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20220317

3月17日。シュワー・シュワー・アワーズの報告書やら書類一式を整えて提出する。終わりがみえてきた。また、横須賀美術館から教育普及事業の年報をいくつかいただいたのを拝見した。長年こうした取り組みを継続されている姿勢がすばらしい。「絵の具の海でおよごう」という、美術館前の広場に15m正方形の布を開いて色絵の具の入った水風船を投げつけたり絵を描いたりするイベント。爽快な気分になれそうだ。

昨晩、大きな地震があった。一度はすぐ収まったが二度目が大きかった。ぐらぐらと揺れる照明。船に揺られているような感覚があった。わたしたちは陸地にいるにもかかわらず、流動的なもののうえに立っているようだった。この感覚は初めて。だいぶ前に大分から四国まで夜行のフェリーで渡ったときにぐらぐら揺れてなかなか寝られなかったことを思い出す。長塚節の『土』を読むと、ひんやりして不動の大地があるものだと思っていたが、そうした大地という概念すら揺らいでいた。

米が届く日。時間も指定してあるのだが、問題は玄関のインターフォン音が聞こえないことにある。ろう者向けの福祉機器でインターフォン音に反応して光る機能のある機械をもらっていて、それを頼りにしているのだが、それに加えてiPhoneのサウンド認識機能を利用している。インターフォン音に反応して表示が出るので常にiPhoneを置くことになる。電子工学的には、音に反応し、それを他の感知可能な方法に変換するということになる。これらの機器が耳で聞くという機能がないこの身体の身代わりとして働くものとなっている。この身代わりあるいはDummyというものは身体障害と深い関連があるように思う。

20220316

3月16日。日記を書かねばならないのに3月があっという間に半分になってしまったのであせっている。3月5日にシュワー・シュワー・アワーズを終えることができ、ACYに課せられていた最終報告会も10日に終えることができた。執筆や書類作業、いろいろと締切を乗り越えてきているところにある。

あまりにも世の中の動きがめまぐるしい。どのニュースもロシアのウクライナ侵攻のことを逐次伝えているからだ。NATOの存在、ロシアの政治思想・歴史が複雑に絡んでいて、今日はロシアが欧州評議会を脱退したという報道。戦争から4週間が経とうとしているが、まったく収まる気配はなく、ウクライナ国内にある原子力発電所も攻撃されている。状況は膠着しており、日が経つにつれてロシアの立場は危うくなるばかりだが、南東部で着々と領土を占領しているのでどうなるかまだわからない。わたしはかつて、「知覚のクラッシュ」という論文で、辺境について権力が及びにくい曖昧な帯域だと引用して書いた。わたしたちの生活圏において、リキッドに作用しうる辺境の重要性を今回の出来事から思う。
昨日はロシア国内でも国営の「チャンネル1」に戦争反対と書かれた紙を掲げたスタッフが登場し、「プロパガンダを信じないで。ここの人たちは皆さんにうそをついている」と書かれた紙を掲げた。ツイッターをみると彼女を讃える内容がみられるのとうらはらに、キャスターが平然としゃべっているし、カメラも微動だにしないために強い違和感が残る。この紙を掲げたスタッフはいったんキャスターの後ろ側に立ったのに、すぐに横に移動している。書かれたメッセージがキャスターの頭に隠れてみえないのに気付いたようだった。つまり、スタッフの視線にはリアルタイムのテレビ画面が確認できたのではないか。そのことを考えると、キャスターが背後に気づかないことはありえないことで、カメラも反応しないのは違和感があった。彼らの感覚がスタンしているかのように。

前後する。10日は受けている研究助成でメンバーとひさしぶりにzoomをして、今後の計画について共有する。春になったら内輪で研究会をすることになったので、それまで集中しないといけない。

12日、江ノ島まで杉山和一ゆかりの跡を追うために友達と出かけた。その内容はこちらでも書いた。江ノ島は藤沢宿から逸れて参詣するコースにあって、目前に海が開けるとともに島が姿をあらわしてくるというパノラマがおもしろい。高橋由一が江ノ島を描いたとき横に細長かったことを思い出す。

13日にウィリアム・ハートの逝去が報じられた。ろう者のコミュニティではマーリー・マトリンとの共演である『愛は静けさの中に』で知られる俳優。2009年に出版された、マトリンの自伝”Ill Scream Later”もあらためてニュースになっていた。それはハートから性的虐待を受けていたことがあるというもの。この自伝によれば、マトリンは彼との2年間の関係を共依存(codependent)だったと表現している。交際当時、ハートは飲酒をコントロールできずにいたこと、マトリンはコカインやマリファナをしていたことも。二人の関係はスイッチのオン・オフが激しく、感情的なものだった。

また、初恋の男性をはじめ、マトリンの恋愛遍歴も書かれているのだが、しかしそうした内容だと読むべきではなくて。現在を生きる、ろう女性の内面が伺える点がこの自伝の重要なところだろう。1988年のアカデミー賞の主演男優の授賞式のこと、マトリンは前年に主演女優賞を受賞しているのでプレゼンターをしている。その候補にウィリアム・ハートがいて、彼に受賞してほしくないと思っていたという。すでに破局していたが、それでも。しかしそれ以上にマトリンはろう者が口のきけない(mute)という思い込みにたいして、「声を出して話す」(aloud)することを決めていたことに意識があったようだ。プレゼンする前に言語聴覚士とトレーニングをしたという、そのときの映像が上に載せているもの。
また、印象的なのはミシェル・ファイファーと結婚したデヴィッド・ケリーとのエピソードだ。マトリンとケリーが恋人となり、ふたりの関係が深まってゆくと目と口による会話になってしまい、コミュニケーションがかえって難しくなったという。マトリンによれば、my languageつまり手話をケリーに覚えてもらい、ろう者の世界に入ってもらう必要があったけれど、ケリーが成功していくにつれて二人の関係が悪くなったことが書かれている。異なる身体、文化、言語、コミュニケーション方法によってすれ違いが起きることは、マトリンだけの経験ではない。ロシアとウクライナのように二者のあいだにある世界の同化・異化がけたたましく揺れぶられているのにわたしたちは巻き込まれている。

20220302

3月2日。前回は2月23日だからまるまる1週間、日記を書くことができなかった。ドラフトは書いていたのだが、言葉にできなかった。もっと言うと言葉を奪われていた。24日からロシアがウクライナに侵攻し、町に激しい攻撃を加えているさまがSNSや写真やニュース映像、報道が2月24日から朝夜問わずわたしのパソコンやスマートフォンの画面を滑っていき、これから熾烈になることは容易に予想された。消耗されたミサイルの数や破壊された戦車や装甲車、崩落した橋の映像はある一地方の社会・空間が崩壊したあとの断層をみせている。ショッキングだと一言でいえばすむかもしれない。けれども、それ以上にわたしが言葉を失ったのは、大国に立ちはだかるウクライナの人たちを讃える言葉や、兵士にまつわる美談である。パトリオティズムではなく、社会の不可視性のことだ。筒井淳也『社会を知るためには』にもあるように、社会はほんらい全てを見通すことはできないのに、戦争という状態は社会をひとつに圧縮しているように見せられることを目の当たりにしていたのだった。社会を完全に俯瞰することなどできないのに、すべての世界、すべての社会が戦争に頭が向けられている。また、戦争は真実として起きているのに、イメージの消耗品としても存在していて、ウクライナがロシアを撃退するというドラマが期待されているようにもみえたのだった(軍のシンクタンクの分析を見ればわかるようにそれはたいへん厳しい)。真実とイメージというふたつのことがかなたから亡霊のようにミサイルとして飛んできて、自分の足元がひどく脅かされているように思ったのだった。そうしたことにこの1週間、言葉を奪われてしまっていた。まとめていえば、この1週間、戦争はわたしを唖にしていたのだ。

20220223

2月23日。ロシアがウクライナに侵攻しようとしており、緊張感が高まっている。電光石火でしかも全面的に攻撃を仕掛けるようだ。予想されたことではあるが、戦争は終えるのが難しい。Along the Waysideで確認すべきところがあったので文献を読み、事実関係を考える。ほか、シュワー・シュワー・アワーズで必要な資料を収集。夜はスキャンしたものを整理した。ところで、図書館からの帰り道、Suicaの定期を拾った。名前にはフルカワとあり、年齢と学割のマークがあることから高校生のようだった。ちょうど古河太四郎(京都盲唖院の初代院長)が映る写真を買ったばかりなので軽く驚きつつも交番に届ける。奥から髪の乱れた巡査が出てくる。お疲れのようすだった。落とし主から謝礼は必要か、などと聞かれるが要らないと答えて出る。

20220222

2月22日。わたしの誕生日。だからというわけではないが、昨日スーパーで買い物をしていてひき肉がセール中だったのを買い求めてあったのでハンバーグにする。最近気に入っているレシピがリュウジさんのハンバーグで、ゼラチンを入れるというもの。これを厚めにして蒸し焼きにするのだが、ぎゅっと旨味が詰まっていて本当に美味しい。あわせて買っておいたキャベツの千切りを添えていただく。ひき肉、たまねぎ、卵、パン粉でつくられたものにハンバーグという名詞が与えられている。名詞というのはひとつの認識体なのだと思う。わたしと何かを区切るための。
Along the Waysideの10回目について原稿を整えたが、確認したいところが出てきたので図書館に行く必要が出てきた。WorkFlowyで閲覧すべき本をメモする。

20220221

2月21日。大学に出かけて諸々の作業を進める。電車で向かう途中、わたしはツイッターでたまたま流れてきた「現金3400万円を残して孤独死した身元不明の女性、一体誰なのか」という記事を読んでいた。残された印鑑の姓が珍しく、身元が特定されたという内容で、幸せな時期もあっただろうと思う。その女性の人生を親族や知人が振り返ることで、ひとつの人生が記事に圧縮されていた。それを読んでいたとき、大倉山駅で向かいの電車とすれ違う。向かいの電車のステンレスに陽光が反射し、光が窓を超えてこちら側になだれ込んでくる。さらに車内の手すりのステンレスやディスプレイにも反射が乱舞していく。幾重にも電車のなかをキラキラ、カラカラと走り抜けていき、あっという間に消えた。そのとき、わたしにはあの光がその女性の人生を彼方に運んでいったようにも思えたのだった。わたしはブラウザを止めて、iPhoneをコートのポケットに入れて外の風景を眺めていた。

20220220

2月20日。今日の予定はオンライン・ミーティングひとつだけで今後のプランについて突っ込んだ話をする。ほか、京都新聞で連載しているAlong the Waysideの原稿の準備をはじめたほか、収集してあった史料をあらためて読む。
前に写真美術館でみた、潘逸舟 《トウモロコシ畑を編む》にかんするインタビューがよい。引用する。

――メインとなるのは30分近いパフォーマンスの映像ですが、2m近くのトウモロコシの畑に隠れて、その中を進む潘さんの身体はほとんど見えません。変わりに聞こえるのが、複数のスピーカーから流れる、ガサゴソという音です。

潘:トウモロコシ畑の間を通りながら、自分がトウモロコシの葉と擦れていく音の痕跡を素材にサウンドインスタレーションとして構成しました。擦れる音は、摩擦であると同時に出会いでもあるんです。どんな土地にしても社会があり、それぞれにの土地に対して記憶があったという時に、その記憶はすごく個人的なものもあれば、共同体的な記憶もありますし、錯覚的に、この土地に初めて来たけど見覚えがあるということもありますよね。そういったものは、自分が生きてきた社会や教育されてきたもの、見てきたものとどこかで接続しているはずで、その接続がどういう作られ方をしているのかということも、やりながら考えています。

摩擦であると同時に出会いでもあるということにしっくりくる。鉛筆の炭が紙をこすることができるのは摩擦によるからだが、こう考えてみれば摩擦の存在しない社会では何も表現できず、思い描くものができないのではないか。

20220219

2月19日。東京都現代美術館でのシュワー・シュワー・アワーズ「身体から響く音楽をさがしてみよう」に向かう。クリスチャン・マークレー展に関連してのイベントである。電車のなかで新書を読みながら移動。清澄白河で降りて、東京都現代美術館まで歩いていく。気になっているベーカリーが駅近くにあるのだが、この日は休み。土曜日なのにめずらしい。先日通ったときは店主の怪我で休みますと掲示があったので怪我の具合が思わしくないのだろうか。踵を返して歩む、この道は下町の残影があって平坦で歩きやすく、いいカフェもある。住んでみたいところだ。タワマンを目指す。都現美に行くには美術館ではなく近所のタワマンを目印にすると自然に美術館がみえてくる。ある目的を達するためには目的そのものを目指すのではなく、その近場を目指すということだ。
美術館に着いて、関係者と会場のセッティングとして椅子とビデオカメラの位置を確認する。グラフィック・スコアの概念なり、クリスチャン・マークレーの作品はコンセプトにもあるように視覚と聴覚を行き来することができるという特徴がある。その背景には写真やレコードといった近代メディアによって見る/聞くということの分断があるということをマークレーのアイディアによってつなぎ直されているように思う。
時間になり、シュワー・シュワー・アワーズが始まる。展覧会を見てからトークをするプランなのでエントランスに集合して参加者の皆さんと挨拶。展覧会に案内していただく。キュレーターの藪前知子さんもいらしている、藪前さんがじっと作品の前に佇んでいるところを見かける。その後ろ姿からはいったいこの人は展覧会にどれだけの情熱、時間をかけただろうかと思う。トークの内容は身体から響く音楽を探そうということで、ある方が《グラフィティ・コンポジション》で短いパフォーマンスをされたのだが、雨に濡れたあとに乾いたらしい紙や破ける紙の表現も織り交ぜられていてすばらしかった。後片付けを終えて外に出ると雨が下町を濡らしていて、マークレーのその作品にあった雨に濡れて傷んだ紙が今もどこかにあるようだった。

20220218

2月18日。仕事の帰り道にスーパーでいちごを買った。通っているスーパーはレジ打ちに若い人もいれば、明らかに定年後の方もいる。後ろを見やると、疲れた顔でレジを待っている行列がある。レジを通しているあいだに、モゴモゴとマスクに覆われた口が動けば、わたしはポイントカードを差し出して、トレーに置く。行列を一瞥して、耳が聞こえないですと伝えるかどうか迷う。機械に通されたポイントカードを財布におさめる。意思疎通ができなかったら耳が聞こえないと伝えよう。わたしのカゴが空になると、またかのマスクが動く。支払方法を尋ねているのだと推測して、カードを示す。またマスクが動く。一括かどうかを尋ねているのだと考えて、「はい」と答えると正解ですと言わんばかりにわたしはレジを通ることができる。そのレジ打ちはわたしがろう者ということにおそらく気づいていないだろう。多くの身体障害者はいかにして「ふつう」に溶け込めるかということを教えられていて、障害を気付かせないことが善いことだと考えられている時代はまだ続いている。マスクだらけの社会になって気づくことだ。

20220217

2月17日。無人島プロダクションで開催中の荒木悠さんの個展を訪問しようと思ったが、恵比寿映像祭がもうすぐ終わるということに気づいて、予定を変更する。この展示は毎年訪れているが、今回は近代の展示の密度が目を引いた。小原真史さんが担当された「スペクタクルの博覧会」で作品が楕円になるように集めて構成するところが目をひいた。テーマのスペクタクルは視覚文化論でかならず引き合いにされる言葉だけど、この展示ではむしろ、視覚的なるものよりもそのオブジェ性、肌触りといったものがあった。それはひとえに、印刷技術によるものでざらついた感のあるポストカードやツヤっとした写真の表面のことだ。
スペクタクル以後の展示では、ひらのりょうの《Krasue(ガスー)》がとてもよかった。現実はそんなものさというラストシーンがとくに。その瞬間、前の席に座っていた女性がビクッとして、肩まで伸びたうねった茶髪がグラッと揺れたのだった。

20220216

2月16日。新しいゲラが届いた。書けば書くほどゲラも届くことになる。学期のレポートも続々と集まってきて、断続的にメールも入ってくるのですぐに返せるものはその場で返信をする。そういうわけでデスクワークのみにならざるを得ず、昼がご飯に豚汁だけという軽い食事だったので、夕方にお腹がかなり空いてしまい、五郎島金時の焼芋を手にする。焼芋は「ねっとり」か「ほくほく」があるが、きのこの山とたけのこの里の論争のようなもので、わたしにとっては好みの問題。どちらも好きでわりと適当に食べてしまう。その焼芋の表面にある乾いた皮膚の感覚とその内側にある黄金色の甘味の対比にゾクゾクする。見た目も手ざわりも異なる一枚の皮を隔てて新たな世界があることに。

20220215

2月15日。寒い朝を起きるのに一苦労しているが朝のコーヒーを楽しみに起きているところだ。昨日通った美容院でシャンプーをしてもらい、帰宅する前だったので整髪料をつけないまま店を出たのだった。だいぶカットしたので街なかを冷たく漂っている風が首筋にあたる。風呂のときには頭を軽く流しただけだった。起床すると枕に短い髪の毛がパラパラと少し落ちていた。
ゲラがどたっと届く。来週までに確認しないといけない。夜遅くまで作業を続け、シュワー・シュワー・アワーズの準備も一段落しつつある。わたしの家は丘の上にあるのだが、机の横にある窓からレース越しに夜の街を見下ろすと星々の街灯がぼんやりと、わたしの部屋を宇宙のなかに投げ込んでいる。

20220214

2月14日。チョコレート。夜になりかける時間、今年はじめていつもの美容院に出かける。お世話になっていた方がご結婚されて千葉に引っ越されていかれた。その美容院はハワイアンな感じで、くすんだ色の木目で構成されているが、高いところに神棚もあってどこか異国から見た日本のような気配がしている。いろんな漫画を置いていて、カットしてもらいながらそれを読む。今日はいつもは挨拶だけだったスタイリストにカットをお願いする。どんな風にしますか?と聞かれ、いつもはセンターパートっぽいのか、耳の上長めで髪を立たせるぐらいのが多いですねと曖昧な答え方をすると、髪を見ながらじゃあ、このぐらい切りますか?と髪をつまんで提案される。ちょうどいい感じでのそれでお願いしますと答えて、ここだけは長めに残したいと耳の上を示す。わたしはくせっ毛で耳の上はとくに寝癖がつくとなかなか直らないので、長めにしてもらっているのだった。けっこう梳いてもらったぶん、やや短い感じだったけれどもそれなりの仕上がりだったので次もお願いしよう。いま、カットのときに読んでいる漫画は冨樫義博の『幽☆遊☆白書』だ。霊界探偵編の途中なのでまだ前半だが、幽助の生きる世界とパラレルにいろんな世界があって、登場人物たちがそれらの世界を自由に行き来できるわけではないのは、ろう者が聴者の世界を自由に行き来できないことに似ている気がする。図書館にて戦後の雑誌をたくさんリクエストし、リサーチをする。

20220213

2月13日。連休の最終日なので出かけようとも思ったが、寒いし、〆切の近い仕事も溜まっているので家の机で作業をする。このときに手元にA4の反古紙がないと作業がうまく捗らない。この反古紙というのはミスコピーの紙だったり、もう使わないプリントの裏側、どこかからのDMの裏などである。紙質も違う。これらを束にしたものをキーボードの前においていて、何かあれば鉛筆でメモをする。用済みになったらその部分を塗りつぶしたり、紙を破ったりして捨てる。この行為をしていて気づくのは記憶は内側だけにとどまっているものではなくて、外側からやってくるものと合わさってはじめて記憶になるということだ。もう少しいうと、わたしの思考と行為の結果、文字、録音、映像といったフォルムが残る。その外側にあったものが再びこちらに返ってくるとき(メモを見る、映像を観るなど)にわたしの身体と凹凸の関係になるように思う。

20220212

2月12日。雨が降り、雪もまた積もるというニュースで朝から体が冷える。今年の冬は雪が多いようだ、北陸や北海道で豪雪のあまり、地元の方が除雪に苦労されているという記事をよくみるようになった。朝から暖房の温度を少し上げ、リンゴをむいたお皿を手元において締切の近い書類作成やシュワー・シュワー・アワーズについての広報など雑多な作業に集中する。その意味ではあまり記憶に残らない、ごく平凡な一日。
浜口タカシ『北海讃歌』が届いた。北海道で撮影した写真集で、全体的にかなりざらついた写真で、眺めているだけで自分の身体がいっそう冷え込んでくるのにたいして、民謡や浜口の文章も少し入っていて、カイロのようなほのかな暖かさもある。深沢七郎の『楢山節考』でも民謡が差し込まれていて、息子が母を背負って冬の山に分け入ってゆくところは寒々とした荘厳さがあったことを思う。

20220211

2月11日。雪も解けており、陽射しの良い休日、本を抱えて外出する。電車に揺られながら北村紗衣 『批評の教室』を読む。新書なのでページをめくるのもはやい。府中市に着いて、府中市美術館にて「池内晶子 あるいは、地のちからをあつめて」をみた。池内さんの作品はDOMANI・明日展(国立新美術館)や新・今日の作家展(横浜市民ギャラリー)などで見たことがあるけれど、個展は初めてみたのではないかと思う。わたしが動くたびに糸が見えて、風景が姿をあらわす。《Knotted Thread–red-east-west-catenary-h360cm》という作品がとりわけすばらしい。張力と重力が形となった作品が成立している。リーフレットにはそのサンプルとなる糸も貼られている。展示室で流れている動画には池内さんが糸を操る/巻く行為が記録されていて、その行いもまた作品の形として残存している。常設展で宇佐美圭司を見る、逆になった円錐の上を動くあの宇佐美独特の身体のシルエットが暴力というものを攪拌しているように思った。帰り、電車の中にサングラスにおかっぱ、黒いマスク、黒いコートの男性。ずっとメモを片手にスマホで何かを入力していた。お洒落なピンクのプリーツパンツを履いた女性。

20220210

2月10日。雨から始まる一日。天気予報では大雪の予報が出ている。今度、3月5日に予定しているシュワー・シュワー・アワーズの準備に集中していた。一言でいえば、これは美術館の展覧会をみて、その感想をざっくばらんに話し合う会だ。わたしは歴史家なので、何の関わりがあるのかと思われるかもしれない。だけれども、ろう者が社会との関わりを広げていくことと、いろんな人が在ることを実感できる社会を作っていくという意味では歴史研究とその成果(著書や論文の公開、研究発表など)を出していくこととさほど違わないように思う。窓を見やる。脇には積ん読の本がある。週末に読まなければならない。灰色が白に変化していき、雪がうっすらと積もりゆく。

20220209

2月9日。午後から横浜市民ギャラリーへ。月末から予定されている展覧会「モノクローム ―版画と写真を中心に」にあわせて実施するシュワー・シュワー・アワーズという、手話と日本語のある鑑賞会のために文献調査をすすめた。公刊されている資料を拝見しながら、全体のプランを考える。この展覧会では、一原有徳や斎藤義重の作品が展示される予定だ。かつてこのお二人の作品を見たことはあったけれども文献をこうして検めるのは初めてで、知らないことも多くあった。一原は小樽で約40年公務員として勤務しながら創作を続けたというが、こうした何かひとつのことに打ち込む人はいつの時代も眩しい。18時を回るまで読み、すっかり暗くなったギャラリーを出て図書館までの道でパンを食べながら歩いていく。街灯が遠く、パンの肌色がうっすらと青銅になっていて、チョコチップが真っ黒に粒々としていた。冬は未だ続く。

20220208

2月8日。昨日の授業が終わり、空気が抜けそうになっている風船のように少ししぼんでしまっていた。人前に立つというのは、オンラインでは得られない張り詰めたものがある。時間と空間を共有しているだけでなく、授業を受けているみんなの目は瞳がぬめっていて、わたしが映る鏡となっているということだ。「鏡の中に火を見ることもできた。」(フォークナー『響きと怒り』) わたしが小学校のときに使っていた物差しにシルバーに光る象さんのシルエットがあって、そこに太陽の光が当たっていた。それを動かしていると反射する光が壁から黒板に移ろいてゆき、授業をしている先生の目に到着すると先生が眩しがって「木下くん!」と怒られた。あのようなことだ。あのような、火を向けられるような体験を教壇に立つときにいつも思う。

20220207

2月7日。朝の気温があがっていて、気持ちよく起きられる。朝はいつも弁当を作りながら朝食を食べているという「〜ながら」。しかもこのときにスマホに入れている今日の予定も確認している。そういうわけでこの日は本年度の講義を終えたけれど、採点も待っている。もう少しというところだ。最近の授業で、1902年に出版されたヘレン・ケラーの自伝”The Story of My Life”について話したのだけど、これはタイトル通りの自伝ではなく、当事者が語られる/語ることによって視線が交わされるという構造になっているのが最大の特徴だと思う。というのも、目次構成が以下のようになっているのだが、ヘレンの自伝に該当するのは「I. THE STORY OF MY LIFE」だけでそれ以降はヘレンと関係者の往復書簡やヘレンの教育について書かれているからだ。

I. THE STORY OF MY LIFE
II. LETTERS(1887-1901)
III: A SUPPLEMENTARY ACCOUNT OF HELEN KELLER’S LIFE AND EDUCATION
 CHAPTER I. The Writing of the Book
 CHAPTER II. PERSONALITY
 CHAPTER III. EDUCATION
 CHAPTER IV. SPEECH
 CHAPTER V. LITERARY STYLE

Iが岩橋武夫の全訳になる『わたしの生涯』として刊行されている。これがわたしたちにとってヘレンのイメージ形成の元であろう。

20220206

昨晩、小説家の西村賢太さんが亡くなられたことを知った。わたしは西村さんの熱心な読者ではなかったが、「廃疾かかえて」「痴者の食卓」という身体障害を指し示す語句を表題にしているところに惹かれていた。というのも、明治・大正の日本では身体障害者を明瞭に定義する用語がなく、かつてからあった語句がひろく使われていた時代だった。そのひとつが廃疾だ。それを、障害者ではないものが自らを指していうことがあった。末廣鉄腸の『唖の旅行』という海外旅行の体験を書いた本がある。一見したところ、末が唖者(話せない人)が旅をした内容にみえる。しかし末廣は唖ではない。この表題を採用しているのは、外国語が話せない環境に着目してのことだ。つまり、異国の地においてその言語を話せない環境にいる自分を唖とたとえている。西村もまたあの時代の身体性と言語感覚を宿しているように思っていたのだった。ツイッターでは彼の逝去を悼むツイートがたくさんあった。砂糖をやや多めに入れた卵焼きが甘い。

20220204

2月4日。補講のために大学へ。授業の準備などで時間をかけたので、執筆とリーディングを休んでいる。しかもメールの返信も遅れているものがいくつかある。新型コロナウイルス感染症の関係で授業内容の録画もする。自分が話しているところを見ると、どうも手話が小さすぎるのではないか。もっと大きく、のびのび見せたい。
帰宅するのが遅くなってしまう。今夜、北京オリンピックの開会式について、ろう者が手話通訳のフィーダーと組んで通訳をするいわゆる「ろう通訳」が昨年の東京オリンピック閉会式と同様の方法で付けられていた。少しずつ進展しているのを実感するが、まだ課題も多い。たとえば、「ろう通訳」の認識性だ。SNSでは「ろう通訳」を「手話の人」とするものが散見される、手話が言語であることがまだ充分に認識されていないのではないか。たいへん釈然としないものをおぼえる。

20220205

2月5日。とんでもなく美しい風景を夢でみることがある。今日は岬の上に建つホテルで白を基調にした部屋で横に細長い窓から海が見える。夏の空のようにもみえる海で重力が入れ替わったかのようだった。だけど、トイレの横にある縦に細長い窓に近づくと黒に近い青の海だった。そこで両親と3人できていた。父がこれから転職しようかと思うと言い、どんな仕事がいいと思うかなと問う。わたしはまず思いつくだけ言ってみようと紙に書き出した。ホテルのロビーに出るとわたしはお笑い芸人になっており、多くの人たちの前でパフォーマンスをせざるをえない状況に置かれていた。また、その様子をわたしは写真家として撮影をしており、撮影したものもロビーに掲げられている。誰か分からないが著名な写真家がそれに点をつけており、わたしのものは素人だと批判されていた。ようやくわたしの撮影した写真1枚だけが評価される。
このあたりで目覚めた。夢の余韻を引きずりながら、オンラインでの研究会に参加し、ひさしぶりに他の先生方の発表や議論をうかがう。クローズドの研究会だったのでここではその内容を書くことはできないのだが、問題意識の射程のある研究は人を引き付けるし、突っ込まれてもそこから広がりを獲得していけると改めて思う。研究会が終わり、クロワッサンを食す。

20220203

2月3日。スーパーで太い大根が安買ったのでサラダにしようと一本買ってあったものを冷蔵庫から取り出す。葉に近いところを切り出して千切りにするために皮を薄くむいて、円筒に見立てる。それを上から真っ二つにするように端から薄く切っていく。それを倒したものをさらに切っていくと細長くなっていく。軽く水にさらし、水を切ったものを皿に盛り付けて、オリジナルの和風ドレッシングを軽く添えると大根サラダになる。シャリとひとつひとつが細長いものが絡まりあっているところに、褐色のドレッシングが侵入せんと白い領域を犯してくる。この一週間ほどは時間がブツブツと途切れ途切れで、何かをしていると断続的に別のことが入ってくるからだ。24時間から成る1日が外からの出来事によって千切りにされていき、束ねても元に戻ることはない。それを箸でつまんで、口に運んでいるとこのサラダが、最近の時間のありようにもみえてきたのだった。もう少し丁寧に作らないといけない。