字は欠かせないことになっていることは本来ならあってはいけないことなのだが、それ以上にわたしは東松の死後、という時間を考える。写真家の死は、現在を生きている被写体にとっては二度と東松のファインダーにとらえられる瞬間はおとずれないことを意味している。そして、被写体やわたしにとっては新たな時間が流れることでもあった。だが同時にこうとも思う。「原爆が落ちなかったら東松は長崎でシャッターと切らなかったのではないか?」

美術館に着く。向かいにまんが図書館があるのを横目にムーアの彫刻と遊びながら階段をあがっていく。東松は1960年に長崎を訪れてから14000枚の写真をコンスタントに撮っており、生前の東松がセレクトして展覧会に出していた614点(長崎県立美術館蔵)から350点ほど選んで展示するというものになっていた。東松本人以外の方々がセレクションし、展示の順番も決定していったのであろう。緊張感に満ちた作業であったことを想像するのは難くない。展示の順番も年代に沿った展示ではなく、カラー、モノクロのプリントが入り混じっている。

東松が撮影する1960年代の長崎はわたしが生まれる以前の近い過去であるのに、うまくイメージすることができないことを突きつけている。さまざまな社会的事件を知っていても、むしろ明治のほうがイメージできてしまう(これは明治のことを普段から取り組んでいるからでもあろう)。わたしがもっとも知っている長崎の姿は近代と現代で、そのあいだは抜け落ちていて、そこを東松の写真が挟みこまれている。
被爆したひとたちの表情、砕け散ったマテリアル、街並、子供、動物、植物、空といった長崎の風景があるけれども、わたしを惹き付けるのは、東松が記す時間と空間が自分に刻みこまれることであった。写真が刻むのである、時間を、空間を、わたしの身体を。そう感じられるのは直前まで長崎にいたからかもしれない。先ほどまでいた長崎の感覚が東松の写真によってさらに自分の記憶となっていく。それを言っている。

ひとつひとつのプリントに場所と時間のついたキャプションが付されていて、それを交互に見ていくことによって長崎の「ここ」と「いつ」がわたしの身体に付着していくのであった。それは洗っても落とせない。キャプションのあり方自体は東松の特徴ではないのだが。
原爆が落ちるその瞬間に至るまでのスパイラルが、現代に戻っていく。スパイラルとは、長崎原爆資料館にある入口のことである。自動ドアをとおると、ニューヨークのグッゲンハイムにあるようなスパイラルの廊下があって、下に降りていくと、原爆が落ちたあの「とき」に至る仕組みになっていた。ぐるぐるとタイムマシーンのようにあの「とき」に戻っていく。あるいは落ちていく。東松の写真は、そのスパイラルから上にぐんぐんあがっていく。原爆が落ちたあと、生きなおしていく時代の長崎がそこにあった。

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