少し開いた戸の向こう側 — 志村信裕《Nostalgia, Amnesia》(2019)

Posted on 2019/02/06

国立新美術館で配布された、21st DOMANI・明日展の配置図・出品リストを見て、志村信裕の展示場所を確かめると、こう書いてあった。

Nostalgia, Amnesia
2019
シングルチャンネル・ビデオ、サウンド、約40分

「約」という数字がもつ意味は、この作品が公開にあたりギリギリまで作られていたことを示しているのかなと思った。出品リストにおける映像の表示で「約」というのは見たことはなかったからだ。

以前、わたしは志村の《見島牛》を森美術館で見たときのことも書いた。あれから数年が過ぎた。そんなことを考えながら、展示を見て歩く。

ところで、あなたは夏目漱石の短編『永日小品』を読んだことがあるだろうか。これは漱石の思い出や日常が連作になっていて、漱石独特の質量の軽重のコントラストがよく表現されている。このなかの「行列」という章がすばらしい。これは漱石のいる書斎の戸が開いていて、そこから光や子供達が歩いていくのが見えるという、漱石の日常を切り取ったシーンだ。冒頭だけ読んでみよう。

広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮ぎられて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒(ゆたか)になる。

このあと、仮装した漱石の子供達がどんどん降りてくる。漱石の居室である書斎の戸が二尺、今でいう60cmほど開いており、戸の外に広がる廊下がみえた。そこにはガラスの扉があり、日の光が入ってきて書斎の近くまで射しており、春への思いがしたという。カラフルな暖かいイメージがある。ちょうどこれは、梅が咲く期待のある2月だからこそ思い出したのかもしれない。

わたしはこれを読んだとき、漱石は映像をみているかのようだなと思った。テロップのような全体を構成する部分が流れていくような映像だ。そう思えたのは一連の出来事が60cmという限られた空間にみえているからというのがある。でもそれだけだろうか、過去の自分がどこかで類似するものと出会っているのだろうか。小さな記憶を手繰っていると、様々なイメージが浮かぶ。松坂市にある本居宣長の邸宅で1階から2階にある有名な居室を見上げた時の光だろうか。そんなことを考えていると、わたしとすれ違ったもののなかに志村の映像があった。

その瞬間、鬼籍に入った漱石が志村の映像を見ることはできないにもかかわらず、漱石は志村の映像を見ているかのようなときが訪れた。

なぜだろう。漱石が表現しているように上から落ちてくる光が、ガラスを通じて、床に射しているというスクリーンのない投影の描写が、かつて志村はスクリーンに投影せずに空間に画鋲やボタンといった日常にあるものを投げかけるという作品を展開してきたことを彷彿させたのだろうか。でも、わたしはまだ漠然としていた。

わたしは展示をみる歩みを進め、《Nostalgia, Amnesia》が上映されている部屋に入る。ボックスのような壁に投影された映像。このボックス自体、自立する構造になっていて、スクリーンというよりは光を発する何か、未来的な装置だ。

そこに映しだされている映像は、バスク地方の移牧をする中年男性の羊飼い、ニッターのおばあさん、成田の三里塚の初老の農家といった地理も人生も異にする人たちが相互に出てくる。9章、冒頭にチャプターが出るという構成である。あるチャプターにはフランスと日本を行き来するかと思えば、そうでないチャプターもあるけれど、基本的に舞台となる日仏の行き来が激しい。

そういう異なる土地と人をつなぐのはずばり、羊である。バスクで移牧をしている男性は、牧羊がバスクの歴史とともにあったということや乳を搾ってチーズにしていることや雄雌を管理していることが語られる。とりわけ、近代における化学繊維の流通がバスクの羊毛の価値をほとんど落としてしまったというところが胸を打つ。映像の後半で、その価格がサラリと算出されているのだけれど、価値としてはほとんど極限まで落とされているのではないか。マーキングのためか、羊の毛にかき氷で見るようなストロベリーやソーダ色のスプレーが吹かれているのもなんだか可笑しい。
その羊の毛はゴワゴワしているというが、バスクのニッターであるおばあさんのが着ているカーディガンはまさにそのゴワゴワする肌触りに見受けられた(バスクの羊毛はマットの毛として素晴らしいものだという)。編むために羊毛を線状、糸とするために糸紡ぎ機にかけていくところは羊毛を糸にする過程であるけれど、何かを何かにするためのプロセスが現代ほど分断され、見えなくなっている時代はなかろう。

羊は飛ぶ、成田にあった下総御料牧場へ。明治初期に牧羊に適しているとして開拓されたところだが今は閉鎖され、成田空港になっている。そこで農業をしている男性がいる。ちなみに、緬羊会館なる建物も登場し、ジンギスカンも食べるシーンも挟まれる。
つまり、この映像における羊は、羊毛、乳、チーズ、食用としての羊の身体というものが資本の対象として腑分けし、圧縮されている。

現代の三里塚は、北井一夫や加納典明ら写真家が激しい肉体の衝突を撮影している時代と比べてみれば、長閑な情景にみえる。それは衝突が終わっていることを意味しているのではなく、次なる衝突への、つかの間の空白にすぎない。それは速度化社会の象徴かつ科学工学の最先端を歩み続けるジャンボ機と軽トラが同じ空間に併置するように操作されたカメラワークによって示されている。数百億するジャンボ機と百数万円の軽トラが映像の端から端まで並走することによって。

それに、身体の所作。ニッターとして引退した女性。一生を三里塚の農家として終えるに相違ない男性。その手と人間といえば、ルロワ=グーランが石器時代における石の削り方について分析する時に手の動きについて述べている。手の技術の分岐として、何かを何かに変えるという「技術」がある。糸紡ぎ車を操る手と、里芋を削る手として投影されている。その動きのシンクロは、足によって強化されている。バスクで糸紡ぎ車をまわす足と(夫と息子が踏み板を足すことによって糸を紡ぎやすくなったという)、三里塚で里芋を削っている身体の足が投影されることによって。志村は慎重に、身体における手と足の所作を交互にみせている。バスクと三里塚という異なる存在を前後させることによって、鑑賞者の記憶を強化させるように思える。古代ギリシア伝来の記憶術を映像として地で行っている。

広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮ぎられて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。

なぜ、わたしは、漱石が志村の映像を見ているかのように思えたのか。それは《Nostalgia, Amnesia》が示しているように思えてならない。それは3つあって、ひとつは映像とは身体の向こう側からやってくる光そのものではなく、現象による出来事であるということ。それから、そこに行くことはできないということだ。最後に、《見島牛》のように全体というよりは全体を流れる予感のするカメラワークによって構成されていることだ。

こう書いてみれば、凝った手品のトリックが思いのほか簡単なのを知った観客の気分のようなありたきりな結論だろう。映像とはそういうものだから。
けれども、志村は羊をもって日本とフランスという異なる地理と人生を投影している。それも深刻なことである、バスクと三里塚における農業の状況、羊の移牧の厳しさ。その先に何があるかは全くわからず、冷静に考えたらば絶望が口を開けて待っている。春があると信じたくともそれすら難しいこの世だ。ここにおいて、漱石が見たあの戸の向こう側が思い出される。ほんの少しだけ開かれた戸の向こう側。そこには全体そのものではなく、全体を動かしていく小さな出来事がある。その先に春の思いがあるならば、それは志村信裕《Nostalgia, Amnesia》なのだ。

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