京都市営バス204をめぐる旅

Posted on 2012/12/20

京都での調査が終わった。
京都府立盲学校で毎日朝から夕方までずっと手を動かして・・・。昼休みは何も考えずにいた。調査をひととおり終えたことで気分転換にピンボールしたかったけれど、ちょっとぐったりしているので行かず。

わたしが通っていた京都府立盲学校は千本北大路の交差点近くにあって、わたしは204のバスを利用している。一番の理由は便利だからだけど、前からこのバスのルートが好きで、同時になんともいえないセンチメンタルな気持ちになる。この204のルートは以下のようになっている。map

wikipediaより引用

ごらんのように204は中心にある京都御所をぐるりと囲むようなルートといえばいいだろう。時計回り、反時計回りの両方が存在する。本数も多く、観光向きといえるかもしれない。

わたしが初めて京都旅行したとき、4歳だったろうか。二条城に行ったときの話はTMTKKNSTで書いたことがある。そのことは全く覚えていないのだが、中学生のとき、修学旅行は京都だった。そのとき、一番印象に残っているのが金閣寺だった。だから、金閣寺道を通るといつもあのときの金のお寺をみたときの「おおーーっ」と素朴だけれども、声をあげてしまったあのときの自分を思い出す。じつはあのとき以来、何度も京都に来ているのだけど、金閣寺には行っていない。いつか行くこともあるだろう。

その金閣寺道の東には千本北大路があって、これは京都府立盲学校の最寄り。何度も行くものだから、このあたりのグルメスポットはだいたい覚えてしまっている。若い人がどんどんおりていくけど、たぶん仏教大学の学生さんなんだろう。はじめて京都府立盲学校に行ったときのこと、不安な気持ちでこのバス停で降りたことを覚えている。盲学校の住所をプリントアウトしたものを持って・・・(たぶん)。

大徳寺の前もとおるし・・・そして、高野だ。高野というと一乗寺だよね。おいしそうなお店がたくさんあるんだけど、あまり食べ歩きをしたことがないのが残念。いつかまたトライしたい。でも、ここに降り立つのは、すぐ近くに凄く素敵な古本屋さんと中古ゲームショップがあるからなんだよね。ゲーム好きとしては外せないのが高野という次第。

高野をすぎると京都造形芸大前だ。ここにはかつて、「北白川バッティングセンター」という素晴らしいゲーセンがあった。正式には「スポーツランド北白川」(京都市左京区一乗寺塚本町111)というらしい。昭和のにおいがつよく漂っているゲーセンで、いまはもう見かけないゲーム筐体をみることができたけれど、いまはもう無くなってしまった。あ、でもこの近くに天下一品の本店があるし、美味しそうなケーキ屋さんもあったので、また行くことがあるかもしれない。

その次は銀閣寺道だ。金閣寺と銀閣寺に同時にアクセスできるバスは204と102だけ。ここも学生のときに3回観光したかなあ・・・。銀閣よりも東求堂。あの薄暗い部屋にさしこむ光をなぜか、まだ忘れることができない。

そして、東天王町をくるっと回って、京都御所の前を通り、京都府庁にさしかかる。この府庁前は京都盲唖院の跡地(現在は日赤第二病院)の前をとおるわけだ。そういう路線は他にもあるけど、京都盲唖院の資料をもっとも所蔵している京都府立盲学校に行くルートは204しかない。だから、府庁の前をとおるとき、いつも心のなかで手を合わせている。わたしはもちろん盲唖院の卒業生でもなんでもないのだけれど、でも、論文を書かせてもらった人として感謝の気持ちを伝えるというか、まあそういうことだ。

最後、西ノ京円町をまわって上(北)にすすむ途中、古川太四郎の墓がある竹林寺の前を通る。境内にある墓は背が高いのでお寺の塀をはみだしていて、バスの窓から墓のてっぺんがみえる。何度も目にした風景なのに、状況確認というか、「古川、いるかな? あ、いたー。」と無意識に思ってしまうのだ。あるいは「古川・・・」と意味もなく、呼びかけることもある。
わたしが京都盲唖院資料を何度か反復しているとき、ときどき古川の直筆を手にすることがある。その瞬間、古川太四郎の存在そのものがわたしの手の上にいるのを感じている。肉体は亡んでも書いたものはのこる。言語は永遠に響き続ける、見ようとする人がいるかぎり。

2012年 12月 20日(木) 23時31分25秒
壬辰の年(閏年) 師走 二十日 乙卯の日
子の刻 二つ

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