高橋由一との再会(高橋由一展)

2012年 6月 08日(金) 23時14分45秒
壬辰の年(閏年) 水無月 八日 庚子の日
子の刻 一つ


Ferenczy Károly(1862-1917)という、ハンガリーの画家がとても気になるこのごろ。ハンガリーには彼の美術館もあるようで、著名らしい。日本では紹介されたことがあるのだろうか? 果たしてどのくらい知られているのであろうか。実物をみたことはないけれど、境界の曖昧さと身ぶりがなす雰囲気は、印象派の・・・そうだね、スーラとかのインスピレーションを受けつつも近代における「不安」が感じられ、ムンクのようでもある。
宗教画も描いているようだ。これは東方の三博士だろう。

カメラとコンピュータを使って一筆描きで自画像を作成するシステムの映像。このセルフ・ポートレートを試した人たちの写真もある。面白いのは、「自分を見ず」に「オートメーション」で描かれるということだろう。ゲーセンには、顔を撮ってもらったら自動的にイラストになってくる機械があったけれど、それとも違う。被写体がペンをもって紙の上におけば自動的に絵が描かれるというプロセスが入っている。
Poliziano “Stanze per la giostra di Giuliano de’Medici”
(Firenze, Antonio Tubini, lorenzo d’Alopa, Andrea Ghirlandi, c.1500)
いま、集中している研究があり、そのなかで少し気になることがあったので、アビ・ヴァールブルク『サンドロ・ボッティチェッリの“ウェヌスの誕生”と“春”―イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』を読み始める。原書は1932年、ライプツィヒで出版されたもの。わたしにとってヴァールブルクの出会いはだいぶ前で『蛇儀礼』が最初の読書だった。
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ヤコポ・デル・セライオ《プシュケーの物語》(1490年頃、ボストン美術館)について記録しておきたい。セライオの生没年は1441–1493というが、確定していないそう。もしそうであれば、15世紀に活躍したフィレンツェの画家とまずは覚えておこう。むろんこういう人いっぱいいるけども。セライオのこの絵はもともと家具の一部だったらしい。横に細長い家具だったと想像される。
機械の鳥かご。まさにちゅんちゅん!じゃないの。
@kandelion さんが「てぃっつぁんのFBとかリア充の極みに違いない」というので(てぃっつあんとはティツィアーノのこと)、もし、レンブラントがFacebookをしていたら?という内容をポスト。
ゴッホやフェルメールとやりとりしている。ゴッホとレンブラントは生没年が重なっていないので本来は会っていないはずだけども、楽しい。
クリスティアーン・ホイヘンスやルーベンスとも繋がってるwwww
いま、東京芸大であっている、高橋由一展に向けて『三島通庸と高橋由一 ― 西那須野開拓百年記念事業』という本を前に読んだのでここにメモしておきたい。
これは、三島が土木工事で切り開いた道、栃木、福島、山形の道を高橋由一が描いたことを中心に論じている本。高橋は200点ほど描き、そのなかから128点をピックアップした『三県道路完成記念帖』(三巻)を出版した。
裏返してみれば、三島が油彩画によるイメージの敷衍という効果を知っていたからではないかということが論じられている。
いくつかMacのアプリを試す。テキストエディタを変えようと思って。
これまでevernoteを使っていたし、今もそうするつもりだけれども最近はちと重い。それで以下のものを見つけてきた。
日本画で屏風という形式を考えるとき、どうして六曲がメインのフォーマットになっているのかということがある。二曲、四曲、八曲の屏風があるにもかかわらず、どうして六曲が定着したのか、という話。それで、『日本美術襍稿: 佐々木剛三先生古稀記念論文集』には村重寧さんの「二曲一双」が収録されているのが参考になる論文。これは本来は宗達、光琳、抱一の二曲屏風について考察するのが目的だが、前半に屏風に六曲が多いのかという理由を書いている。以下、村重さんの話をまとめる。
PAPA(Professional & Amateur Pinball Association)の大会動画、セミファイナル。ここで使用されている台はFamily Guy(1999, Stern)。とくにJim Belsitoさんのフリッパー際のプレイがいい。丁寧に、そしてスピーディに落ち着いたボールさばきをみせていて参考になる。
Radioheadの”House of Cards”という曲。トム・ヨークがVelodyne LIDARによって捉えられた映像。身体にある細胞をできるだけ簡略化しているので、面が点のようになっている。これはなにか、ライプニッツのモナドのようにも感じられるし、モーションキャプチャーっぽくもある。
そして風景がでてきては、掻き消えてゆくところがあって、実際にあった風景を早送りすることで、わたしたちの記憶を曖昧にし、廃墟のようにしてく過程のようにもみえた。いうならば、これは記憶そのものを映像にしたようなものなのかもしれない。

レオナルドの「最後の晩餐」をオートマトン(自動人形)としたもの。Henry Phaliboisに帰属、1890年代ではないかというもの。これはいいね!
ちなみに動画もあり、こちらで見られる。
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Velodyne LIDARというものを使っている。レーザーを照射してその反射で周囲を形成するというものでコウモリやイルカがやっている方法に近い。

スゥ・ドーホーの”Bridging Home”(2010)という作品。 この人はメゾンエルメスや東京都現代美術館で展覧会をしたことがあるので、国内でも知名度があるアーティスト。でもこの作品ははじめて。これをみたとき、青井哲人さんの『彰化 一九〇六年 市区改正が都市を動かす』を思い出した。彰化(チャンホワ)は台湾の中部にある小さな古い街で、訪問したことがあります。

BBCのPinball wizard Tim Arnold shows off his Las Vegas museumをみた。ラスベガスにあるTim Arnoldさんのお店”The Pinball Hall of Fame”の紹介映像。ピンボーラーにとっては聖地なのにまだ訪問したことがないけれど、写真は何度かあるけれど、映像は初めて見た。知らない台がいっぱい。これだけずらりと並んでいる様は日本にはひとつもないのではないか。わたしがラスベガスを訪問したらば、昼間からヴェンチューリの『ラスベガス』をなぞるフィールドワークをしてからピンボールをしそう。たしかにラスベガスはその肥大な広告や過剰なネオンがピンボールの雰囲気とシンクロする面があるのではないだろうか。
アーノルドさんのインタビューを要約すると、俗にいうピンボールコレクターはピンボールファンのためになにかすることは考えないのか、と。それがこのお店のモチベーションにつながっているのだと考えたい。そのような自分が大切にしていることをひっそりと秘めやかにもつことは大切なことではあるけれど、オープンにできる部分を模索していくことはなにもピンボールに限らないことだと思う。わたしのなかにある精神も多くの人のためにありたいと思う。
「バットマン」(1989)を見たことがあるけれど、このシーンはすっかり忘れていた。ジョーカーらが美術品を傷つけていくシーン。よくみれば、レンブラントやドガじゃん・・・。

Evelyn Mary Dunbar (1906–1960)
A 1944 Pastoral Land: Girls Pruning at East Malling
初めて見た。切り取られた手によるワーク、静物、枝の手入れをする人々。遠近法が極端だね、こないだ東京国立近代美術館でみた原弘展にあったFRONTみたい。
Pillars from the Church of Saint Polyeuktos,
Constantinople, now in the Piazzetta di San Marco, Venice. Photograph by spoliast
メトロポリタンにて開催されている 「ビザンチウムとイスラム美術」は面白そう。公式ブログをみると情報量があってよい。
写真はヴェネツィアのサン・マルコ広場の「ピラストリ・アクリタニ」だね。第四次十字軍によってヴェネツィアまで運ばれたコンスタンチノープルの中心にあった教会、アオギス・ポリエウクトス(Saint Polyeuktos)の柱。ユスティニアヌス帝の娘、アニキア・ユリアナによって524-527年頃に建てられた教会だと教えられた。でも、この教会はすでに失われてしまっていて、全貌がわからない。もし何かの史料よりわかったらば、それはそれはすごい論文になると思う。しかしこのような意匠の柱がいくつも並んでいるところに出たらば、どこを見るべきか眩暈がするかもしれない。
source: http://www.metmuseum.org/en/exhibitions/listings/2012/byzantium-and-islam