扇言葉

表象文化論でご活躍されている、小澤京子さんがフラゴナールを模したスカートの元ネタは何だろうとツイートしていた。こんなスカートだ。

それはわたしがかつて、ニューヨークのフリック・コレクションにある、「フラゴナール・ルーム」でみた「愛の進展:出会い」のことだ。
スカートに引用するとどうなのかなあと思いながらみていたけど、悪くないんじゃなかろうか(悪趣味?)。確かに、フラゴナールはゴスロリやロリータと相性がよい画家だと思う。フランソワ・ブーシェは女体が輝いているような雰囲気があるけれど、フラゴナールはいくぶんが現実を見つめようとしているように感じられた。

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レーピン展にむけて

いま、Bunkamuraで開催されている、「国立トレチャコフ美術館所蔵 レーピン展」。わたしはこの画家についての予備知識がほとんどなく、背景がよくわからないので、まず大月源二『レーピン』(人民文庫 青木書店 1953年)を読みました。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

 

なお、これはネットで全文公開されています。このうち、レーピンが生きたロシアについて書かれた「時代と環境」のところを読みました。この本は以下の3章で構成されています。

戦闘的なブルジョア美術
移動派 ― 人民の中へ
反動の時代

著者の大月源二本人も日本プロレタリア芸術家連盟に加わり、北海道で活躍した画家であり、その傍らでレーピンについて資料を収集し、この本を書いたらしい。あとがきにこう書かれています。

「かつて日本のプロレタリア美術運動はレーピンや、スーリコフなど、ロシヤ移動派絵画の貴重な遺産には殆ど関心を払わずに過ぎてしまった。運動が壊滅した後の長い反動と戦争の間に、私はレーピンを発見し、その現実主義の力に打たれ、資料を集め、貧しいロシヤ語の力に鞭打って研究を続け、戦後もその努力を続けた。」

大月は仕事を通じてレーピンを知り、もっと知りたいと思ったわけです。 Continue Reading →

わたしを戸惑わせる葉

CR park

クリムトの「公園」 画面のほとんどを葉が占めている。こぼれ日は見えないかもしれない。木のようでありながら、枝がほとんど見えず、葉はどの木に属しているのかもわからない。ひどく困惑するような絵だ・・・。

The Park, Gustav Klimt (Austrian, 1862–1918)
1910 or earlier. Oil on canvas, 43 1/2 x 43 1/2″ (110.4 x 110.4 cm). Gertrud A. Mellon Fund
http://www.moma.org/collection/browse_results.php?object_id=78411

奈良美智とペリー

「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」「ペリーの顔・貌(かお)・カオ -「黒船」の使者の虚像と実像-」が同じ横浜であっているというのは奇遇なことかもしれない。
だって、奈良は顔を描くほうで、ペリーは顔を描かれる側という能動/受動の関係にあるよね、単純に考えて。

展覧会のメッセージで奈良はこう言っている。

「もはや好むと好まざるにかかわらず、自分が作るものは、僕自身の自画像ではなく、鑑賞者本人や誰かの子どもや友達だと感じるオーディエンスのものであり、欲を言えば美術の歴史の中に残っていくものになっていくと思っている。自分の肉体が滅んでも、人類が存在する限りは残っていくものということだ。」

それで、ペリー展ではこんな説明がつけられている。

「ペリーの肖像画は、幕末期に来日した他の外国人とは比較にならないほど多く、また様々な顔貌のものが描かれ今日まで遺っています。」 Continue Reading →

ヴェネツィア・セックス

ニコラス・ローグ『赤い影』をみた。ふつうにTSUTAYAでレンタルできる。
以下、ネタバレにならないよう、注意して書きます。

この映画の原題は”Don’t Look Now”だが、邦題『赤い影』としているのは目をひくためなのだろう。確かにワンポイントの赤がテーマで、わけがわからないまま最後まで見てしまう。ラストシーンになって、ああこういうことだったのかと理解するけれども、理解できたときはもう遅い。そんな、もはや取り戻せない感覚があとに残る映画だったように思う。

主人公のジョン・バクスター(ドナルド・サザーランド)が修道院修復の仕事をしているという設定でヴェネツィアに妻ローラ(ジュリー・クリスティ)とやってくるという設定になっていた。
たしかに、ヴェネツィアのシンボルがちらちらと見える。たとえばこの左にみえるのは、いわずとしれたドゥカーレ宮殿だよね。

建築史の授業で初めて知った建築と映画で再会すると、また新しい発想ができるのも映画をみる楽しみだと思う。記憶術としてイメージがより強化される。

話はかわるが、調べてみると、この映画、セックスシーンが有名らしい。 Continue Reading →

ヴェネツィアに行くなら

ヴェネツィアに行くまえにぜひとも見ておきたいと思っていた映画があって、それがニコラス・ローグの『赤い影』という映画。IMDbはこちら。これを借りてきたので作業のあいまにみることにした。
ドナルド・サザーランドが主演なんだね、彼が演じる主人公は修道院修復専門の仕事をしていて、妻とともにヴェネツィアを訪問するという内容らしい。ヴェネツィアの街並がどう映るのかみておきたい。

遅れる気持ち

2012年 8月 19日(日) 23時51分05秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十九日 壬子の日
子の刻 二つ

ジネヴラとタルコフスキー

アンドレイ・タルコフスキー「鏡」をみていると、1コマ、1コマが光とともにやってきて、過ぎ去って行く・・・。その1コマは去っていくと、わたしのなかに押しとどめていることが難しい。あっさりと押し流していってしまう。

パンフレットなどによると、この映画はタルコフスキーの自伝的作品とされていて、作者の父母がモデルとなる男女とその子供、その子供が成長して妻ナタリアと別れる。祖母も出て来て、3世代の作品になっている。ストーリーは一貫しておらず、ひとつのシーンがひとつの記憶のようになっていて、その記憶が記憶を召喚し、あるいは別の記憶を生産するようなそんな映像だった。その理由として、母マリアと本人の妻ナタリアが同一の女優、マルガリータ・テレホワが演じている点にあると思う。つまり、どの世代なのかわからないという曖昧さが強調されているのではないだろうか。

冒頭で、草原の向こうからやってくる医師の男性をみている母マリア。医師はナンパする気があるのか、マリアに語りかけてきて、しまいにはタバコをもらって母が腰掛けている木の柵に座ろうとするが、ポッキリと折れてしまう・・・。当然ながらふたりは地面に倒れる。
そりゃあ、あんな細い木だから二人が腰掛けたら折れるのも無理もないけれども、この折れた木について、あとあと考えて見ると面白いのであとで述べる。

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わたしは何も知らない。

いつのことだろうか。

わたしが「京都盲唖院」を知らなかった頃。京都府立盲学校も知らず、あの岡本稲丸先生のことも知らかったし、岡田温司先生など美術史/美学において著名な先生方のことも何も知らなかった(田中純先生のことを知るのはわりと早い時期なのだけれど、表象文化論に入るのはもっとあとのことだった)。ただ、建築のことしか勉強していないという状況、わたしはピンボールが大好きだった。今も変わらない。

写真を整理していたら、オモロン新小岩の写真が出て来た。
ここぞ、今は無きピンボールのメッカだ。わたしはここに通い、ひたすらピンボールを打っていたのだった。

フラストレーションがたまっていたのだろう。わたしが歩むべき道はどこにあるのかわからないまま、「この玉よ、どこにゆくのか、わたしをどこに誘ってくれるのか?」と思いながら打っていたあの頃。もう何年前のことだろう。

ずいぶん遠いところまで来たような気持ちがする。
・・・しかし、いまもまたわたしは何も知らないでいる。

ときどき、ピンボールを打ちにいくのは、たぶん、あのときの何もわからない、何もしらない自分に立ち返ることで、自分がやるべきことを見極めるためなのかもしれない。これはオレのやりたいことなのか?これでいいんだな?と思いながら。

ピンボールを打つことは動物になることに近いことだろうと感じている。

2012年 8月 16日(木) 01時01分16秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十六日 己酉の日
丑の刻 一つ

美術/建築から映画をみる

ジュースキント『香水』の原作と映画について池上英洋先生( @hidehiroikegami  )とTwitterで話していたら、金沢百枝先生( @momokanazawa )からのリクエストで、建築に注目した映画の本は何があるのかというのがあった。少し長いので、Twitterではなくてここにまとめておきたい。それにしても池上先生はかなり映画が好きのようで、これはきっと素敵な仕事ができるんじゃないかと思う。

さて、美術/建築に注目した映画の本だけれども、まず一冊だけおすすめするなら?という条件であれば、わたしはこの本にしたい。 Continue Reading →

無意味にペンを走らす

2012年 8月 14日(火) 00時12分07秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十四日 丁未の日
子の刻 三つ

ふたりの行く先

keyword:新聞記事/六道/賽の河原

2012年 8月 12日(日) 23時31分32秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十二日 乙巳の日
子の刻 二つ

青い裂け目

2012年 8月 11日(土) 22時23分48秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十一日 甲辰の日
亥の刻 三つ

夜空を見上げる

keyword:夜空

2012年 8月 07日(火) 23時45分08秒
壬辰の年(閏年) 葉月 七日 庚子の日
子の刻 二つ

歩き去る猫

犬島に行ったときに出会った白と黒のまだら模様の猫。野良猫ではなく、飼い猫だと思う。この猫については旧サイトで犬島の製錬所について書いたときにあわせて動画を公開したことがあった。

「にゃあ」と声をかけたら振り返ってくれたけど、「なんだ・・・」という顔をされてそのままスタスタと歩き去る。そうされるとついかまってしまうわたしはあまりいい性格ではないのかもしれない。

連写モードで撮影していて、それをスライドショーにすれば動いているようにみえるのだけど、どうしてそう見えるのか、それを仮現運動というのだが、解説しているところの紹介を高橋啓次郎さんのサイトでしている。わたしの好きなサイトのひとつ。

わたしが住んでいる家の向かいには猫がいたのだけど、最近見かけない。どうしたのだろう。室内で飼われているのだろうか。それともどこかに移ってしまっただろうか。

2012年 8月 06日(月) 22時02分30秒
壬辰の年(閏年) 葉月 六日 己亥の日
亥の刻 三つ

おおかみこどもの雨と雪

Twitter上で話題になっていたし、予告編が良かったので日本語字幕付き上映を待ってすぐ見に行った。
劇場は横浜ブルク13。下のフロアが紀伊国屋書店なので長居してしまいそうなスペース。スクリーンは11、席はIの11番。11番がちょうどスクリーンの中心。高さもちょうどよい感じでベストの席だったと思う。さて、この映画について感想を書いておきたい。

ネタバレ含みます。 Continue Reading →

言語の保ち方

手話に限らない話だけれども、言語を学ぶには細く長く、息を続けるようにやらないと体にぴったりくっつかないものだ。そのなかでどうやってモチベーションを保つかというのがあると思う。

わたしの場合、読みたい本や論文があって、それがフランス語や英語だったので読みたいという気持ちでトライするのだけれども、しかし、そうでない場合はどうなのだろう。 Continue Reading →

夜に包まれる絵画

今年、絵金が生まれて200年目ということをニュースで知った。絵金といえば、高知の赤岡町に絵金蔵という、絵金のコレクションでは日本一の美術館がある。それで赤岡には毎年7月に絵金祭というのが開催されていて、いつか訪問したいと前から思っていて、去年訪問を果たしている。

そのときの写真なんだけど、18時から21時前までこの祭りにいたことを覚えている。18時前はまだ明るくて、お祭りもまだこれからって感じになっている。しかお祭りがはじまって絵金の屏風が出てくると一気に賑やかになってくるのが感じられるのがとても面白かった。絵金がもっている、あの不条理で、血にまみれた世界が屏風の向こうにあってそれらを見世物のように見ているのがなんとも、絵のなかと外を曖昧にしているような感触があった。絵について語り合ったり。町の人が絵について説明しているのもおもしろい。

ふっと思うのは、絵画ってほんとうはこういうものだったと思う。本来は美術館に入っていて、ガラスに包まれてきれいに保護されているけれども、ここで出されているのは学芸員ではない、赤岡のひとたちの手によって守られているものなのだよね。ダイレクトに絵そのものがわたしの目の前にある。

それにしても暗くなるにつれて、蝋燭に灯された絵金の屏風がいよいよ怪しさを増してくるのには驚いた。ゆらゆら揺れるのは怖いし、ホラーと言えばホラーといえるのだけど、それ以上に目をひいたのは屏風という、美術館でみることが多くなってしまったひとつの記号が外にとび出しているだけで、独り立ちしていたように見えたことである。美術の制度からほんの少し、離れているかのようだ。

2012年 8月 03日(金) 22時53分51秒
壬辰の年(閏年) 葉月 三日 丙申の日
亥の刻 四つ

ダリのようにとろける

ダリの絵のようなペリエのCM。これは少し前のなんだけど、まさにこんな季節にはペリエが一番似合う。そう思いつつ、風呂上がりに飲むペリエのために生きているような最近。

冬の思い出


医学書院の雑誌、『訪問看護と介護』2012年8月号に、わたしのインタビューが掲載されました。寒い冬で、時期的にたいへん辛いときだったことをよく覚えています。よくこなせたものだなあ。1頁目は以下のようになっています。 Continue Reading →

紙に気持ちをのせる

2012年 7月 31日(火) 12時47分30秒
壬辰の年(閏年) 文月 三十一日 癸巳の日
午の刻 四つ

歴史と地理を横断する — ベイルート

少し前、アラブ・エクスプレス展(森美術館)をみる。

そのなかで「おおっ」と思わず声をあげてしまった展示がこれ。
ラミア・ジョレイジュ(1972-)の「ベイルート — ある都市の解剖」というもの。彼女はサイトをもっていて、詳しく紹介しているので参考に。ネーミングからしてすでに面白そうと思ってしまうけれども、展示は映像や写真を組み合わせつつ、ベイルートの歴史を書き出しているもの。個人的な事項も含まれている。わたしはベイルートに行ったことがないけれど、絵や写真、映像は高さが異なっていて、体を動かしながらおのおののオブジェクトをみつめていると、自分のなかでベイルートの地理的な感覚も作られるようだ。

歴史に関するイベントで、遺跡ツアー、町歩きとかいろいろあるけれども、その延長にあるようなもので、歴史を体感するというか。京都盲唖院の研究をはじめ、わたしが行おうとしている仕事もこのように地理的な感覚をもっと訴えるものにしなければならないと思う。

「曜日」の読み方の歴史

わたしたちは曜日を「ようび」と読んでいますが、かつては「ようにち」と読むこともありました。日本において曜日を制定するのは明治九年のことですが、いつから「ようび」と読むようになったのでしょうか。この疑問に応えてくれる研究が、以下です。

松村明「明治初年における曜日の呼称」『近代語研究 第十集』507-529頁

松村明は『大辞林』をまとめた、著名な国語学者ですね。 さて、件の論文を読んでみましょう。

松村はまず、洋学資料に掲載されている曜日の呼称を調査し、どのように読まれているのか把握しようとします。 曜日という言い方そのものはいつが初出なのかについて、松村は断定を避けていますが、桂川中良『蛮語箋』(寛政十年)が古いものではないかとしています。しかし、これには振り仮名がなく、読み方がわかりません。 それで、松村は続けて調査を重ね、石橋政方『英語箋』(萬延二年)を調査し、これには日曜なら「ニチヤウ」と読むことを指摘します。この本は明治五年に改訂版が出るのですが、「日曜日」を「ニチヨウニチ」としています(この改訂版には下河部行輝『卜部氏の明治5年版の『改正増補英語箋』の改訂版について』があるもよう)。しかし、逆のことも判明します。それは、『和英語林集成』の再販が明治五年にでているのですが、これには「ニチヨウビ」と出ていることも言及されます。松村はこのように「ようび」「ようにち」がどのように出るのか資料分析を進め、いくつかのパターンにわけたのち、「ようび」という言い方が明治五年以降に増加することを見出します。

こうして、明治の十年代後半になると、「曜日」を「ようび」と読むことが一般的になるといいます。そして、明治二十年代になると「ようにち」という振り仮名が消え、すっかり「ようび」と読むようになると結論づけているのです。

話はかわりますが、この『近代語研究』はおもしろい論文がいくつもありますね。中世から現代、フィールドを異にする国語学者が集まって研究会をやっていたようです。

積み上げられた苺

9月からのシャルダン展の目玉がまさにこの『かごに盛った野苺』(1761年,個人蔵)。 サイトをみたときに、す考えるところ、このシャルダンの静物画は古典主義の最後に位置するものだというが、その例としてとりあげるのがこの絵。ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』ではこう記述される(原書62-63, 訳書98-99)。 Continue Reading →

ターナーと太陽

ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』の5章「視覚的=幻視的抽象化」に出てくる、ターナーの2枚の絵。これは太陽の観察とからめて出てくる。クレーリーによれば、ターナーと太陽の関係はよく知られているというのだが、実は、わたしはこの本でそういうことを知った。
この本で取りあげられる2枚の絵は図版として同書に収録されているのだが、モノクロで分かりにくい。なので、テートよりカラーをみてみたほうがいいと思う。

Artist:Joseph Mallord William Turner (1775‑1851)
Title:Light and Colour (Goethe’s Theory) – the Morning after the Deluge – Moses Writing the Book of Genesis
Date:exhibited 1843
Medium:Oil on canvas
Dimensionssupport: 787 x 787 mm
Collection:Tate
Acquisition:Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856
Reference:N00532

Artist:Joseph Mallord William Turner (1775‑1851)
Title:The Angel Standing in the Sun
Date:exhibited 1846
Medium:Oil on canvas
Dimensionssupport: 787 x 787 mm frame: 942 x 942 x 73 mm
Collection:Tate
Acquisition:Accepted by the nation as part of the Turner Bequest 1856
Reference:N00550

雪村自賛自画像の解説例

今更、といわれるかもしれないけれど、田中一松先生の「雪村自賛自画像の一考察」『國華』71、28頁を改めてチェックした。
雪村自画像は、大和文華館にあって、2、3回ぐらい見たことがある。現存するなかでは日本最初の自画像ではないかという話もきいたことがある。その経緯は田中先生によれば、「美術研究」(198号、昭和33年)にて紹介したのを矢代幸雄が読み、収蔵したという。
それで、これはかつて「月下僧像」とされていたが、上記の田中論文によって今の名前になった。田中先生によるこの自画像の記述も簡潔にして要を得ているので、ここでも箇条書きに記述しておいて参考にしておきたい(國華だから、旧字使いになっているけれどもここでは直しておきます)。 Continue Reading →

ガラスの亡霊

ハンガリー生まれの写真家、アンドレ・ケルテス(André Kertész, 1894–1985)の「夜の摩天楼;二重露出」”Skyscraper at Night; Double Exposure”というもの。わたしがとりわけ好きな写真家のひとりだが、この写真をみていると思い出すものがある。それは、バスや電車に乗っているときのこと。

バスと電車の両脇にはガラスがあって、街並がみられるようになっている。とくに視線を運転席の方向に向けたときには、両脇のガラスが同時に視界に入ってくるだろう?
そんなとき、その景色は光の具合によってときどき、すぐ向こうに見える風景だけではなく、反対側にいる乗客の表情や衣服、そして外にある家や樹木、空のいろがガラスに映り込むことがある。乗り物だから、動けばガラスに映るものも動くわけで、光が瞬いている。いわば、バスや電車はガラスの乗り物の一歩手前にあるようなものなのかもしれない。

そんなとき、わたしはいつもケルテスのこの写真を思い出している。でも、これはガラスが映り込むんじゃなくて、タイトルにDouble Exposureとあるように、二回、露出してあるんだよね。つまり、スカイスクレーパーを二回、レンズを通してフィルムにイメージを封じている・・・。重なった建築はお互いが透過しているかのようで、どちらがどちらでもない。あのバスの風景のように。
クリスタル・パレス、ミース・ファン・デル・ローエといったガラスとともに在った近代建築史の大切な話をとおりぬけると、この写真に行き着くような気がしている。20世紀の都市はガラスに囲まれていて、そう、このスカイスクレーパーのように、ガラスに映り込んでいる亡霊を感じながら生きていたのではないかとも思う。

2012年 7月 22日(日) 23時54分57秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十二日 甲申の日
子の刻 二つ

同じ絵なのに、違う


ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400 – 1464)による、「若い女性の肖像」(1430頃, Gemäldegalerie, Berlin)というもの。どちらも同じ絵だけれども違うものにみえる。具体的には左のほうが白みを帯びていて、右は経年変化のような黄ばみがみえるようにもみえる。撮影条件、パソコン上の処理、修復の有無によってこうも違うものになってしまっているのだろう。でも、「どちらが正しいの?」ではなくて、この違いそのものをみることがとても大切で、たとえば資料をみるときやごはんを食べるときでさえ、そういうことがあると思う。

例えば、わたしはよく行くカフェがあって、それは1人でしか行かないようにしているれど、すごくおいしいケーキがあるんですよね。それをカプチーノと一緒に頼むのがささやかな楽しみになっている。ところが、ある日それは普段と違った。生地がほんのすこし湿っぽかったのだ。それで帰り際に「今日のケーキ、生地がいつものと違ってパリパリしていなかったね。」とスタッフのお姉さんに伝えたら「そうなんですか?!厨房に伝えておきます!」と返してくれた。

資料だって、デジタルでみるものと実際にパラパラとめくるものは違う。とくに、明治の印刷物はザラザラした紙に活版印刷による凹凸が混じっていて、文字そのものがそこにあることがわかるように・・・。

きりがないけれども、同じようにみえるものが違ったものになっている。モナリザだって毎日「同じはず」だなんてない。絵もまた何かの条件でこんなに色合いが違ってしまっている。
わたしはあいにく、これを見た事がないのでどう見えるのかはわからないけれど、しかし目の前にあるものが絶対だと信じないことだな。じゃあ、何を信じたらいいのと聞かれたらこう答えようではないか。変わり続けることを信じろ、と。なあに、怖くないよ。

2012年 7月 21日(土) 21時54分48秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
亥の刻 二つ

手にした資料と「しるし」

keyword:論文/ストック/整理/読む

2012年 7月 21日(土) 00時50分34秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
子の刻 四つ

耳に手をあてる

ジョシュア・レイノルズの自画像がgoogleで細かくみられるようになっていた。もとはといえば、tateのコレクション。

これはまだ見たことないですね。手を耳にあてているという身ぶり、よく聞こえないのか、あるいは耳を澄まそうとしているのか。しかしおもしろいのは、わたしが同じ身ぶりをすると、自分が滑稽にみえるような気もする。

松本竣介展をみたあと、スタッフのNさんと少し話をして、そのまま海に出た。
繰り返される波が、わたしに何かを訴えかけてくるように感じられるのはわたしの錯覚にすぎないが、しかし、すれ違うことのなかった、耳の不自由な身体がこの葉山の海で出会うということについて、不思議な感慨があった。

松本竣介の兄、彬が「弟は若し耳が不自由でなかつたら畫業につきはしなかつたかも知れません。(・・・)聴力を失つた為に其の総てを畫業一つに籠めるやうになつたのは何か運命が大きな示唆を與へてゐるやうに思ひます」と書いている(カタログ、258頁)。

まわりの人が、松本竣介のその聞こえない身体の先に運命を信じていたのか。それはたいへん心強いことばに感じられた。わたしもその聾というおのれに課された身体の先にあるものはなにか、それは目の前にある仕事を淡々と続けてゆくことのみで見えることだろう。

Maha Maamoun, Domestic Tourism II

MoMAより引用。というか、“Mapping Subjectivity: Experimentation in Arab Cinema from the 1960s to Now, Part I”なんておもしろそうなことをしていたのね、MoMAって。

Domestic Tourism II

2009. Egypt. Directed by Maha Maamoun. Exclusively utilizing footage from other Egyptian films that use the pyramids as backdrop, Domestic Tourism II explores the ways in which these iconic historical monuments can be reappropriated from the “timelessness” of the tourist postcard and reinscribed into the complex political, social, and historical moment in urban narratives. In Arabic; English subtitles. 62 min.

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence

ルーヴルで見て以来、惚れた絵の一枚Sassetta(サセッタ)による、福者ラニエリがフィレンツェの牢獄から貧者を解放しているシーンを描いたもの。サセッタについてはバーナード・ベレンソンなどいくつかの研究書が出ているし、“Sassetta: The Borgo San Sepolcro Altarpiece (Villa I Tatti) “というのが最近出ているけど、まだ持っていない。以下、ルーヴルからの情報をそのまま貼付けておく。

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence
Entre 1437 et 1444  H. : 0,43 m. ; L. : 0,63 m.

Elément de la prédelle postérieure du polyptyque de Borgo Sansepolcro.
Le bienheureux Ranieri vient délivrer quatre-vingt-dix pauvres gens, retenus dans une prison de Florence, qui lui avaient écrit pour lui demander de l’aide.

手をさしのべる

keyword:ギャラリー/手/にぎる/階段

2012年 7月 12日(木) 21時26分05秒
壬辰の年(閏年) 文月 十二日 甲戌の日
亥の刻 一つ

パネル2の仕掛けについて

表象文化論学会の第7回大会のパネル2「結晶化する物質──切り貼りにおける時間と固有性」のように、学会の大会では1つのパネルを組んで、司会を1人(コメンテーターを兼ねることは可)、3人が発表する構成にすることが定められている。それでパネル2を構成したわたしは、以下のようにダイアグラムを小松さんと田口さんとつくりあげた。ここではそれを記録しておきたい。

まず、パネル2が採用されたときに三人で顔合わせをしたいところだったが、わたしが関東、おふたりが関西にいるためにSkypeでそれぞれの研究構想をみっちりと話し合っていた。そのとき、わたしがSkypeで二人の話を咀嚼しながらメモしていたのが下のものになった。
これがもっとも初期のスケッチ。

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アメーバのように

keyword:表象文化論学会

2012年 7月 10日(火) 00時43分06秒
壬辰の年(閏年) 文月 十日 壬申の日
子の刻 四つ

ボッティチェッリのメダル

表象文化論学会第7回大会 パネル2のポスターをつくりました。ボッティチェッリの絵を背景に据えています。手にもつメダルは古画の嵌入(inset)で、切り貼りのひとつとして。
以下よりダウンロードすることができます。
どうぞよろしくお願いいたします!

PDF版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.pdf
JPG版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.jpg

ボッシュを服にする

アレグザンダー・マックィーンがボッシュを基調にしたドレスを。肝臓のところにある魚は聖アントニウスの誘惑からとったもの、とすぐわかるけれども、コラージュ的に組み合わせて作ってある。いいなあーーーー。こういうの大好きですが、わたしは男性だからなあ。
え?彼女に着せたらいいんじゃないかって。そりゃあまあ、そうですがね。

関係ないけど、この絵を所蔵している、Museu Nacional de Arte Antigaはあんまり細かな画像をみせていないんだね。

表象文化論学会第7回大会 パネル2について

表象文化論学会の大会が近づいてきましたので、パネル2の概要をお伝えします。
どうぞよろしくお願いいたします。

タイトル:「結晶化する物質 ― 切り貼りにおける時間と固有性」
日時:7月8日(日)東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム
10:00-12:00
司会/コメンテーター:大橋完太郎(神戸女学院大学)
パネル組織者:木下知威
発表者:木下知威、小松浩之、田口かおり Continue Reading →

シンポの種明かし

「アビ・ヴァールブルクの宇宙」で は、何か特別な仕掛けがあると予告されていたけれどもそれは、ほぼ原寸大(原寸より少し小さい)のパネル構築だった。全てのパネルではないが。写真を拡大しているだけだが迫力がある。ただ、左端のパネル45だけ、図版をとり、グリップもできるだけ同じものを使い、カラーであることを試みている。しかし、カラーになるとヴァールブルクが強調したい身ぶりについて見えにくくなるという解説が田中先生によってされていた(裏返していえば、モノクロにすることは大きな意味があるということ)。

下はパネル45の拡大写真。より記憶が鮮明になった気持ち。

マウリッツハイスへ

マウリッツハイス展が開催されたそう。楽しみ。昔、オランダを旅行したときにすごく行きたかった建築だったのを覚えている。絵もだけど、建築をみたいという気持ちがあって、それでロッテルダムからデンハーグまで電車で移動したとき、雨雲がすごくて、あんまいい天気じゃなかったんですよね。

それで駅について(でもここ、最寄りのデンハーグ・セントラルじゃない)、バスに乗って・・・マウリッツハイスの最寄りらしいところで降りたのを覚えている。

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注意とアクション

ユーロ2012のイタリアvsイングランド。
PKになって、イタリアのピルロが蹴るシーン。ピルロは「違った形でキックしようと思っていたんだけど、GKが先に動くのが見えたから(チップキックで蹴った)。ひらめきだよ。」と語っていたそうで、先に動くのがみえたという。それで映像をみてみると、左足で踏み込む途中でボールを確認し、右足をゆっくり動かしながら、キーパーの様子をみるかのように顔をあげているんだな・・・。前傾していた身体がゆっくり起きるごとに頭もゴールに向けられるようになる。
わたしはサッカー選手ではないのでどういう時点で蹴り方を変えるとかは分からないけれども、キーパーに注意しつつ蹴るということがどんなにか難しいか、わたしたちの生活にも通じることのように思える。何々をしながら他のことに集中することは簡単ではないからだ。 Continue Reading →

ハンマースホイの重力

keyword:ヴィルヘルム・ハンマースホイ/Hammershøi and Europe/西洋美術館/重力感

2012年 6月 25日(月) 23時58分04秒
壬辰の年(閏年) 水無月 二十五日 丁巳の日
子の刻 二つ

ブックフェア「表象文化論のアトラス」の感想

表象文化論学会全国大会(7/7-8)との連動企画としてのブックフェアが始まりました。
場所はMARUZEN&ジュンク堂渋谷店です。 Continue Reading →

「暉雄」と識字率の歴史

曾我蕭白《群仙図屏風》(六曲一双(各172.0×378.0cm)のうち右隻,1764年, 紙本著色, 重要文化財)

 

先日、千葉市美術館であっていた「蕭白ショック」をみていたときに思ったことがあるのだけど。蕭白は落款を「曾我蕭白暉雄筆」とか「曾我蕭白暉雄画」「曾我蕭白左近次郎暉雄筆」とすることがあるんですよね。それでこの展覧会を担当された、千葉市美術館の伊藤紫織さんに「「暉雄」をどういうふうに読まれていますか?」と尋ねたことがある。 Continue Reading →

「様式」の危なっかしさ


ベーリックホール(昭和5年(1930)J.H.モーガン設計)

思いつくままに。

美術史や建築史において、「様式」という言い方をしている。それは「あるひとつの型を様式と定義し、作品や建築といった人たちが作り上げてきたものを内包する概念」とわたしは理解している。たしかにこのやり方は、歴史における時間を巡る方法として有効な概念である。
その区分の方法は、例えば時間で区切るものであったり、人物、何かの事件で区切ることもあろう。わたしが書いた京都盲唖院の博士論文でも、仮盲唖院から第四期盲唖院まで、京都盲唖院の空間に大きな変容があったという基準のもと、5つに分類している。これは5つの様式を作り出しているともといえる。
でも、この様式によって歴史を理解することのは裏返してみれば危ない概念だと思う。要するに枠にはまってしまう。たとえば、ブルクハルトがペトラルカ(1304-1374)のことを「近代人」だと評した。その近代というと、現代の前だから14世紀の人であったペトラルカを近代というと・・・と様式に囚われていると混乱してしまう(ルネサンスは近代のはじまりなのか、中世のなかにあるのかという話もあるけれど、ここでは込み入らないことにして・・・)。他にもゴシックやバロックに関する定義をもとに、その歴史に落としこむということは避けなければならない。それはまるで自ら歴史という名前の監獄に入っていくようなことではないかと感じる。様式を否定するつもりはまったくないけれども、あくまでもひとつの物差しに過ぎないというふうに考えておきたい。

メガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす」

7月6日から7日にかけて立教大学でメガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」が開催されます。プログラムはここにあります。 Continue Reading →

目撃すべきユクスキュル

國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』で引用されているように、ここ数年、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの本がよく引用されるようになっている風潮があるように感じている。『動物の環境と内的世界』が出たし、『生命の劇場』も文庫で出た。とりわけ、翻訳されている『生物から見た世界』 岩波文庫(青943-1)(あるいは思索社、 1973年)が一番読まれているはずだ。 Continue Reading →

見つめ合う男女

ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの『卒業』(1964)。いつだったろうか、まだ成人式を迎える前にみたことがあって。まだ見ていない人にとってはネタバレで申し訳ないけれども、教会に押し掛けて花嫁を連れ去ってしまうというのが当時はインパクトだった。好きとか一緒にいたいっていうのはこういうことなのかなあって思いながらこの映画をみていた。

でも、インパクトに残ったのは男が女をかっ攫うシーンじゃなくて、そのあと二人が乗り込んだ公共バスのなかで二人が見つめ合う、残り香のようなシーンだった。
それを5つのスクリーンショットで連続してみてみよう。 Continue Reading →

見ているだけで何もできない

視覚をめぐる政治性について、さっきピザ・マシーンを取り上げたけれど、なんか思い出す映画があって。これは旧サイトでも書いたことがあった。この映画、”Lady in a cage”というタイトルでこの女性は足が不自由で、二階から一階に降りるときに自宅内のエレベーターを使うという設定になっている。しかし、息子が出かけたあとに電気が止まってしまい、まさに籠のなかの鳥のような状況になる。そんなとき・・・というストーリー。ピザ・マシーンと共通しているのは「見ているだけで他には何もできない」というところにある。あの機械は作っているところをみることはできるが、手を加えることはできず、この映画でもケージに閉じ込められた女性は何もできない・・・。しかし、ピザ・マシーンとこの女性は立場が入れ替わっている。そういえば、「たくさんのふしぎ」という絵本でみたんだけど、動物園で檻に閉じ込められているゴリラの家族と、それを見ている人の家族のイラストがあって、閉じ込められているのは人のほうかもしれないと示唆されているというふしぎな話があった。

この写真をみると、左側は元気そうな表情でいながら、徐々に顔から生気が失われてゆくのがわかって、どんな結末が待っているのか予感させるつくりになっている。うまいなと思ったけれど、牢の格子がきちんと等間隔になっていて、冷徹なリズムを刻んでいる。

ちなみにこの女性はオリヴィア・デ・ハヴィランド。『風と共に去りぬ』でスカーレットのライバル役といえばわかる人も多いだろう。

ピザ・マシーン

ピザの生地を作り、焼いてくれるという自販機のデモ。ピザが作られる様子がわかるようになっているところは大きなポイントだよね。

これはよくデパ地下なんかであるよね。ガラス越しにスタッフが料理を作っているところをみせて、美味しそうなイメージを作り出すという。

窓の大きさをみるとピザマシーンは小さな覗き窓で、なにか秘めやかな感覚もあるというと言い過ぎだけれど。それにしても、なにかのプロセスを「見せる」のは映画が出るたびに裏話やコメンタリーがつくような制作の裏話であったり、視覚をめぐる政治性が垣間見えると思う。

それにしてもでかいな。設置場所が限られそう。

藤原えりみさんへ

藤原えりみさん( @erimi_erimi )の手術が近いとのことで、どうかお元気になられますように。お見舞いの意味も込めて、お花を。

やっぱり紫陽花の季節だよね。これは元町から山手を歩く道にあった立派な紫陽花。

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ボッティチェッリの内奥の本質を、「優美なナイーブさ」とか「魅惑的な憂愁」として公衆の愉しみに供するのは、現代の感傷的な甘言のなすところである。

ボッティチェッリが身につけていた気質とは、自己本位の誇示のための優雅な衣服のようなものではなく、締めつけられた覆いのようなものであり、思索する芸術家の、いまだに未熟な手段を用いて、それを開け拡げること、これがボッティチェッリの生涯にわたる仕事の自覚的な目的であった。

アビ・ヴァールブルク

寛仁さまにお会いした日

keyword:寛仁/ボッティチェッリ/アケロオスのニンフ

2012年 6月 17日(日) 22時34分47秒
壬辰の年(閏年) 水無月 十七日 己酉の日
亥の刻 四つ

光に包まれ、消え去る都市

露光を調整して撮影すると、光によって都市が掻き消えてゆく・・・。AKIRA、ヒロシマ。光の暴力。

 

 

芭蕉をうつす

フォトアルバムを見ていたら、ああそうだ。伊東忠太が関わったこの建築を見たんだった。

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PDFのパラドックス

今日、Twitterでこんなツイートがあった。

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もっと気軽に、美術館へ!

テートブリテンをキュレーターのGus Casely-Hayfordさんが歩く映像。ラフなファッションで何も持たずに絵と絵のあいだを飛んでゆく。こういうふうに美術館を歩き回き、会話していくのがいい!作品と格闘するのも、戯れるのも。

“ART OF ANOTHER KIND”

グッゲンハイム美術館の”ART OF ANOTHER KIND”展のサイトがすごくカッコイイ。JAVAで動かしている。どこがやったんだろう?ちょっとググってみたけれどやり方が悪いのか、わからない。

美術館は展覧会ごとに特設のウェブサイトを開くようになったよね。そのはしりってなんの展覧会だろう?インターネット・メディアと美術というテーマで考えると面白いかも。