瑞々しさの基準

宮城県・多賀城市にて。

何かに対する判断基準として、それが瑞々しいかどうか、というのがある。

ある機関で史料調査したときにひょっこりと紛れていた資料と出会った。それは鳥山博志『死の島ラブアンからの生還』だった。とても薄い私家本で、元は潮書房「丸」別冊3号(太平洋戦争証言シリーズ、1986年)を製本したものらしい。この冊子の最後に、鳥山さんはこんなことをした、と年賀状の内容を紹介している。書かれたのはおそらく1980年代であろう。

紹介してみたい。

 

「(前略)昨今、戦争の本質をあいまいにする危険な風潮を感じはじめたからです。国の動きの中にも・・・

憲法第九条は、先の大戦で戦没した二百十万人の日本人が私たちに残した遺書です。私は生ける証言者として、この遺書を守り、故郷を遠く離れて、護国という名目のためにジャングルの土となった人びとの言いたかった訴えたかったことを、その本当の心を代わって語り伝えていきたいと思います。戦没者の鎮魂は、靖国にあるのではなく、戦争の実態を明らかにすることの中にあります。反戦反核の決意を新年のご挨拶といたします。鳥山博志」

 

わたしは生還者の話を直接聞いたことはない(一度、聞いてみたいと思う)。生還者の手記を読んだことはあるが、それほど数は多くない。字数にして約250字。そんな鳥山さんの文章を一読して驚いたのは、この年賀状がとても1980年代のものには思えなかったことである。
むしろ、今年の年賀状のようにも見えた。

わたしは「・・・瑞々しいな」とつぶやいた。

文章そのものは誠実そうな印象ではあるが、正直にいうと鳥山さんが書かれているのは他の生還者で似た文章を読んだことがある。それでも瑞々しく感じた。

一見すれば、戦争、大戦、九条、靖国、護国、鎮魂、反戦、反核・・・といった言葉が繰り返されているようにみえる。これらの言葉をしらない日本人はいまい。わたしたちの脳裏にあって、それは社会の折々で繰り返されてきた。これらの議論は多くあふれていて、悪くいえば堂々巡りのように感じることもあったかもしれない。そのような中、瑞々しく思えたのは、これらの言葉が消えては生まれているからだ。注意しよう。これらの言葉は繰り返されているのではない。消えては生まれている・・・生まれなおしているのである。なぜなら、元旦における挨拶 — 年賀状において表現されているからである。元旦という新鮮で特別な時空間において、日の出とともに、これらの言葉が生まれなおしている。

それから、「憲法第九条は、先の大戦で戦没した二百十万人の日本人が私たちに残した遺書です。」という言葉。鳥山さんは「先の大戦」と書いている。わたしたちも「”先の”戦争」と表現する。この「先」という言葉が端的に過去であることを示している。だが、”先”という言葉は過去でありながらも、「先のことはわからない」というように、未来を意味してもいる。こうしてみると、遺書というのは過去の人が書いたものだけではなく、未来のわたしたちが書いたものが現在にやってくるようにもみえる。過去と未来を一旦、ひっくり返して憲法を考えることの大切さを教えてもらったような気がする。

鳥山さんは1913年生まれ、今年で104歳になるがどうされているだろうか。わたしには、この生還者による綴りの挨拶によって、鳥山さんの身体がそこにあると思えた。なかなか稀有なことではないだろうか。

これが瑞々しいというものだ。


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