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保護中: 関東聾史研究会3月定例会

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わたしは女性を探している — 川村麻純展

昨日、資生堂ギャラリーで開催された川村麻純さんの個展へ。
わたしは川村さんの展示を二度訪問したことがある。最初はBankartで開催された芸大先端の制作展。これについては「見えない女性たち」という感想を書いた。そのときはヴィトーレ・カルパッチョや小瀬村真美さんのことを引き合いに女性たちの生死の表現が気になったし、川村さんの「声を撮りたい」という言葉に驚いたのだった。

その次は、LIXILでの個展だった。このときは、平日の昼ということもあり、あまり人がいないことをいいことに「女性の目と自分の目を合わせてみるとどうなるかな・・・」ってあのスクリーンに接近したら、その女性からずっと見つめられているというドキドキ感があった。時間を越えてわたしとその女性が見つめ合っているということになろうか。川村さんが被写体にカメラを見つめてくださいと指示していることがよくわかる撮影なんだと実感している。
ということで、今回は3回目の訪問になる。

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感想(2) ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

東京五美術大学連合卒業・修了制作展に出品されていた百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》の上映が終わりました。武蔵野美術大学のブースで、しかもテレビとヘッドホンによる上映という、作家にとっては「好ましくない環境」でした。

それゆえ、出演者としてもあまり積極的にPRはしなかったのですが、ヘッドホンがある、ないだけで全く違うように見えてしまうことであったり、あるいはヘッドホンがない人にとっては、聞こえない人が映像をみるかのような状況になっているという指摘もありました。また、ヘッドホンをつけてもなお、声を聞くことはできないという指摘もあったように周囲の反応がよく、広報させていただいたという経緯があります。

今日でその上映も終わりましたし、百瀬さんがKABEGIWAのポッドキャストで、ある程度、作品の背景について語っていると聞いていますので、ここでも少し3点、応答しておきたいと思います。ネタバレにならないように書いておきます。

(なお、まだ見ていない人は読まない方がいいでしょう)

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大乗寺の儚さ

愛知県立美術館にて「円山応挙展―江戸時代絵画 真の実力者―」が始まりました(2013年3月1日―4月14日)。

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明治の新聞記者・金子静枝

「京都新聞」2013年2月22日付、明治の京都で活躍した新聞記者・作家の金子静枝について寄稿しました。もとはといえば、去年の表象文化論学会において発表したものが京都新聞の方の目に留りました。
以下よりダウンロードすることができます。
http://tmtkknst.com/LL/wp-content/uploads/2013/02/kaneko20130222.jpg

この掲載日はわたしの誕生日でもあります。そして、この記事の〆切が18日で、金子の命日でした。金子の命日に仕上げられた記事が、わたしの誕生日に載る・・・。何かの因縁でしょうか?

どうぞよろしくお願い致します。

2013年 2月 28日(木) 17時18分52秒
癸巳の年 如月 二十八日 乙丑の日
酉の刻 一つ

エル・グレコ

elgreco
keyword:エル・グレコ展/ギリシア/クレタ/ウィトルウィウス/ヴァザーリ

2013年 2月 27日(水) 00時13分03秒
癸巳の年 如月 二十七日 甲子の日
子の刻 三つ

VHSの摩擦

河合政之さんのヴィデオ・インスタレーション。
パソコンなど準備されたイメージは使わず、VHSというアナログなものを使って、映像を映し出すという。ザァァァという音がするかもしれない、わたしのようにアンテナを使ってアナログテレビを見ていた世代として最後のほうにあたる人からみると、これはテレビのあの歪んだ像ではなくて、VHSと再生装置のあいだで人為的なスパークを起こさせたときの電子的な歪みなんだろうと思う。言葉が出てこなかったりするときがあるだろう?そんなときのなんともいえない、言葉へのしにくさのようなこと。一度河合さんのパフォーマンスをみてみようと思う。

2013年 2月 21日(木) 19時12分17秒
癸巳の年 如月 二十一日 戊午の日
戌の刻 一つ

写真と風景のあいだ

20130218

keyword:鈴木理策/ギャラリー小柳/アトリエのセザンヌ

加藤由美子「黄金金閣 — 炎上から再建へ」

前のポスト「新聞の挿絵にみる、明治の金閣」と関連しますが、鈴木博之編『復元思想の社会史』のうち、加藤由美子(1972 -)「黄金金閣 — 炎上から再建へ」(148-157頁)の部分を読みました。

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これは、金閣が昭和25年(1950)7月2日未明に炎上する前後の背景と復元されたときの動きを俯瞰した論考です。

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新聞の挿絵にみる、明治の金閣

明治の『京都日報』にあった連載小説より、金閣での捕り物の挿絵があった。
これは金閣をバックにしていて、主人公が屋根から飛び降りていると考えられるところ。ちなみに金閣は1950年に焼失し、1955年に再建しているのでこのイラストは焼失前ということになる。 Continue Reading →

服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(2012)

服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)を読了しました。

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史料に史料をたたみかけるような史料批判は煩雑になりやすいところですが、「ここにはこう書いてあり、これにはそうあり、このように読みとれる・・・」と平易であろうと務めようとする気持ちが感じられました。
目次はこちらをみてください。以下、気になったところをメモとしてまとめておきます。

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ニンテンドー64にイジェクターが無い理由

任天堂が販売していたゲーム機「ニンテンドー64」にはイジェクターと呼ばれる、カセットを抜くためのスイッチが無い。ファミコンとスーパーファミコンには採用されているが、ニンテンドー64には無いのである。これは説明書も含め、ニンテンドー64に関する書籍には情報が含まれていない(管見のかぎり)。
そこで、わたしは任天堂の問い合わせ窓口まで尋ねたことがある。そこで得られた回答は以下のようになる(原文のまま)。

—-
ゲーム機本体の機構は、その必要性やデザイン、コストなどさまざまな要素を考慮して決定いたします。

最終的に、ニンテンドー64では、イジェクトスイッチを採用いたしませんでしたが、さまざまな要素を勘案して決定しておりますので、具体的な理由はお答えいたしかねます。

ご期待に添えず申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申しあげます。
—-

理由は教えられないという。イジェクターそのものはシンプルな装置で、とくに難しい技術が必要とは思えない。本体の流線の効いたデザイン、基板の位置、イジェクターの配置のデザインがうまくマッチングしなかったかもしれないし、生産上の問題もあったのかもしれない。さてどうなのだろう?ニンテンドー64が何周年かを迎えたときには明らかにしてもらいたい。

2013年 2月 04日(月) 20時37分38秒
癸巳の年 如月 四日 辛丑の日
戌の刻 四つ

中原中也 最後の詩

中原中也が生前最後によんだ詩。

この写真は、山口市の中原中也記念館にて。
なぜかふっと思い出した。

光を消す – ゲルハルト・リヒターのストライプ

20130126keyword:ゲルハルト・リヒター/Gerhard Richter/ワコウ・ワークス・オブ・アート/WAKO WORKS OF ART/Strip/”New Strip Paintings and 8 Glass Panels”

2013年 1月 26日(土) 23時35分37秒
癸巳の年 睦月 二十六日 壬辰の日
子の刻 二つ

感想 ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

平成24年度 武蔵野美術大学 卒業・修了制作展において、百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》をみた。

わたしは、この作品で「木下さん」と呼ばれる出演者だ。

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百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》について

武蔵野美術大学大学院の院生、百瀬文さんが修士制作として、わたしとの対談を映像作品として制作されました。
優秀賞にきまったとのことで、おめでとうございます。後日再上映もあるそうですが、今回はじめての上映ということでご案内致します。
撮影後の編集については、一切何も知りませんし、まだわたしはこの作品を見ていません。スクリーンに映し出された過去の自分とその内容についてどのような感情を抱くのかをいま、想像しています。

どうぞよろしくお願い致します。

以下、引用。
——————————

皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

このたび、平成24年度武蔵野美術大学卒業・修了制作展にて新作の映像作品を上映いたします。
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立命館での講演風景

lecture201301

生存学センターより頂いた写真。創思館の401、402のレクチャールームなるところ。
スライドの前にいるのがわたしで、その向かいには手話通訳者が着席するという仕組みで進めました。
じつは作業がたてこんでいて、徹夜明けだったりする・・・。
それはともかく、この報告の内容については、こちらを参照してください。

2013年 1月 15日(火) 22時45分20秒
癸巳の年 睦月 十五日 辛巳の日
亥の刻 四つ

 

 

立命館大学先端総合学術研究科での講演について

1、はじめに
立命館大学にて講演をしてきました。テーマは「明治10年代の京都盲唖院の発展と縮小に関する諸様相」でした。
ねらいは、京都盲唖院に関するトピックをしぼって話をしてほしいということで、京都ということもありますし、現地の方ならば誰もが知る事項についてお話ししようと考えていました。そこで取り上げたのは、

1、明治13年7月に明治天皇が京都盲唖院の授業を天覧したことについて
2、琵琶湖疏水の計画によって、京都盲唖院の経営が厳しくなったことについて

でした。また、参加される方々は院生が中心と思われるため、研究の手法についても知りたいという希望があり、それについても内容を盛り込むようにしました。

ここではどのように準備をし、どのように発表をしたのか、またディスカッションではどのような話題があったのかについて記録しておきたいと思います。

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突然出てきた女

帰省中、家族で夕食を食べたときに母から聞いた話。

母が小学生のころ、父(わたしから見れば母方の祖父、故人)の実家に帰省したときの話で、場所は大分の宇佐。
たまたま母が家を出て外にいたとき、隣家から30歳と思わしき女性が出てきて、いきなり「あーあー」と言ったという。言葉を話すことができないことが明らかで「どうしたんだろう」と怪訝そうにしていると、父が「あの人は耳が聞こえないんだ」と教えてくれたという。その人は教育を受けた経験もなく、ただ家にいるだけだったという。それっきりその女の人には会っていないとのこと。
これは、母が初めて聾者という存在を知ったという話で、どうして今まで話してくれなかったのかなあと思っていたけれども、ふっと思い出したという。

これは母に限らず、京都盲唖院関係の調査をしているときにときどき聞く話ではだけれども、母がそういう聾者をみたというのは知らなかったな。
わたしはこの会ったこともない女の人やその家に行ってみたくなった。学校に行かせなかったのだろうか。

・・・・・・・

もし、わたしが明治に聾者として生まれていたら。
あの女性のように「あーあー」と言いながら、ほとんど無意味に近い人生を送るのだろうか。それとも京都盲唖院か東京盲唖学校に通学しただろうか。これは、どんな家に生まれるか、あるいは何らかの出会いによるものだろうか。

まあ、そんなことを考えること自体とりたてて意味のあることではないが、日本語をこうして読み書きしていること自体が不思議なことに感じられるような、そんな話だった。

2013年 1月 06日(日) 23時09分00秒
癸巳の年 睦月 六日 壬申の日
子の刻 一つ

絵の見せ方 — ある家の方法

道を歩いていたら、こんな家をみかけた。立派な構えで、戦前の建築のようにもみえる。庭の木が剪定されていることや郵便受けの具合からして、人が住んでいる気配がする。この家の前をとおったとき、玄関先に目をひくものがあった。黄色いものだ。

Th DSC 5523

一見してすぐわかるけれど、正月を意識した油彩画だった(注連縄が飾っていなかったけど)。この絵は二枚あり、バックが同じ黄色なのでペアで制作されたものであろうか。
たしかにこの玄関先に華を添えている。 Continue Reading →

遠近法の静かな崩壊 — ポール・デルヴォー

下関市立美術館にてデルヴォー展をみる。府中市美術館では「夢にデルヴォー」と「夢に出るぞー」と語呂合わせしたコピーが使われていたけれど、下関ではそのようなものが使われず。どうも地域によって広告のやり方が違うようだ。東京だとあまりにもオーバーフローしているためか、奇を衒うようなやり方がマッチングしているのだろうか。それはさておき、府中市美術館で見逃していた展覧会を下関でみたというわけだ。

デルヴォーについての思い出がある。それはだいぶ前、横浜でのことだった。
みなとみらいにある横浜美術館の常設展示にデルヴォーの絵画がよく展示されている。それで、ある日、シャンパンを飲み過ぎて、少し頼りない足取りで横浜美術館を訪問したことがあり、デルヴォーの絵の前にたったことがある。 Continue Reading →

2013年の始まり — お雑煮

母からお雑煮の作り方を伝授された。作るのをお手伝いする機会はこれまでもあったけれども、一から作る方法を教わったのは初めて。

母は言った。

「これから何があるかわからないからね。」

確かに。いつの日か、わたしの両親は鬼籍に入る。もちろんそれはわたしだって同じことだけれど。そういうとき、わたしが困らないようにというつもりなのだろう。
母の言葉に感謝しつつも、我が家の台所でそのやりとりをしたとき、一瞬が永遠に、永遠が一瞬に感じられた。

正確には、母の実家のお雑煮の作り方で、そんなに難しくないレシピだったけれども、わたしがこれを一人で作ることはあるのだろうか?
そんなふうに2013年は始まった。

2013年 1月 02日(水) 00時16分20秒
癸巳の年 睦月 二日 戊辰の日
子の刻 三つ