Filter

夜に包まれる絵画

今年、絵金が生まれて200年目ということをニュースで知った。絵金といえば、高知の赤岡町に絵金蔵という、絵金のコレクションでは日本一の美術館がある。それで赤岡には毎年7月に絵金祭というのが開催されていて、いつか訪問したいと前から思っていて、去年訪問を果たしている。

そのときの写真なんだけど、18時から21時前までこの祭りにいたことを覚えている。18時前はまだ明るくて、お祭りもまだこれからって感じになっている。しかお祭りがはじまって絵金の屏風が出てくると一気に賑やかになってくるのが感じられるのがとても面白かった。絵金がもっている、あの不条理で、血にまみれた世界が屏風の向こうにあってそれらを見世物のように見ているのがなんとも、絵のなかと外を曖昧にしているような感触があった。絵について語り合ったり。町の人が絵について説明しているのもおもしろい。

ふっと思うのは、絵画ってほんとうはこういうものだったと思う。本来は美術館に入っていて、ガラスに包まれてきれいに保護されているけれども、ここで出されているのは学芸員ではない、赤岡のひとたちの手によって守られているものなのだよね。ダイレクトに絵そのものがわたしの目の前にある。

それにしても暗くなるにつれて、蝋燭に灯された絵金の屏風がいよいよ怪しさを増してくるのには驚いた。ゆらゆら揺れるのは怖いし、ホラーと言えばホラーといえるのだけど、それ以上に目をひいたのは屏風という、美術館でみることが多くなってしまったひとつの記号が外にとび出しているだけで、独り立ちしていたように見えたことである。美術の制度からほんの少し、離れているかのようだ。

2012年 8月 03日(金) 22時53分51秒
壬辰の年(閏年) 葉月 三日 丙申の日
亥の刻 四つ

ダリのようにとろける

ダリの絵のようなペリエのCM。これは少し前のなんだけど、まさにこんな季節にはペリエが一番似合う。そう思いつつ、風呂上がりに飲むペリエのために生きているような最近。

冬の思い出


医学書院の雑誌、『訪問看護と介護』2012年8月号に、わたしのインタビューが掲載されました。寒い冬で、時期的にたいへん辛いときだったことをよく覚えています。よくこなせたものだなあ。1頁目は以下のようになっています。 Continue Reading →

紙に気持ちをのせる

2012年 7月 31日(火) 12時47分30秒
壬辰の年(閏年) 文月 三十一日 癸巳の日
午の刻 四つ

歴史と地理を横断する — ベイルート

少し前、アラブ・エクスプレス展(森美術館)をみる。

そのなかで「おおっ」と思わず声をあげてしまった展示がこれ。
ラミア・ジョレイジュ(1972-)の「ベイルート — ある都市の解剖」というもの。彼女はサイトをもっていて、詳しく紹介しているので参考に。ネーミングからしてすでに面白そうと思ってしまうけれども、展示は映像や写真を組み合わせつつ、ベイルートの歴史を書き出しているもの。個人的な事項も含まれている。わたしはベイルートに行ったことがないけれど、絵や写真、映像は高さが異なっていて、体を動かしながらおのおののオブジェクトをみつめていると、自分のなかでベイルートの地理的な感覚も作られるようだ。

歴史に関するイベントで、遺跡ツアー、町歩きとかいろいろあるけれども、その延長にあるようなもので、歴史を体感するというか。京都盲唖院の研究をはじめ、わたしが行おうとしている仕事もこのように地理的な感覚をもっと訴えるものにしなければならないと思う。

「曜日」の読み方の歴史

わたしたちは曜日を「ようび」と読んでいますが、かつては「ようにち」と読むこともありました。日本において曜日を制定するのは明治九年のことですが、いつから「ようび」と読むようになったのでしょうか。この疑問に応えてくれる研究が、以下です。

松村明「明治初年における曜日の呼称」『近代語研究 第十集』507-529頁

松村明は『大辞林』をまとめた、著名な国語学者ですね。 さて、件の論文を読んでみましょう。

松村はまず、洋学資料に掲載されている曜日の呼称を調査し、どのように読まれているのか把握しようとします。 曜日という言い方そのものはいつが初出なのかについて、松村は断定を避けていますが、桂川中良『蛮語箋』(寛政十年)が古いものではないかとしています。しかし、これには振り仮名がなく、読み方がわかりません。 それで、松村は続けて調査を重ね、石橋政方『英語箋』(萬延二年)を調査し、これには日曜なら「ニチヤウ」と読むことを指摘します。この本は明治五年に改訂版が出るのですが、「日曜日」を「ニチヨウニチ」としています(この改訂版には下河部行輝『卜部氏の明治5年版の『改正増補英語箋』の改訂版について』があるもよう)。しかし、逆のことも判明します。それは、『和英語林集成』の再販が明治五年にでているのですが、これには「ニチヨウビ」と出ていることも言及されます。松村はこのように「ようび」「ようにち」がどのように出るのか資料分析を進め、いくつかのパターンにわけたのち、「ようび」という言い方が明治五年以降に増加することを見出します。

こうして、明治の十年代後半になると、「曜日」を「ようび」と読むことが一般的になるといいます。そして、明治二十年代になると「ようにち」という振り仮名が消え、すっかり「ようび」と読むようになると結論づけているのです。

話はかわりますが、この『近代語研究』はおもしろい論文がいくつもありますね。中世から現代、フィールドを異にする国語学者が集まって研究会をやっていたようです。

積み上げられた苺

9月からのシャルダン展の目玉がまさにこの『かごに盛った野苺』(1761年,個人蔵)。 サイトをみたときに、す考えるところ、このシャルダンの静物画は古典主義の最後に位置するものだというが、その例としてとりあげるのがこの絵。ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』ではこう記述される(原書62-63, 訳書98-99)。 Continue Reading →

ターナーと太陽

ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』の5章「視覚的=幻視的抽象化」に出てくる、ターナーの2枚の絵。これは太陽の観察とからめて出てくる。クレーリーによれば、ターナーと太陽の関係はよく知られているというのだが、実は、わたしはこの本でそういうことを知った。
この本で取りあげられる2枚の絵は図版として同書に収録されているのだが、モノクロで分かりにくい。なので、テートよりカラーをみてみたほうがいいと思う。

Artist:Joseph Mallord William Turner (1775‑1851)
Title:Light and Colour (Goethe’s Theory) – the Morning after the Deluge – Moses Writing the Book of Genesis
Date:exhibited 1843
Medium:Oil on canvas
Dimensionssupport: 787 x 787 mm
Collection:Tate
Acquisition:Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856
Reference:N00532

Artist:Joseph Mallord William Turner (1775‑1851)
Title:The Angel Standing in the Sun
Date:exhibited 1846
Medium:Oil on canvas
Dimensionssupport: 787 x 787 mm frame: 942 x 942 x 73 mm
Collection:Tate
Acquisition:Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856
Reference:N00550

雪村自賛自画像の解説例

今更、といわれるかもしれないけれど、田中一松先生の「雪村自賛自画像の一考察」『國華』71、28頁を改めてチェックした。
雪村自画像は、大和文華館にあって、2、3回ぐらい見たことがある。現存するなかでは日本最初の自画像ではないかという話もきいたことがある。その経緯は田中先生によれば、「美術研究」(198号、昭和33年)にて紹介したのを矢代幸雄が読み、収蔵したという。
それで、これはかつて「月下僧像」とされていたが、上記の田中論文によって今の名前になった。田中先生によるこの自画像の記述も簡潔にして要を得ているので、ここでも箇条書きに記述しておいて参考にしておきたい(國華だから、旧字使いになっているけれどもここでは直しておきます)。 Continue Reading →

ガラスの亡霊

ハンガリー生まれの写真家、アンドレ・ケルテス(André Kertész, 1894–1985)の「夜の摩天楼;二重露出」”Skyscraper at Night; Double Exposure”というもの。わたしがとりわけ好きな写真家のひとりだが、この写真をみていると思い出すものがある。それは、バスや電車に乗っているときのこと。

バスと電車の両脇にはガラスがあって、街並がみられるようになっている。とくに視線を運転席の方向に向けたときには、両脇のガラスが同時に視界に入ってくるだろう?
そんなとき、その景色は光の具合によってときどき、すぐ向こうに見える風景だけではなく、反対側にいる乗客の表情や衣服、そして外にある家や樹木、空のいろがガラスに映り込むことがある。乗り物だから、動けばガラスに映るものも動くわけで、光が瞬いている。いわば、バスや電車はガラスの乗り物の一歩手前にあるようなものなのかもしれない。

そんなとき、わたしはいつもケルテスのこの写真を思い出している。でも、これはガラスが映り込むんじゃなくて、タイトルにDouble Exposureとあるように、二回、露出してあるんだよね。つまり、スカイスクレーパーを二回、レンズを通してフィルムにイメージを封じている・・・。重なった建築はお互いが透過しているかのようで、どちらがどちらでもない。あのバスの風景のように。
クリスタル・パレス、ミース・ファン・デル・ローエといったガラスとともに在った近代建築史の大切な話をとおりぬけると、この写真に行き着くような気がしている。20世紀の都市はガラスに囲まれていて、そう、このスカイスクレーパーのように、ガラスに映り込んでいる亡霊を感じながら生きていたのではないかとも思う。

2012年 7月 22日(日) 23時54分57秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十二日 甲申の日
子の刻 二つ

同じ絵なのに、違う


ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400 – 1464)による、「若い女性の肖像」(1430頃, Gemäldegalerie, Berlin)というもの。どちらも同じ絵だけれども違うものにみえる。具体的には左のほうが白みを帯びていて、右は経年変化のような黄ばみがみえるようにもみえる。撮影条件、パソコン上の処理、修復の有無によってこうも違うものになってしまっているのだろう。でも、「どちらが正しいの?」ではなくて、この違いそのものをみることがとても大切で、たとえば資料をみるときやごはんを食べるときでさえ、そういうことがあると思う。

例えば、わたしはよく行くカフェがあって、それは1人でしか行かないようにしているれど、すごくおいしいケーキがあるんですよね。それをカプチーノと一緒に頼むのがささやかな楽しみになっている。ところが、ある日それは普段と違った。生地がほんのすこし湿っぽかったのだ。それで帰り際に「今日のケーキ、生地がいつものと違ってパリパリしていなかったね。」とスタッフのお姉さんに伝えたら「そうなんですか?!厨房に伝えておきます!」と返してくれた。

資料だって、デジタルでみるものと実際にパラパラとめくるものは違う。とくに、明治の印刷物はザラザラした紙に活版印刷による凹凸が混じっていて、文字そのものがそこにあることがわかるように・・・。

きりがないけれども、同じようにみえるものが違ったものになっている。モナリザだって毎日「同じはず」だなんてない。絵もまた何かの条件でこんなに色合いが違ってしまっている。
わたしはあいにく、これを見た事がないのでどう見えるのかはわからないけれど、しかし目の前にあるものが絶対だと信じないことだな。じゃあ、何を信じたらいいのと聞かれたらこう答えようではないか。変わり続けることを信じろ、と。なあに、怖くないよ。

2012年 7月 21日(土) 21時54分48秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
亥の刻 二つ

手にした資料と「しるし」

keyword:論文/ストック/整理/読む

2012年 7月 21日(土) 00時50分34秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
子の刻 四つ

耳に手をあてる

ジョシュア・レイノルズの自画像がgoogleで細かくみられるようになっていた。もとはといえば、tateのコレクション。

これはまだ見たことないですね。手を耳にあてているという身ぶり、よく聞こえないのか、あるいは耳を澄まそうとしているのか。しかしおもしろいのは、わたしが同じ身ぶりをすると、自分が滑稽にみえるような気もする。

松本竣介展をみたあと、スタッフのNさんと少し話をして、そのまま海に出た。
繰り返される波が、わたしに何かを訴えかけてくるように感じられるのはわたしの錯覚にすぎないが、しかし、すれ違うことのなかった、耳の不自由な身体がこの葉山の海で出会うということについて、不思議な感慨があった。

松本竣介の兄、彬が「弟は若し耳が不自由でなかつたら畫業につきはしなかつたかも知れません。(・・・)聴力を失つた為に其の総てを畫業一つに籠めるやうになつたのは何か運命が大きな示唆を與へてゐるやうに思ひます」と書いている(カタログ、258頁)。

まわりの人が、松本竣介のその聞こえない身体の先に運命を信じていたのか。それはたいへん心強いことばに感じられた。わたしもその聾というおのれに課された身体の先にあるものはなにか、それは目の前にある仕事を淡々と続けてゆくことのみで見えることだろう。

Maha Maamoun, Domestic Tourism II

MoMAより引用。というか、“Mapping Subjectivity: Experimentation in Arab Cinema from the 1960s to Now, Part I”なんておもしろそうなことをしていたのね、MoMAって。

Domestic Tourism II

2009. Egypt. Directed by Maha Maamoun. Exclusively utilizing footage from other Egyptian films that use the pyramids as backdrop, Domestic Tourism II explores the ways in which these iconic historical monuments can be reappropriated from the “timelessness” of the tourist postcard and reinscribed into the complex political, social, and historical moment in urban narratives. In Arabic; English subtitles. 62 min.

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence

ルーヴルで見て以来、惚れた絵の一枚Sassetta(サセッタ)による、福者ラニエリがフィレンツェの牢獄から貧者を解放しているシーンを描いたもの。サセッタについてはバーナード・ベレンソンなどいくつかの研究書が出ているし、“Sassetta: The Borgo San Sepolcro Altarpiece (Villa I Tatti) “というのが最近出ているけど、まだ持っていない。以下、ルーヴルからの情報をそのまま貼付けておく。

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence
Entre 1437 et 1444  H. : 0,43 m. ; L. : 0,63 m.

Elément de la prédelle postérieure du polyptyque de Borgo Sansepolcro.
Le bienheureux Ranieri vient délivrer quatre-vingt-dix pauvres gens, retenus dans une prison de Florence, qui lui avaient écrit pour lui demander de l’aide.

手をさしのべる

keyword:ギャラリー/手/にぎる/階段

2012年 7月 12日(木) 21時26分05秒
壬辰の年(閏年) 文月 十二日 甲戌の日
亥の刻 一つ

パネル2の仕掛けについて

表象文化論学会の第7回大会のパネル2「結晶化する物質──切り貼りにおける時間と固有性」のように、学会の大会では1つのパネルを組んで、司会を1人(コメンテーターを兼ねることは可)、3人が発表する構成にすることが定められている。それでパネル2を構成したわたしは、以下のようにダイアグラムを小松さんと田口さんとつくりあげた。ここではそれを記録しておきたい。

まず、パネル2が採用されたときに三人で顔合わせをしたいところだったが、わたしが関東、おふたりが関西にいるためにSkypeでそれぞれの研究構想をみっちりと話し合っていた。そのとき、わたしがSkypeで二人の話を咀嚼しながらメモしていたのが下のものになった。
これがもっとも初期のスケッチ。

Continue Reading →

アメーバのように

keyword:表象文化論学会

2012年 7月 10日(火) 00時43分06秒
壬辰の年(閏年) 文月 十日 壬申の日
子の刻 四つ

ボッティチェッリのメダル

表象文化論学会第7回大会 パネル2のポスターをつくりました。ボッティチェッリの絵を背景に据えています。手にもつメダルは古画の嵌入(inset)で、切り貼りのひとつとして。
以下よりダウンロードすることができます。
どうぞよろしくお願いいたします!

PDF版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.pdf
JPG版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.jpg

ボッシュを服にする

アレグザンダー・マックィーンがボッシュを基調にしたドレスを。肝臓のところにある魚は聖アントニウスの誘惑からとったもの、とすぐわかるけれども、コラージュ的に組み合わせて作ってある。いいなあーーーー。こういうの大好きですが、わたしは男性だからなあ。
え?彼女に着せたらいいんじゃないかって。そりゃあまあ、そうですがね。

関係ないけど、この絵を所蔵している、Museu Nacional de Arte Antigaはあんまり細かな画像をみせていないんだね。

表象文化論学会第7回大会 パネル2について

表象文化論学会の大会が近づいてきましたので、パネル2の概要をお伝えします。
どうぞよろしくお願いいたします。

タイトル:「結晶化する物質 ― 切り貼りにおける時間と固有性」
日時:7月8日(日)東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム
10:00-12:00
司会/コメンテーター:大橋完太郎(神戸女学院大学)
パネル組織者:木下知威
発表者:木下知威、小松浩之、田口かおり Continue Reading →

シンポの種明かし

「アビ・ヴァールブルクの宇宙」で は、何か特別な仕掛けがあると予告されていたけれどもそれは、ほぼ原寸大(原寸より少し小さい)のパネル構築だった。全てのパネルではないが。写真を拡大しているだけだが迫力がある。ただ、左端のパネル45だけ、図版をとり、グリップもできるだけ同じものを使い、カラーであることを試みている。しかし、カラーになるとヴァールブルクが強調したい身ぶりについて見えにくくなるという解説が田中先生によってされていた(裏返していえば、モノクロにすることは大きな意味があるということ)。

下はパネル45の拡大写真。より記憶が鮮明になった気持ち。

マウリッツハイスへ

マウリッツハイス展が開催されたそう。楽しみ。昔、オランダを旅行したときにすごく行きたかった建築だったのを覚えている。絵もだけど、建築をみたいという気持ちがあって、それでロッテルダムからデンハーグまで電車で移動したとき、雨雲がすごくて、あんまいい天気じゃなかったんですよね。

それで駅について(でもここ、最寄りのデンハーグ・セントラルじゃない)、バスに乗って・・・マウリッツハイスの最寄りらしいところで降りたのを覚えている。

Continue Reading →

注意とアクション

ユーロ2012のイタリアvsイングランド。
PKになって、イタリアのピルロが蹴るシーン。ピルロは「違った形でキックしようと思っていたんだけど、GKが先に動くのが見えたから(チップキックで蹴った)。ひらめきだよ。」と語っていたそうで、先に動くのがみえたという。それで映像をみてみると、左足で踏み込む途中でボールを確認し、右足をゆっくり動かしながら、キーパーの様子をみるかのように顔をあげているんだな・・・。前傾していた身体がゆっくり起きるごとに頭もゴールに向けられるようになる。
わたしはサッカー選手ではないのでどういう時点で蹴り方を変えるとかは分からないけれども、キーパーに注意しつつ蹴るということがどんなにか難しいか、わたしたちの生活にも通じることのように思える。何々をしながら他のことに集中することは簡単ではないからだ。 Continue Reading →

ハンマースホイの重力

keyword:ヴィルヘルム・ハンマースホイ/Hammershøi and Europe/西洋美術館/重力感

2012年 6月 25日(月) 23時58分04秒
壬辰の年(閏年) 水無月 二十五日 丁巳の日
子の刻 二つ

ブックフェア「表象文化論のアトラス」の感想

表象文化論学会全国大会(7/7-8)との連動企画としてのブックフェアが始まりました。
場所はMARUZEN&ジュンク堂渋谷店です。 Continue Reading →

「暉雄」と識字率の歴史

曾我蕭白《群仙図屏風》(六曲一双(各172.0×378.0cm)のうち右隻,1764年, 紙本著色, 重要文化財)

 

先日、千葉市美術館であっていた「蕭白ショック」をみていたときに思ったことがあるのだけど。蕭白は落款を「曾我蕭白暉雄筆」とか「曾我蕭白暉雄画」「曾我蕭白左近次郎暉雄筆」とすることがあるんですよね。それでこの展覧会を担当された、千葉市美術館の伊藤紫織さんに「「暉雄」をどういうふうに読まれていますか?」と尋ねたことがある。 Continue Reading →

「様式」の危なっかしさ


ベーリックホール(昭和5年(1930)J.H.モーガン設計)

思いつくままに。

美術史や建築史において、「様式」という言い方をしている。それは「あるひとつの型を様式と定義し、作品や建築といった人たちが作り上げてきたものを内包する概念」とわたしは理解している。たしかにこのやり方は、歴史における時間を巡る方法として有効な概念である。
その区分の方法は、例えば時間で区切るものであったり、人物、何かの事件で区切ることもあろう。わたしが書いた京都盲唖院の博士論文でも、仮盲唖院から第四期盲唖院まで、京都盲唖院の空間に大きな変容があったという基準のもと、5つに分類している。これは5つの様式を作り出しているともといえる。
でも、この様式によって歴史を理解することのは裏返してみれば危ない概念だと思う。要するに枠にはまってしまう。たとえば、ブルクハルトがペトラルカ(1304-1374)のことを「近代人」だと評した。その近代というと、現代の前だから14世紀の人であったペトラルカを近代というと・・・と様式に囚われていると混乱してしまう(ルネサンスは近代のはじまりなのか、中世のなかにあるのかという話もあるけれど、ここでは込み入らないことにして・・・)。他にもゴシックやバロックに関する定義をもとに、その歴史に落としこむということは避けなければならない。それはまるで自ら歴史という名前の監獄に入っていくようなことではないかと感じる。様式を否定するつもりはまったくないけれども、あくまでもひとつの物差しに過ぎないというふうに考えておきたい。

メガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす」

7月6日から7日にかけて立教大学でメガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」が開催されます。プログラムはここにあります。 Continue Reading →

目撃すべきユクスキュル

國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』で引用されているように、ここ数年、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの本がよく引用されるようになっている風潮があるように感じている。『動物の環境と内的世界』が出たし、『生命の劇場』も文庫で出た。とりわけ、翻訳されている『生物から見た世界』 岩波文庫(青943-1)(あるいは思索社、 1973年)が一番読まれているはずだ。 Continue Reading →

見つめ合う男女

ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの『卒業』(1964)。いつだったろうか、まだ成人式を迎える前にみたことがあって。まだ見ていない人にとってはネタバレで申し訳ないけれども、教会に押し掛けて花嫁を連れ去ってしまうというのが当時はインパクトだった。好きとか一緒にいたいっていうのはこういうことなのかなあって思いながらこの映画をみていた。

でも、インパクトに残ったのは男が女をかっ攫うシーンじゃなくて、そのあと二人が乗り込んだ公共バスのなかで二人が見つめ合う、残り香のようなシーンだった。
それを5つのスクリーンショットで連続してみてみよう。 Continue Reading →

見ているだけで何もできない

視覚をめぐる政治性について、さっきピザ・マシーンを取り上げたけれど、なんか思い出す映画があって。これは旧サイトでも書いたことがあった。この映画、”Lady in a cage”というタイトルでこの女性は足が不自由で、二階から一階に降りるときに自宅内のエレベーターを使うという設定になっている。しかし、息子が出かけたあとに電気が止まってしまい、まさに籠のなかの鳥のような状況になる。そんなとき・・・というストーリー。ピザ・マシーンと共通しているのは「見ているだけで他には何もできない」というところにある。あの機械は作っているところをみることはできるが、手を加えることはできず、この映画でもケージに閉じ込められた女性は何もできない・・・。しかし、ピザ・マシーンとこの女性は立場が入れ替わっている。そういえば、「たくさんのふしぎ」という絵本でみたんだけど、動物園で檻に閉じ込められているゴリラの家族と、それを見ている人の家族のイラストがあって、閉じ込められているのは人のほうかもしれないと示唆されているというふしぎな話があった。

この写真をみると、左側は元気そうな表情でいながら、徐々に顔から生気が失われてゆくのがわかって、どんな結末が待っているのか予感させるつくりになっている。うまいなと思ったけれど、牢の格子がきちんと等間隔になっていて、冷徹なリズムを刻んでいる。

ちなみにこの女性はオリヴィア・デ・ハヴィランド。『風と共に去りぬ』でスカーレットのライバル役といえばわかる人も多いだろう。

ピザ・マシーン

ピザの生地を作り、焼いてくれるという自販機のデモ。ピザが作られる様子がわかるようになっているところは大きなポイントだよね。

これはよくデパ地下なんかであるよね。ガラス越しにスタッフが料理を作っているところをみせて、美味しそうなイメージを作り出すという。

窓の大きさをみるとピザマシーンは小さな覗き窓で、なにか秘めやかな感覚もあるというと言い過ぎだけれど。それにしても、なにかのプロセスを「見せる」のは映画が出るたびに裏話やコメンタリーがつくような制作の裏話であったり、視覚をめぐる政治性が垣間見えると思う。

それにしてもでかいな。設置場所が限られそう。

藤原えりみさんへ

藤原えりみさん( @erimi_erimi )の手術が近いとのことで、どうかお元気になられますように。お見舞いの意味も込めて、お花を。

やっぱり紫陽花の季節だよね。これは元町から山手を歩く道にあった立派な紫陽花。

Continue Reading →

ボッティチェッリの内奥の本質を、「優美なナイーブさ」とか「魅惑的な憂愁」として公衆の愉しみに供するのは、現代の感傷的な甘言のなすところである。

ボッティチェッリが身につけていた気質とは、自己本位の誇示のための優雅な衣服のようなものではなく、締めつけられた覆いのようなものであり、思索する芸術家の、いまだに未熟な手段を用いて、それを開け拡げること、これがボッティチェッリの生涯にわたる仕事の自覚的な目的であった。

アビ・ヴァールブルク

寛仁さまにお会いした日

keyword:寛仁/ボッティチェッリ/アケロオスのニンフ

2012年 6月 17日(日) 22時34分47秒
壬辰の年(閏年) 水無月 十七日 己酉の日
亥の刻 四つ

光に包まれ、消え去る都市

露光を調整して撮影すると、光によって都市が掻き消えてゆく・・・。AKIRA、ヒロシマ。光の暴力。

 

 

芭蕉をうつす

フォトアルバムを見ていたら、ああそうだ。伊東忠太が関わったこの建築を見たんだった。

Continue Reading →

PDFのパラドックス

今日、Twitterでこんなツイートがあった。

Continue Reading →

もっと気軽に、美術館へ!

テートブリテンをキュレーターのGus Casely-Hayfordさんが歩く映像。ラフなファッションで何も持たずに絵と絵のあいだを飛んでゆく。こういうふうに美術館を歩き回き、会話していくのがいい!作品と格闘するのも、戯れるのも。

“ART OF ANOTHER KIND”

グッゲンハイム美術館の”ART OF ANOTHER KIND”展のサイトがすごくカッコイイ。JAVAで動かしている。どこがやったんだろう?ちょっとググってみたけれどやり方が悪いのか、わからない。

美術館は展覧会ごとに特設のウェブサイトを開くようになったよね。そのはしりってなんの展覧会だろう?インターネット・メディアと美術というテーマで考えると面白いかも。

パロディ化されるゲーム

どんなゲームなのか知るにはデモとプレイ動画をみるのが一番良いと思っているけれども、そのなかでたまたま見かけるものがあって、スーパーファミコンで大人気だった「ファイナルファンタジー5」(1992、スクウェア)。これはわたしも発売されてすぐ友達とすぐ買いに行き、夢中でやりこんでクリアしたものだった。 Continue Reading →

1826年

2012年 6月 14日(木) 23時58分45秒
壬辰の年(閏年) 水無月 十四日 丙午の日
子の刻 二つ

ラファエロの時計

2013年にラファエロ展があることがアナウンスされたので、パテック・フィリップ・ミュージアムの動画を。この動画のおわりに、ラファエロの “La Madonna della Sedia” をモデルにした懐中時計が紹介されている。円という絵をそのまま時計に採用しているところが憎い。他にもねずみや昆虫をモデルにした自在置物のようなギミックや鳴く鳥、綱渡りもあり、時計制作はそういうからくりと親しいことがあらためて伺える動画。これらの装置をみていると、カメラオブスキュラ以後、映画以前の「映像」のようにも感じられる。

鋭利な言葉

アンナ・パヴロワの写真のように、わたしはときどきハッとする「もの」をみることがある。「もの」とはわたしの外にあるものすべてで、自然といえばよいだろうか。なぜハッとするのと聞かれて、その理由を語り始めようとするとその「ハッ」とする感覚が頭のどこかからぬけていくようで、それを捕まえるようにして語り始めることがある。これはわたしの無知や語学力の不足、記憶力の弱さをさらけ出すことであるけれども、それでも言葉にしなければならない。 Continue Reading →

ヴァザーリとパノフスキー

いま、ヴァールブルクのボッティチェッリ論を読んでいて思ったのだが、この関連書籍のひとつにディディ=ユベルマンの『イメージの前で』がある。
これは、美術史の発明者であるヴァザーリとその末裔で改革者であるパノフスキーのふたりが中心に論じられているもの。16世紀の画家でもあったヴァザーリと19世紀から20世紀にかけての美術史をリードしたパノフスキーというわけだけれど。 Continue Reading →

ソクーロフ「ファウスト」

先日、ソクーロフの「ファウスト」を鑑賞。一言でいうと、見るべき映画ですね。以下、ネタバレを含みます。 Continue Reading →

エドガーとトーマス

edgar

Edgar Martinsの写真展を去年、山本現代で見ているんだけど、この写真が強烈に脳裏にあって。

サイトにはポルトガルの「1950年代から1970年代にかけて相次いで建設されたこれらの水力発電所は、かつて200人以上の職員により管理されていた巨大装置でありながら、コンピューターで遠隔操作が行われるようになった現在ではほぼ無人で運転を続けています。管理システムに接続された機械が延々と並び、人間の気配の感じられない大空間を自若に捉えたこれらの作品には、われわれ人間がかつて描いたモダニティの奇妙な残骸が浮かび上がります。」 Continue Reading →

高橋由一との再会(高橋由一展)

2012年 6月 08日(金) 23時14分45秒
壬辰の年(閏年) 水無月 八日 庚子の日
子の刻 一つ

不安げな画家 — Ferenczy Károly

Gyermekeim

Noemi

Ferenczy Károly(1862-1917)という、ハンガリーの画家がとても気になるこのごろ。ハンガリーには彼の美術館もあるようで、著名らしい。日本では紹介されたことがあるのだろうか? 果たしてどのくらい知られているのであろうか。実物をみたことはないけれど、境界の曖昧さと身ぶりがなす雰囲気は、印象派の・・・そうだね、スーラとかのインスピレーションを受けつつも近代における「不安」が感じられ、ムンクのようでもある。

宗教画も描いているようだ。これは東方の三博士だろう。

FK4739

自己の自動生成システム

カメラとコンピュータを使って一筆描きで自画像を作成するシステムの映像。このセルフ・ポートレートを試した人たちの写真もある。面白いのは、「自分を見ず」に「オートメーション」で描かれるということだろう。ゲーセンには、顔を撮ってもらったら自動的にイラストになってくる機械があったけれど、それとも違う。被写体がペンをもって紙の上におけば自動的に絵が描かれるというプロセスが入っている。

Continue Reading →

ポリツィアーノとボッティチェッリ

PolizianoPoliziano “Stanze per la giostra di Giuliano de’Medici”
(Firenze, Antonio Tubini, lorenzo d’Alopa, Andrea Ghirlandi, c.1500)

いま、集中している研究があり、そのなかで少し気になることがあったので、アビ・ヴァールブルク『サンドロ・ボッティチェッリの“ウェヌスの誕生”と“春”―イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』を読み始める。原書は1932年、ライプツィヒで出版されたもの。わたしにとってヴァールブルクの出会いはだいぶ前で『蛇儀礼』が最初の読書だった。
Continue Reading →

セライオ《プシュケーの物語》について

ヤコポ・デル・セライオ《プシュケーの物語》(1490年頃、ボストン美術館)について記録しておきたい。セライオの生没年は1441–1493というが、確定していないそう。もしそうであれば、15世紀に活躍したフィレンツェの画家とまずは覚えておこう。むろんこういう人いっぱいいるけども。セライオのこの絵はもともと家具の一部だったらしい。横に細長い家具だったと想像される。

Continue Reading →

機械仕掛けの鳥かご

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=He4HYZOGY7E#!

機械の鳥かご。まさにちゅんちゅん!じゃないの。

レンブラントのFB

@kandelion さん「てぃっつぁんのFBとかリア充の極みに違いない」というので(てぃっつあんとはティツィアーノのこと)、もし、レンブラントがFacebookをしていたら?という内容をポスト。

ゴッホやフェルメールとやりとりしている。ゴッホとレンブラントは生没年が重なっていないので本来は会っていないはずだけども、楽しい。

クリスティアーン・ホイヘンスやルーベンスとも繋がってるwwww

弥太郎の恋

日銀総裁を務めた、三島弥太郎(1867-1919)は三島通庸の長男にあたる。

yataro

弥太郎は1893年に大山巌の娘、大山信子(1877-1896)と結婚している。信子は16歳。

nobuko

Continue Reading →

高橋由一と三島通庸

いま、東京芸大であっている、高橋由一展に向けて『三島通庸と高橋由一 ― 西那須野開拓百年記念事業』という本を前に読んだのでここにメモしておきたい。
これは、三島が土木工事で切り開いた道、栃木、福島、山形の道を高橋由一が描いたことを中心に論じている本。高橋は200点ほど描き、そのなかから128点をピックアップした『三県道路完成記念帖』(三巻)を出版した。
裏返してみれば、三島が油彩画によるイメージの敷衍という効果を知っていたからではないかということが論じられている。

Continue Reading →