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薄暗がりのなか、キラキラと輝く・・・

2012年 6月 03日(日) 23時57分02秒
壬辰の年(閏年) 水無月 三日 乙未の日
子の刻 二つ

おすすめのテキストエディタ

いくつかMacのアプリを試す。テキストエディタを変えようと思って。
これまでevernoteを使っていたし、今もそうするつもりだけれども最近はちと重い。それで以下のものを見つけてきた。

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なぜ屏風は「六曲」が多いのか?

日本画で屏風という形式を考えるとき、どうして六曲がメインのフォーマットになっているのかということがある。二曲、四曲、八曲の屏風があるにもかかわらず、どうして六曲が定着したのか、という話。それで、『日本美術襍稿: 佐々木剛三先生古稀記念論文集』には村重寧さんの「二曲一双」が収録されているのが参考になる論文。これは本来は宗達、光琳、抱一の二曲屏風について考察するのが目的だが、前半に屏風に六曲が多いのかという理由を書いている。以下、村重さんの話をまとめる。

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Jim Belsitoさんのプレイ

PAPA(Professional & Amateur Pinball Association)の大会動画、セミファイナル。ここで使用されている台はFamily Guy(1999, Stern)。とくにJim Belsitoさんのフリッパー際のプレイがいい。丁寧に、そしてスピーディに落ち着いたボールさばきをみせていて参考になる。

記憶を映像にする

Radioheadの”House of Cards”という曲。トム・ヨークがVelodyne LIDARによって捉えられた映像。身体にある細胞をできるだけ簡略化しているので、面が点のようになっている。これはなにか、ライプニッツのモナドのようにも感じられるし、モーションキャプチャーっぽくもある。

そして風景がでてきては、掻き消えてゆくところがあって、実際にあった風景を早送りすることで、わたしたちの記憶を曖昧にし、廃墟のようにしてく過程のようにもみえた。いうならば、これは記憶そのものを映像にしたようなものなのかもしれない。

レオナルド「最後の晩餐」のオートマトン

ls

レオナルドの「最後の晩餐」をオートマトン(自動人形)としたもの。Henry Phaliboisに帰属、1890年代ではないかというもの。これはいいね!
ちなみに動画もあり、こちらで見られる。
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カメラを使わずに風景を撮る

Velodyne LIDARというものを使っている。レーザーを照射してその反射で周囲を形成するというものでコウモリやイルカがやっている方法に近い。

マンクとファウスト

ゴシック・ロマンスの傑作。これはすごく大好きな小説なので絶対見に行く!

一方は、ゲーテ『ファウスト』。どのような映像になるのか・・・。

 

道路に建築を挟む、道路から建築を切り取る

スゥ・ドーホーの”Bridging Home”(2010)という作品。 この人はメゾンエルメスや東京都現代美術館で展覧会をしたことがあるので、国内でも知名度があるアーティスト。でもこの作品ははじめて。これをみたとき、青井哲人さんの『彰化 一九〇六年  市区改正が都市を動かす』を思い出した。彰化(チャンホワ)は台湾の中部にある小さな古い街で、訪問したことがあります。

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仏像の暗さ

keyword: 原田直次郎/騎龍観音/神護寺/薬師如来

2012年 5月 31日(木) 21時34分29秒
壬辰の年(閏年) 皐月 三十一日 壬辰の日
亥の刻 二つ

ラスベガスのあるピンボーラー


BBCのPinball wizard Tim Arnold shows off his Las Vegas museumをみた。ラスベガスにあるTim Arnoldさんのお店”The Pinball Hall of Fame”の紹介映像。ピンボーラーにとっては聖地なのにまだ訪問したことがないけれど、写真は何度かあるけれど、映像は初めて見た。知らない台がいっぱい。これだけずらりと並んでいる様は日本にはひとつもないのではないか。わたしがラスベガスを訪問したらば、昼間からヴェンチューリの『ラスベガス』をなぞるフィールドワークをしてからピンボールをしそう。たしかにラスベガスはその肥大な広告や過剰なネオンがピンボールの雰囲気とシンクロする面があるのではないだろうか。

アーノルドさんのインタビューを要約すると、俗にいうピンボールコレクターはピンボールファンのためになにかすることは考えないのか、と。それがこのお店のモチベーションにつながっているのだと考えたい。そのような自分が大切にしていることをひっそりと秘めやかにもつことは大切なことではあるけれど、オープンにできる部分を模索していくことはなにもピンボールに限らないことだと思う。わたしのなかにある精神も多くの人のためにありたいと思う。

美術品を壊すジョーカー

「バットマン」(1989)を見たことがあるけれど、このシーンはすっかり忘れていた。ジョーカーらが美術品を傷つけていくシーン。よくみれば、レンブラントやドガじゃん・・・。

様々な形の手

Evelyn Mary Dunbar (1906–1960)
A 1944 Pastoral Land: Girls Pruning at East Malling

初めて見た。切り取られた手によるワーク、静物、枝の手入れをする人々。遠近法が極端だね、こないだ東京国立近代美術館でみた原弘展にあったFRONTみたい。

(展覧会)ビザンチウムとイスラム美術

Pillars from the Church of Saint Polyeuktos,
Constantinople, now in the Piazzetta di San Marco, Venice. Photograph by spoliast

メトロポリタンにて開催されている 「ビザンチウムとイスラム美術」は面白そう。公式ブログをみると情報量があってよい。

写真はヴェネツィアのサン・マルコ広場の「ピラストリ・アクリタニ」だね。第四次十字軍によってヴェネツィアまで運ばれたコンスタンチノープルの中心にあった教会、アオギス・ポリエウクトス(Saint Polyeuktos)の柱。ユスティニアヌス帝の娘、アニキア・ユリアナによって524-527年頃に建てられた教会だと教えられた。でも、この教会はすでに失われてしまっていて、全貌がわからない。もし何かの史料よりわかったらば、それはそれはすごい論文になると思う。しかしこのような意匠の柱がいくつも並んでいるところに出たらば、どこを見るべきか眩暈がするかもしれない。

source: http://www.metmuseum.org/en/exhibitions/listings/2012/byzantium-and-islam

「リアル」と「現実」の違い

御徒町の3331にて。ここは、天内大樹さんと訪問したことがある。天内さんと話していると、自分が思っていないことまで話してしまうのだから、ある意味危ないのかもしれない。

それはともかく、ここを訪問したのは、大友克洋GENGA展をみるためだった。かの『AKIRA』はワイヤーが張られた段のガラスケースに原画を載せていて、原画が浮いているかのような構成。
原画はほとんどA4で、見開きはA3横で描かれている。アキラは夢中になって読んだ漫画で、子供のころだったんだよね。クスッと笑ってしまうようなシーンもあるけれど、人が撃たれて死ぬシーンなんか、不条理というものを実感した強い思い出がある。

その原画をみたとき、はじめてアキラを見たという気持ちになった。漫画で読んで内容を知っていたことがふきとんだ感覚。ひとこま、ひとこま、世界がそこにある。絵画をみるとき、たとえばレオナルドのモナリザはたくさんの美術本に載っているけれども、実物をみると・・・というじゃない。でも、そういうオリジナリティがもつアウラともまた違うものだった。

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フィリッポ・リッピの天使

ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。一目してギョッとした。これはわたしが今行っている研究において重要だという直感。

 

 

火星人を倒せ

アタック・フロム・マーズという、とても好きな台。最近は置いているお店が遠くなってプレイできていないけれど、火星人が現れたときにバイブが動いて振動がくるところがいい。

マレーと血みどろのトランク

わたしはブリュッセルで一枚の絵をみた。ダヴィッドの「マレーの暗殺」(”Marat assassiné”1793 , 165 x 128 cm , ベルギー王立美術館)という絵。美術史では有名な絵で、見たいとおもっていたものだ。

マレーが入浴中に暗殺されたシーンであるけれども、湯船にある暗い血の色をなぜかよく覚えていて。

そう、こんな色だった。それで、来年6月の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレの作家に選出された、田中功起さん。わたしが田中さんを知ったきっかけは、「六本木クロッシング」(2004、森美術館)に出ていた「トランクと血と光」という作品だった。これが強烈だったんだよね。

これは確か、部屋の隅っこにプロジェクションされていて、入口に「気分が悪くなる恐れがありますので、ご注意ください」のような注意書きの看板がかけられていたのを覚えている。

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セーヌ河のほとりで帽子をかぶる人

ジョルジュ・スーラ《アニエールの水浴》(”Bathers at Asnières” 1884, ナショナルギャラリー, ロンドン)
セーヌ河で水浴をする人たちと河畔にくつろぐ人たち、そのなかでひとりだけ雰囲気が違う人がいる。男の人だろうか?それとも肌や指の形からして女の人なのだろうか?でも、男の人だろうか。この人は何を考えているのだろう・・・。

帽子をかぶる人。

わたしにはその人の表情がよくみえない・・・。口元が奥にある花と草と混じりかけていて表情すら曖昧だ。

source: http://www.nationalgallery.org.uk/content/conobject/313

合体する太陽と雨

東京の御徒町周辺にて。幾分か水滴の大きい雨がパラパラと降るなか、太陽が照っている。晴れているのに雨が降っている、雨が降っているのに晴れているというどちらでもない天気。天気予報では、雨のち晴、雨ときどき晴とか表現しているけれどもそのどちらでもない、境界などでもない、晴雨という表現のような一瞬。

光のなかにいる鳩

1629年、バルトロミュース・W・ドレンドによる銅版より。マリアの頭上に現れる、光に包まれた鳩。太陽に包まれたかのようなデザインがされる。

こうしてみると、光源に近いニードルの動きは一定したラインが外にむけて動いている。そして、外になるにつれて、乱れはじめ、空白が生まれる。それはウニのトゲのようだよね。その周囲には網型の身ぶりを伴ったニードルの動きがあってメリハリがある。

source: http://www.rijksmuseum.nl/collectie/RP-P-OB-67.618/uitstorting-van-de-heilige-geest

日々はチョコレートのように

チョコレートを食べていて、ふっと思ったんだよね。板チョコなんだけれど、それは固体でパッケージされているじゃないですか。
食べようと思えば、板を手でパキンと割って、口にすると口内の温度や歯の圧力、湿度でドロリと固体が崩壊して、舌にチョコのほんのりとビターな味がしてくるんだよね。そして、粘度のある液体になって、わたしのなかに取り込まれていく。
そりゃあ、当たり前なんだけど、でもこのLL(ライブラリー・ラビリンス)を作ろうと思ったとき、このチョコレートみたいにしたいなと思ったんだ。

そう、板チョコという物質が少しずつわたしに取り込まれる感覚は、たぶんにわたしが何かをしていく過程に似ているんだと思う。例えば勉強するにしたって、そのまま体内にスッと入るのではなくて、体内に入れるように準備するということ。
そのまま飲み込もうとしたって、できないからね。
ここでは噛み砕いたものを出すということ。リキッドなデザインを選んだというのも根底はそこにあるかもしれない。

齋藤陽道

齋藤陽道くんと葉山で遊んだ時、彼が海を撮影していたのを撮る。いや、盗る、かな?

 

旅立ち

ライブラリー・ラビリンスにようこそ!まずはmessageをどうぞ。

揺れる葉

2011年の夏の日、京都のMの部屋から撮影した揺れる葉。カメラ・オブ・スキュラとの比較のために。

錦正社 『蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究』(佐藤鉄太郎著)

18世紀に加筆されたという説を提唱しているが、説得力があると思う。これはわたしのパソコンに入っていたデータだが、どの新聞記事なのかわからなくなってしまっている・・・。

Click to Close

This image released Thursday, Jan. 5, 2012, shows a page of an 1878 letter sent to his parents by Alexander Graham Bell. The drawing and accompanying discussion instructs how to ground the telephone Bell had invented. The letter is being auctioned by Amherst, N.H., dealer RRAuction.

池上英洋の第弐研究室:再掲: 広島に生まれて。8月6日

母の友人に、原爆ドームとなった建物に勤めていた人がいました。毎日出勤していて、たまたま8月6日の朝だけ所用で出勤しなかったために生き残ったと言っていました。彼女の同僚はそのほとんどが、文字通り消えてしまったそうです。ある知人の父親には、右耳がありませんでした。その朝、いつものように早めに出勤した彼は、同僚と並んで座っていたそうです。一瞬の閃光であたりは真っ白になり、気がついた瞬間には倒れた壁の間にいたそうです。座っていた場所の後ろに窓があり、そこから差し込んだ熱線で彼の右耳は失われましたが、それ以外は陰になっていたので助かったのです。しかし、隣に座っていた同僚は影も形も残っていなかったそうです。

引用元: 池上英洋の第弐研究室:再掲: 広島に生まれて。8月6日.

原爆によって耳を失うということ。熱線によって消え去る身体が恐ろしい。こんな恐ろしいことは二度とあってはいけない。

迷路といえば「シャイニング」のこのシーンが思い出される。

《対談》 南方学の基礎と展開-テクスト、マンダラ、民俗学-

長谷川  しかも『本屋風情』という名前を皮肉たっぷりにちょうだいするくらいだから、相当親しいわけです。もちろん岡茂雄さんは大変な南方ファンで、柳田さんとは不協和音があったわけです。それは『本屋風情』によく書かれています。結局、中山太郎さんが仲介して、『南方随筆』『続南方随筆』の二編を大正十五年に岡書院でお出しになったわけです。

中沢  それが例の中山太郎の「略伝」の問題とも絡んでくるわけですね。

長谷川  そうそう、「私の知ってゐる南方熊楠氏」。もっとも柳田先生の反応も少し異常なくらいで、大人げないですがね。

引用元: 《対談》 南方学の基礎と展開-テクスト、マンダラ、民俗学-.

書籍のカバー画像

水野千依さんに質問も添えて感想をメールしたところ、とても丁寧に応対してくださった。緻密な思考だけでなく、それを裏付けるかのような熱意と行動力をもった方だと感じている。

絵をよむ言葉 ―美術批評家 坂崎坦・坂崎乙郎のあつめた絵画

早稲田大学会津八一記念館にて。
http://www.waseda.jp/aizu/2012/2012%20exhibition/kikaku2012-sakazaki.htm

●会期:2012年5月21日(月)~7月7日(土)
●開館時間:10:00~17:00(入館は16:30まで)
●休館日:日曜、祝日
●入場料:無料

鴨居玲の絵があるんだな。

英語字幕あり。

Road to Enlightenment: Kickstarter Alert | nohighscores.com

 

これをやって世界史の勉強をしたいというのは、だめかな?