通路にものをおかないということ

京都府立盲学校におじゃまさせていただくことはお伝えしたことがあるけれど、まわりを歩いているとこんな看板がある。なんというか、この看板をみることで、ああ盲学校に来たなという感覚が強くなる。わたしの場合、バイアスなのか、はり、きゅう、マッサージときくとすぐ盲人たちのことを思い出してしまう。

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一橋大学附属図書館での調査について

(写真:銀杏に囲まれる一橋大学。図書館は左側の時計台のある建物。右はあの兼松講堂。)

一橋大学にて資料調査をしてきました。
この図書館の利用方法についてメモしておきます。
わたしは外部者なので、資料を閲覧するときは前もって所属先を通じて連絡をしておく必要がありますが、この手続きはどこも同じなので省きまして、資料閲覧の許可がおりたら、向かうわけですが。

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藤原えりみさんを囲む食事会顛末記

昨日、藤原えりみさんを囲む食事会を企画させていただきました。 会場は市ヶ谷の「あて」。一度行きたいなとおもっていたお店。このお店のレビューについては、こちらなどをどうぞ。料理は3000円のコースに自由に飲む形式をセレクト。料理は少ないかな?と思いきや、そんなことはなかった。前菜からお椀、ごはん、デザートなどいろいろと出てくる。

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「あんぱさんど・おふ!in白金台」顛末記

「あんぱさんど・おふ!in白金台」なるオフ会をやったので、そのメモをしておきたい。

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100回目を迎えて

にっぽんmuseumより配信している、「アートシンクタンク通信」の隔週連載「ホログラフィー・アーキテクチャー」が連載100回目を迎えました。ここまでできたのは、編集を担当してくださっている、天内大樹さんのおかげだと感謝しています。彼との付き合いは、わたしが東大で大乗寺について発表した2007年以来です。この年の11月1日にこの連載のお話をいただきました。そのときはとてもうれしかったですね。
なので、もう5年のことになるのか。そのあいだに、天内さんは素敵な奥様を得られ、博士論文を提出され、いまは東京理科大の坂牛卓先生のところでご活躍されているわけです。わたしは果たして彼のように活躍できているかどうか・・・。頑張ります。

せっかくなので、この連載がどのようにして成り立っているのか、簡単にご紹介します。 Continue Reading →

彼女にはわたしのかげが外国人のように…

京都でかげうつし展をみる。

この展覧会は、京都市立芸術大学ギャラリー(KCUA)であっていたのだが、1、2階をつかった展示になっていて、1階が入口になっている。入るといきなり松村さんのポルノマガジン。
ああ、そうだ・・・。ここに入ったときに、女の子が座って監視スタッフをしていたのだが、荷物をもっていたので、「お預かりします」と話しかけてきたので、「はい」と言った(つもり)で、荷物を預けて、交換札を受け取る。ちなみに加納俊輔さんの作品が配置されているところ。

そのあとがおもしろかったんだよね。荷物をあずけるところはインフォメーションにあるんだけど、そこにチラシが置いてあることに気付いて、展示をぬけだしてそのチラシをみて戻った。そしたら、彼女が何か話しかけてくる。彼女の口を読み取ろうとすると・・・日本語じゃない。英語なのだ。英語で話しかけつつ、近づいてきたので、思わず身構えてしまった。

これは、わざとである。
わたしのことを外人だと思い込んでいるらしいことはわかった。アジア系の英語を話す人と思ったのだろうか。英語で返事しようかなとしょうもない悪戯心が芽生えたけれども、まあ、ここはそういう所ではない。彼女にはわたしのかげが外国人のようにうつされているようだ。心のなかで「フフッ」と笑ってしまった。
加納さんのぐしゃりとひねられたオブジェがそんなやりとりの背景にあった。

そんなふうにわたしは無言で反応したり、声をちょっと出しただけで外国人かな?と思われることがある。

さて、「かげうつし」について。高橋耕平さんの作品は知っていたけれど、こうして「かげうつし」のテーマで《Sight of the blinking. 2》はスクリーンに近づくと自分の影が一緒にスクリーニングされるところがとても重要なところだと思う。ビデオをプロジェクターで投影するという形式のありかたの歴史性についてもふみこんだら、おもしろかったかもしれないとも思った。もちろん、ストイキツァ『影の歴史』も参照されていたけど、そのあいだにはおそらく、OHPの歴史(というか、3Mの歴史)があるべきで、これをここでも積極的にやってもらいたかったかなという欲も出てきたよう思う。

みてまわり、かの女の子から荷物を受け取る。
「ありがとう」と手話で表したら、悟ったようだった。わたしが外国人でもなく、日本の聾者であったことを。

2012年 11月 08日(木) 23時57分30秒
壬辰の年(閏年) 霜月 八日 癸酉の日
子の刻 二つ

フラ・アンジェリコ in サイゼリヤ

kyoto_Angelico

 

いろいろと調査。打ち合わせをする。
6日は研究会に誘って頂いた。Twitterで知り合った、ろばとくん( @rob_art )が主催しているというインスタレーション・アートについての研究会。クレア・ビショップを読んでいるとのこと。久々に名前をきいて思い出したのは、ハル・フォスター『反美学』という本。いま結構入手しやすくなったんだっけ?

どういう方々がいらっしゃるのかまったく知らなかったのだが、ろばとくんはとても活発な方であることをTwitterで知っていたし、時間が合えば参加してみようと思っていた。ちょうど他の都合が終わったら、19時を軽く回っていたときだったので、急いでカフェに向かう。

久しぶりに会う彼はとても元気そうだった。前に会ったのは、百万遍の、なんていうんだっけ、大きいチキンカツを出す店だったね。学生向けのレストラン。そのあと、素敵なカフェに連れていってもらったのだった。あのとき、、、わたしはまだ京都盲唖院の博士論文を準備していたのだった。ろばとくんの顔をみたとき、一気にあのときのシーンがリピートされたのだった。

研究会は四条河原町を西に歩いたところにある、サンマルクカフェ。このあたりはよくあるくエリア。そう、ピンボールのあるゲーセンがあるからね。人見知りのわたしとしてはカフェに入るまで緊張していたのだけれども、お見えになった皆さんは気さくな方々だった。
聾について、自分のこと、インスタレーション・アート、リレーショナル・アートについていろいろと言葉を交わす。わたしの今年の仕事も報告しつつ。ろばとくんたちからも質問をたっぷり頂いた。
森川さんからはポートフォリオをみせていただいた。そこに細い糸を使った作品があったせいなのか、写真家の鈴木さんが来られたときにiPadで作品を見せていただきながらコンセプト、うつらないものをとるという話があったときに、中世ルネサンスにおける多翼祭壇画における枠と枠の表現、枠同士のバランスが織りなす空間性が彷彿され、ルネサンスから現代にのびる細い、細い糸がみえた。

それで会の終了後、夕食に誘われ、サイゼリヤに行ったのだが、ここは初めて。壁をみると、フラ・アンジェリコがあるじゃん。そうか、ここはフラ・アンジェリコが見られるのか。サン・マルコにあるというそれは、光の方向が建築の作られ方と合致していると論文で読んだし、この絵がある空間そのものと鑑賞者がとる身振りの関連性を指摘する論文もあるが、この店ではどうやらフラ・アンジェリコを背中にしつつ食事をするらしい。
なんとも落ち着かない感じがする。

「受胎告知・・・」

おもわずそうつぶやいたとき、近くにいた女性二人組が怪訝そうな顔でわたしを見た。

2012年 11月 08日(木) 00時10分01秒
壬辰の年(閏年) 霜月 八日 癸酉の日
子の刻 三つ

スマート・キョウト

smart

前から行きたいとおもっていた、「スマート」というカフェに。すごく座りやすいソファに苦みの効いたカフェ。とても気に入った。店員さんも親切で、しばしここで作業に没頭してしまった。前に行ったときは満員であきらめたのだけれども。

それで、レシートをみると、上にはテーブル番号「8」、人数「1」名であることが書いてあって数字だらけで450円のコーヒーにチェックがついている。羅列された数字は、メニューの組み合わせによって算出される可能性のある金額をすべて羅列しているようだ。ということは、店員さんは注文の組み合わせの合計金額を暗記しているとおもわれる。
こういうのはちょっとみた記憶がないんだけど、他の店でもこういうのあるのだろうか?

2012年 11月 07日(水) 00時41分07秒
壬辰の年(閏年) 霜月 七日 壬申の日
子の刻 四つ

京都での予定

HH

久しぶりの京都。
好きなホテルに宿をとる。ここは何度かお世話になっているけれど、いつも助かっている。
ここは閑静なところにあって、周りも落ち着いている。共同キッチンもあって、軽い料理なら可能。朝食もバイキングで味はまあまあ。
何よりも安いわりには部屋が広めなのが嬉しく、落ち着けるのがここを選ぶ理由。外国人が多いのだが、今日はとりわけ多い。どうしてここを知っているの?と客のひとりに尋ねたら「インターネットで知ったんだよ、ここがいいってね」とのこと。口コミなのか。

ちょっと変わっているのは、鍵がついていなくてチェーンになっていること。かつてはなにかの施設だったらしいのを改造しているような感じ。

京都では京都府立盲学校を訪問する予定。もちろん、京都盲唖院に取り組むため。やるべきことははっきりとわかっているものの、資料室を訪問するのは久しいのでどんな仕事ができるのか、感覚がなまっていないのかそれが不安。撮影器具や資料の確認などに追われる一日だった。

観光をする時間はまったくとれない。京都をゆっくり「観光」するのはいつのことになるのやら・・・。大好きでしょうがない、ピンボールもしたいけれどね。

2012年 11月 06日(火) 01時27分42秒
壬辰の年(閏年) 霜月 六日 辛未の日
丑の刻 一つ

インタビュー・ウィズ・トモタケ キノシタ

『訪問看護と介護』の2012年8月号に掲載された、わたしの記事をアップします。以下よりPDFでダウンロードできます(4.5MB)。

「木下知威さんに聞く 新たなケアは「違い」の認識から さまざまな違いが共にあった京都盲唖院を追って」『訪問看護と介護』 17(8) 、p645-651、2012年8月

ただ、編集室の校正ミスで以下の点に違いが生じていますので読み替えてください。

648頁の中段、左から4行目「でなくと寄宿舎」→「でなく寄宿舎」
648頁の下段、左から6行目「部屋」→「教室」
651頁の下段、右から10行目「うことを続け」→「うことを続け、」

このインタビューそのものは2011年12月のクリスマス頃、古川(古河)太四郎についての史料調査に取り組んでいた、とても忙しいときに実施されました(だからセーターを着ている・・・)。ほとんど寝るひまもないという時期だったことを懐かしく思い出します。

なお、この記事の公開について医学書院『訪問看護と介護』編集室からの許可を得ていることを申し添えます。
感想をお寄せいただけると嬉しいです!

どうぞよろしくお願いいたします。

なぜ、わたしは投入堂を目指したのか?

先日、NHK鳥取のディレクターから「2007年に三佛寺の投入堂の特別拝観のときを詳しく教えてほしい」というメールを頂いた。
特別拝観というのは三徳山が開山して1300年を記念して、米田住職の息子さんが企画されたもの。これは一般の方が投入堂そのものに入るということで、350人ぐらいの応募があったらしい。わたしはこのなかから選ばれた1人だった。2007年11月14日に行われた。
そういうご縁があって、いろんな方から「どうして登ろうとおもったのか?」という質問を頂くことがある。その都度答えてきたのだけれども、さきほどのNHKの方も同じように聞いてこられた。なので、この機会にLLでも答えておこうとおもう。つまり、どうして登ろうとしたのか — この特別拝観に応募したわけは? Continue Reading →

保護中: あんぱさんど・おふ!in白金台

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扇言葉

表象文化論でご活躍されている、小澤京子さんがフラゴナールを模したスカートの元ネタは何だろうとツイートしていた。こんなスカートだ。

それはわたしがかつて、ニューヨークのフリック・コレクションにある、「フラゴナール・ルーム」でみた「愛の進展:出会い」のことだ。
スカートに引用するとどうなのかなあと思いながらみていたけど、悪くないんじゃなかろうか(悪趣味?)。確かに、フラゴナールはゴスロリやロリータと相性がよい画家だと思う。フランソワ・ブーシェは女体が輝いているような雰囲気があるけれど、フラゴナールはいくぶんが現実を見つめようとしているように感じられた。

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奈良美智とペリー

「奈良美智:君や僕にちょっと似ている」「ペリーの顔・貌(かお)・カオ -「黒船」の使者の虚像と実像-」が同じ横浜であっているというのは奇遇なことかもしれない。
だって、奈良は顔を描くほうで、ペリーは顔を描かれる側という能動/受動の関係にあるよね、単純に考えて。

展覧会のメッセージで奈良はこう言っている。

「もはや好むと好まざるにかかわらず、自分が作るものは、僕自身の自画像ではなく、鑑賞者本人や誰かの子どもや友達だと感じるオーディエンスのものであり、欲を言えば美術の歴史の中に残っていくものになっていくと思っている。自分の肉体が滅んでも、人類が存在する限りは残っていくものということだ。」

それで、ペリー展ではこんな説明がつけられている。

「ペリーの肖像画は、幕末期に来日した他の外国人とは比較にならないほど多く、また様々な顔貌のものが描かれ今日まで遺っています。」 Continue Reading →

ジネヴラとタルコフスキー

アンドレイ・タルコフスキー「鏡」をみていると、1コマ、1コマが光とともにやってきて、過ぎ去って行く・・・。その1コマは去っていくと、わたしのなかに押しとどめていることが難しい。あっさりと押し流していってしまう。

パンフレットなどによると、この映画はタルコフスキーの自伝的作品とされていて、作者の父母がモデルとなる男女とその子供、その子供が成長して妻ナタリアと別れる。祖母も出て来て、3世代の作品になっている。ストーリーは一貫しておらず、ひとつのシーンがひとつの記憶のようになっていて、その記憶が記憶を召喚し、あるいは別の記憶を生産するようなそんな映像だった。その理由として、母マリアと本人の妻ナタリアが同一の女優、マルガリータ・テレホワが演じている点にあると思う。つまり、どの世代なのかわからないという曖昧さが強調されているのではないだろうか。

冒頭で、草原の向こうからやってくる医師の男性をみている母マリア。医師はナンパする気があるのか、マリアに語りかけてきて、しまいにはタバコをもらって母が腰掛けている木の柵に座ろうとするが、ポッキリと折れてしまう・・・。当然ながらふたりは地面に倒れる。
そりゃあ、あんな細い木だから二人が腰掛けたら折れるのも無理もないけれども、この折れた木について、あとあと考えて見ると面白いのであとで述べる。

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わたしは何も知らない。

いつのことだろうか。

わたしが「京都盲唖院」を知らなかった頃。京都府立盲学校も知らず、あの岡本稲丸先生のことも知らかったし、岡田温司先生など美術史/美学において著名な先生方のことも何も知らなかった(田中純先生のことを知るのはわりと早い時期なのだけれど、表象文化論に入るのはもっとあとのことだった)。ただ、建築のことしか勉強していないという状況、わたしはピンボールが大好きだった。今も変わらない。

写真を整理していたら、オモロン新小岩の写真が出て来た。
ここぞ、今は無きピンボールのメッカだ。わたしはここに通い、ひたすらピンボールを打っていたのだった。

フラストレーションがたまっていたのだろう。わたしが歩むべき道はどこにあるのかわからないまま、「この玉よ、どこにゆくのか、わたしをどこに誘ってくれるのか?」と思いながら打っていたあの頃。もう何年前のことだろう。

ずいぶん遠いところまで来たような気持ちがする。
・・・しかし、いまもまたわたしは何も知らないでいる。

ときどき、ピンボールを打ちにいくのは、たぶん、あのときの何もわからない、何もしらない自分に立ち返ることで、自分がやるべきことを見極めるためなのかもしれない。これはオレのやりたいことなのか?これでいいんだな?と思いながら。

ピンボールを打つことは動物になることに近いことだろうと感じている。

2012年 8月 16日(木) 01時01分16秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十六日 己酉の日
丑の刻 一つ

ふたりの行く先

keyword:新聞記事/六道/賽の河原

2012年 8月 12日(日) 23時31分32秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十二日 乙巳の日
子の刻 二つ

青い裂け目

2012年 8月 11日(土) 22時23分48秒
壬辰の年(閏年) 葉月 十一日 甲辰の日
亥の刻 三つ

夜空を見上げる

keyword:夜空

2012年 8月 07日(火) 23時45分08秒
壬辰の年(閏年) 葉月 七日 庚子の日
子の刻 二つ

歩き去る猫

犬島に行ったときに出会った白と黒のまだら模様の猫。野良猫ではなく、飼い猫だと思う。この猫については旧サイトで犬島の製錬所について書いたときにあわせて動画を公開したことがあった。

「にゃあ」と声をかけたら振り返ってくれたけど、「なんだ・・・」という顔をされてそのままスタスタと歩き去る。そうされるとついかまってしまうわたしはあまりいい性格ではないのかもしれない。

連写モードで撮影していて、それをスライドショーにすれば動いているようにみえるのだけど、どうしてそう見えるのか、それを仮現運動というのだが、解説しているところの紹介を高橋啓次郎さんのサイトでしている。わたしの好きなサイトのひとつ。

わたしが住んでいる家の向かいには猫がいたのだけど、最近見かけない。どうしたのだろう。室内で飼われているのだろうか。それともどこかに移ってしまっただろうか。

2012年 8月 06日(月) 22時02分30秒
壬辰の年(閏年) 葉月 六日 己亥の日
亥の刻 三つ

言語の保ち方

手話に限らない話だけれども、言語を学ぶには細く長く、息を続けるようにやらないと体にぴったりくっつかないものだ。そのなかでどうやってモチベーションを保つかというのがあると思う。

わたしの場合、読みたい本や論文があって、それがフランス語や英語だったので読みたいという気持ちでトライするのだけれども、しかし、そうでない場合はどうなのだろう。 Continue Reading →

夜に包まれる絵画

今年、絵金が生まれて200年目ということをニュースで知った。絵金といえば、高知の赤岡町に絵金蔵という、絵金のコレクションでは日本一の美術館がある。それで赤岡には毎年7月に絵金祭というのが開催されていて、いつか訪問したいと前から思っていて、去年訪問を果たしている。

そのときの写真なんだけど、18時から21時前までこの祭りにいたことを覚えている。18時前はまだ明るくて、お祭りもまだこれからって感じになっている。しかお祭りがはじまって絵金の屏風が出てくると一気に賑やかになってくるのが感じられるのがとても面白かった。絵金がもっている、あの不条理で、血にまみれた世界が屏風の向こうにあってそれらを見世物のように見ているのがなんとも、絵のなかと外を曖昧にしているような感触があった。絵について語り合ったり。町の人が絵について説明しているのもおもしろい。

ふっと思うのは、絵画ってほんとうはこういうものだったと思う。本来は美術館に入っていて、ガラスに包まれてきれいに保護されているけれども、ここで出されているのは学芸員ではない、赤岡のひとたちの手によって守られているものなのだよね。ダイレクトに絵そのものがわたしの目の前にある。

それにしても暗くなるにつれて、蝋燭に灯された絵金の屏風がいよいよ怪しさを増してくるのには驚いた。ゆらゆら揺れるのは怖いし、ホラーと言えばホラーといえるのだけど、それ以上に目をひいたのは屏風という、美術館でみることが多くなってしまったひとつの記号が外にとび出しているだけで、独り立ちしていたように見えたことである。美術の制度からほんの少し、離れているかのようだ。

2012年 8月 03日(金) 22時53分51秒
壬辰の年(閏年) 葉月 三日 丙申の日
亥の刻 四つ

ダリのようにとろける

ダリの絵のようなペリエのCM。これは少し前のなんだけど、まさにこんな季節にはペリエが一番似合う。そう思いつつ、風呂上がりに飲むペリエのために生きているような最近。

冬の思い出


医学書院の雑誌、『訪問看護と介護』2012年8月号に、わたしのインタビューが掲載されました。寒い冬で、時期的にたいへん辛いときだったことをよく覚えています。よくこなせたものだなあ。1頁目は以下のようになっています。 Continue Reading →

紙に気持ちをのせる

2012年 7月 31日(火) 12時47分30秒
壬辰の年(閏年) 文月 三十一日 癸巳の日
午の刻 四つ

雪村自賛自画像の解説例

今更、といわれるかもしれないけれど、田中一松先生の「雪村自賛自画像の一考察」『國華』71、28頁を改めてチェックした。
雪村自画像は、大和文華館にあって、2、3回ぐらい見たことがある。現存するなかでは日本最初の自画像ではないかという話もきいたことがある。その経緯は田中先生によれば、「美術研究」(198号、昭和33年)にて紹介したのを矢代幸雄が読み、収蔵したという。
それで、これはかつて「月下僧像」とされていたが、上記の田中論文によって今の名前になった。田中先生によるこの自画像の記述も簡潔にして要を得ているので、ここでも箇条書きに記述しておいて参考にしておきたい(國華だから、旧字使いになっているけれどもここでは直しておきます)。 Continue Reading →

ガラスの亡霊

ハンガリー生まれの写真家、アンドレ・ケルテス(André Kertész, 1894–1985)の「夜の摩天楼;二重露出」”Skyscraper at Night; Double Exposure”というもの。わたしがとりわけ好きな写真家のひとりだが、この写真をみていると思い出すものがある。それは、バスや電車に乗っているときのこと。

バスと電車の両脇にはガラスがあって、街並がみられるようになっている。とくに視線を運転席の方向に向けたときには、両脇のガラスが同時に視界に入ってくるだろう?
そんなとき、その景色は光の具合によってときどき、すぐ向こうに見える風景だけではなく、反対側にいる乗客の表情や衣服、そして外にある家や樹木、空のいろがガラスに映り込むことがある。乗り物だから、動けばガラスに映るものも動くわけで、光が瞬いている。いわば、バスや電車はガラスの乗り物の一歩手前にあるようなものなのかもしれない。

そんなとき、わたしはいつもケルテスのこの写真を思い出している。でも、これはガラスが映り込むんじゃなくて、タイトルにDouble Exposureとあるように、二回、露出してあるんだよね。つまり、スカイスクレーパーを二回、レンズを通してフィルムにイメージを封じている・・・。重なった建築はお互いが透過しているかのようで、どちらがどちらでもない。あのバスの風景のように。
クリスタル・パレス、ミース・ファン・デル・ローエといったガラスとともに在った近代建築史の大切な話をとおりぬけると、この写真に行き着くような気がしている。20世紀の都市はガラスに囲まれていて、そう、このスカイスクレーパーのように、ガラスに映り込んでいる亡霊を感じながら生きていたのではないかとも思う。

2012年 7月 22日(日) 23時54分57秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十二日 甲申の日
子の刻 二つ

同じ絵なのに、違う


ロヒール・ファン・デル・ウェイデン(1399/1400 – 1464)による、「若い女性の肖像」(1430頃, Gemäldegalerie, Berlin)というもの。どちらも同じ絵だけれども違うものにみえる。具体的には左のほうが白みを帯びていて、右は経年変化のような黄ばみがみえるようにもみえる。撮影条件、パソコン上の処理、修復の有無によってこうも違うものになってしまっているのだろう。でも、「どちらが正しいの?」ではなくて、この違いそのものをみることがとても大切で、たとえば資料をみるときやごはんを食べるときでさえ、そういうことがあると思う。

例えば、わたしはよく行くカフェがあって、それは1人でしか行かないようにしているれど、すごくおいしいケーキがあるんですよね。それをカプチーノと一緒に頼むのがささやかな楽しみになっている。ところが、ある日それは普段と違った。生地がほんのすこし湿っぽかったのだ。それで帰り際に「今日のケーキ、生地がいつものと違ってパリパリしていなかったね。」とスタッフのお姉さんに伝えたら「そうなんですか?!厨房に伝えておきます!」と返してくれた。

資料だって、デジタルでみるものと実際にパラパラとめくるものは違う。とくに、明治の印刷物はザラザラした紙に活版印刷による凹凸が混じっていて、文字そのものがそこにあることがわかるように・・・。

きりがないけれども、同じようにみえるものが違ったものになっている。モナリザだって毎日「同じはず」だなんてない。絵もまた何かの条件でこんなに色合いが違ってしまっている。
わたしはあいにく、これを見た事がないのでどう見えるのかはわからないけれど、しかし目の前にあるものが絶対だと信じないことだな。じゃあ、何を信じたらいいのと聞かれたらこう答えようではないか。変わり続けることを信じろ、と。なあに、怖くないよ。

2012年 7月 21日(土) 21時54分48秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
亥の刻 二つ

手にした資料と「しるし」

keyword:論文/ストック/整理/読む

2012年 7月 21日(土) 00時50分34秒
壬辰の年(閏年) 文月 二十一日 癸未の日
子の刻 四つ

松本竣介展をみたあと、スタッフのNさんと少し話をして、そのまま海に出た。
繰り返される波が、わたしに何かを訴えかけてくるように感じられるのはわたしの錯覚にすぎないが、しかし、すれ違うことのなかった、耳の不自由な身体がこの葉山の海で出会うということについて、不思議な感慨があった。

松本竣介の兄、彬が「弟は若し耳が不自由でなかつたら畫業につきはしなかつたかも知れません。(・・・)聴力を失つた為に其の総てを畫業一つに籠めるやうになつたのは何か運命が大きな示唆を與へてゐるやうに思ひます」と書いている(カタログ、258頁)。

まわりの人が、松本竣介のその聞こえない身体の先に運命を信じていたのか。それはたいへん心強いことばに感じられた。わたしもその聾というおのれに課された身体の先にあるものはなにか、それは目の前にある仕事を淡々と続けてゆくことのみで見えることだろう。

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence

ルーヴルで見て以来、惚れた絵の一枚Sassetta(サセッタ)による、福者ラニエリがフィレンツェの牢獄から貧者を解放しているシーンを描いたもの。サセッタについてはバーナード・ベレンソンなどいくつかの研究書が出ているし、“Sassetta: The Borgo San Sepolcro Altarpiece (Villa I Tatti) “というのが最近出ているけど、まだ持っていない。以下、ルーヴルからの情報をそのまま貼付けておく。

Le bienheureux Ranieri délivre les pauvres d’une prison de Florence
Entre 1437 et 1444  H. : 0,43 m. ; L. : 0,63 m.

Elément de la prédelle postérieure du polyptyque de Borgo Sansepolcro.
Le bienheureux Ranieri vient délivrer quatre-vingt-dix pauvres gens, retenus dans une prison de Florence, qui lui avaient écrit pour lui demander de l’aide.

手をさしのべる

keyword:ギャラリー/手/にぎる/階段

2012年 7月 12日(木) 21時26分05秒
壬辰の年(閏年) 文月 十二日 甲戌の日
亥の刻 一つ

パネル2の仕掛けについて

表象文化論学会の第7回大会のパネル2「結晶化する物質──切り貼りにおける時間と固有性」のように、学会の大会では1つのパネルを組んで、司会を1人(コメンテーターを兼ねることは可)、3人が発表する構成にすることが定められている。それでパネル2を構成したわたしは、以下のようにダイアグラムを小松さんと田口さんとつくりあげた。ここではそれを記録しておきたい。

まず、パネル2が採用されたときに三人で顔合わせをしたいところだったが、わたしが関東、おふたりが関西にいるためにSkypeでそれぞれの研究構想をみっちりと話し合っていた。そのとき、わたしがSkypeで二人の話を咀嚼しながらメモしていたのが下のものになった。
これがもっとも初期のスケッチ。

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アメーバのように

keyword:表象文化論学会

2012年 7月 10日(火) 00時43分06秒
壬辰の年(閏年) 文月 十日 壬申の日
子の刻 四つ

ボッティチェッリのメダル

表象文化論学会第7回大会 パネル2のポスターをつくりました。ボッティチェッリの絵を背景に据えています。手にもつメダルは古画の嵌入(inset)で、切り貼りのひとつとして。
以下よりダウンロードすることができます。
どうぞよろしくお願いいたします!

PDF版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.pdf
JPG版:http://tmtkknst.com/works/poster_repre7_panel2.jpg

ボッシュを服にする

アレグザンダー・マックィーンがボッシュを基調にしたドレスを。肝臓のところにある魚は聖アントニウスの誘惑からとったもの、とすぐわかるけれども、コラージュ的に組み合わせて作ってある。いいなあーーーー。こういうの大好きですが、わたしは男性だからなあ。
え?彼女に着せたらいいんじゃないかって。そりゃあまあ、そうですがね。

関係ないけど、この絵を所蔵している、Museu Nacional de Arte Antigaはあんまり細かな画像をみせていないんだね。

シンポの種明かし

「アビ・ヴァールブルクの宇宙」で は、何か特別な仕掛けがあると予告されていたけれどもそれは、ほぼ原寸大(原寸より少し小さい)のパネル構築だった。全てのパネルではないが。写真を拡大しているだけだが迫力がある。ただ、左端のパネル45だけ、図版をとり、グリップもできるだけ同じものを使い、カラーであることを試みている。しかし、カラーになるとヴァールブルクが強調したい身ぶりについて見えにくくなるという解説が田中先生によってされていた(裏返していえば、モノクロにすることは大きな意味があるということ)。

下はパネル45の拡大写真。より記憶が鮮明になった気持ち。

マウリッツハイスへ

マウリッツハイス展が開催されたそう。楽しみ。昔、オランダを旅行したときにすごく行きたかった建築だったのを覚えている。絵もだけど、建築をみたいという気持ちがあって、それでロッテルダムからデンハーグまで電車で移動したとき、雨雲がすごくて、あんまいい天気じゃなかったんですよね。

それで駅について(でもここ、最寄りのデンハーグ・セントラルじゃない)、バスに乗って・・・マウリッツハイスの最寄りらしいところで降りたのを覚えている。

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注意とアクション

ユーロ2012のイタリアvsイングランド。
PKになって、イタリアのピルロが蹴るシーン。ピルロは「違った形でキックしようと思っていたんだけど、GKが先に動くのが見えたから(チップキックで蹴った)。ひらめきだよ。」と語っていたそうで、先に動くのがみえたという。それで映像をみてみると、左足で踏み込む途中でボールを確認し、右足をゆっくり動かしながら、キーパーの様子をみるかのように顔をあげているんだな・・・。前傾していた身体がゆっくり起きるごとに頭もゴールに向けられるようになる。
わたしはサッカー選手ではないのでどういう時点で蹴り方を変えるとかは分からないけれども、キーパーに注意しつつ蹴るということがどんなにか難しいか、わたしたちの生活にも通じることのように思える。何々をしながら他のことに集中することは簡単ではないからだ。 Continue Reading →

ハンマースホイの重力

keyword:ヴィルヘルム・ハンマースホイ/Hammershøi and Europe/西洋美術館/重力感

2012年 6月 25日(月) 23時58分04秒
壬辰の年(閏年) 水無月 二十五日 丁巳の日
子の刻 二つ

ブックフェア「表象文化論のアトラス」の感想

表象文化論学会全国大会(7/7-8)との連動企画としてのブックフェアが始まりました。
場所はMARUZEN&ジュンク堂渋谷店です。 Continue Reading →

「暉雄」と識字率の歴史

曾我蕭白《群仙図屏風》(六曲一双(各172.0×378.0cm)のうち右隻,1764年, 紙本著色, 重要文化財)

 

先日、千葉市美術館であっていた「蕭白ショック」をみていたときに思ったことがあるのだけど。蕭白は落款を「曾我蕭白暉雄筆」とか「曾我蕭白暉雄画」「曾我蕭白左近次郎暉雄筆」とすることがあるんですよね。それでこの展覧会を担当された、千葉市美術館の伊藤紫織さんに「「暉雄」をどういうふうに読まれていますか?」と尋ねたことがある。 Continue Reading →

「様式」の危なっかしさ


ベーリックホール(昭和5年(1930)J.H.モーガン設計)

思いつくままに。

美術史や建築史において、「様式」という言い方をしている。それは「あるひとつの型を様式と定義し、作品や建築といった人たちが作り上げてきたものを内包する概念」とわたしは理解している。たしかにこのやり方は、歴史における時間を巡る方法として有効な概念である。
その区分の方法は、例えば時間で区切るものであったり、人物、何かの事件で区切ることもあろう。わたしが書いた京都盲唖院の博士論文でも、仮盲唖院から第四期盲唖院まで、京都盲唖院の空間に大きな変容があったという基準のもと、5つに分類している。これは5つの様式を作り出しているともといえる。
でも、この様式によって歴史を理解することのは裏返してみれば危ない概念だと思う。要するに枠にはまってしまう。たとえば、ブルクハルトがペトラルカ(1304-1374)のことを「近代人」だと評した。その近代というと、現代の前だから14世紀の人であったペトラルカを近代というと・・・と様式に囚われていると混乱してしまう(ルネサンスは近代のはじまりなのか、中世のなかにあるのかという話もあるけれど、ここでは込み入らないことにして・・・)。他にもゴシックやバロックに関する定義をもとに、その歴史に落としこむということは避けなければならない。それはまるで自ら歴史という名前の監獄に入っていくようなことではないかと感じる。様式を否定するつもりはまったくないけれども、あくまでもひとつの物差しに過ぎないというふうに考えておきたい。

メガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす」

7月6日から7日にかけて立教大学でメガシンポ「人知のいとなみを歴史にしるす 中世・初期近代インテレクチュアル・ヒストリーの挑戦」が開催されます。プログラムはここにあります。 Continue Reading →

目撃すべきユクスキュル

國分功一郎さんの『暇と退屈の倫理学』で引用されているように、ここ数年、ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの本がよく引用されるようになっている風潮があるように感じている。『動物の環境と内的世界』が出たし、『生命の劇場』も文庫で出た。とりわけ、翻訳されている『生物から見た世界』 岩波文庫(青943-1)(あるいは思索社、 1973年)が一番読まれているはずだ。 Continue Reading →

見つめ合う男女

ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスの『卒業』(1964)。いつだったろうか、まだ成人式を迎える前にみたことがあって。まだ見ていない人にとってはネタバレで申し訳ないけれども、教会に押し掛けて花嫁を連れ去ってしまうというのが当時はインパクトだった。好きとか一緒にいたいっていうのはこういうことなのかなあって思いながらこの映画をみていた。

でも、インパクトに残ったのは男が女をかっ攫うシーンじゃなくて、そのあと二人が乗り込んだ公共バスのなかで二人が見つめ合う、残り香のようなシーンだった。
それを5つのスクリーンショットで連続してみてみよう。 Continue Reading →

寛仁さまにお会いした日

keyword:寛仁/ボッティチェッリ/アケロオスのニンフ

2012年 6月 17日(日) 22時34分47秒
壬辰の年(閏年) 水無月 十七日 己酉の日
亥の刻 四つ

PDFのパラドックス

今日、Twitterでこんなツイートがあった。

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パロディ化されるゲーム

どんなゲームなのか知るにはデモとプレイ動画をみるのが一番良いと思っているけれども、そのなかでたまたま見かけるものがあって、スーパーファミコンで大人気だった「ファイナルファンタジー5」(1992、スクウェア)。これはわたしも発売されてすぐ友達とすぐ買いに行き、夢中でやりこんでクリアしたものだった。 Continue Reading →

1826年

2012年 6月 14日(木) 23時58分45秒
壬辰の年(閏年) 水無月 十四日 丙午の日
子の刻 二つ

ラファエロの時計

2013年にラファエロ展があることがアナウンスされたので、パテック・フィリップ・ミュージアムの動画を。この動画のおわりに、ラファエロの “La Madonna della Sedia” をモデルにした懐中時計が紹介されている。円という絵をそのまま時計に採用しているところが憎い。他にもねずみや昆虫をモデルにした自在置物のようなギミックや鳴く鳥、綱渡りもあり、時計制作はそういうからくりと親しいことがあらためて伺える動画。これらの装置をみていると、カメラオブスキュラ以後、映画以前の「映像」のようにも感じられる。

鋭利な言葉

アンナ・パヴロワの写真のように、わたしはときどきハッとする「もの」をみることがある。「もの」とはわたしの外にあるものすべてで、自然といえばよいだろうか。なぜハッとするのと聞かれて、その理由を語り始めようとするとその「ハッ」とする感覚が頭のどこかからぬけていくようで、それを捕まえるようにして語り始めることがある。これはわたしの無知や語学力の不足、記憶力の弱さをさらけ出すことであるけれども、それでも言葉にしなければならない。 Continue Reading →

エドガーとトーマス

edgar

Edgar Martinsの写真展を去年、山本現代で見ているんだけど、この写真が強烈に脳裏にあって。

サイトにはポルトガルの「1950年代から1970年代にかけて相次いで建設されたこれらの水力発電所は、かつて200人以上の職員により管理されていた巨大装置でありながら、コンピューターで遠隔操作が行われるようになった現在ではほぼ無人で運転を続けています。管理システムに接続された機械が延々と並び、人間の気配の感じられない大空間を自若に捉えたこれらの作品には、われわれ人間がかつて描いたモダニティの奇妙な残骸が浮かび上がります。」 Continue Reading →

高橋由一との再会(高橋由一展)

2012年 6月 08日(金) 23時14分45秒
壬辰の年(閏年) 水無月 八日 庚子の日
子の刻 一つ

不安げな画家 — Ferenczy Károly

Gyermekeim

Noemi

Ferenczy Károly(1862-1917)という、ハンガリーの画家がとても気になるこのごろ。ハンガリーには彼の美術館もあるようで、著名らしい。日本では紹介されたことがあるのだろうか? 果たしてどのくらい知られているのであろうか。実物をみたことはないけれど、境界の曖昧さと身ぶりがなす雰囲気は、印象派の・・・そうだね、スーラとかのインスピレーションを受けつつも近代における「不安」が感じられ、ムンクのようでもある。

宗教画も描いているようだ。これは東方の三博士だろう。

FK4739

自己の自動生成システム

カメラとコンピュータを使って一筆描きで自画像を作成するシステムの映像。このセルフ・ポートレートを試した人たちの写真もある。面白いのは、「自分を見ず」に「オートメーション」で描かれるということだろう。ゲーセンには、顔を撮ってもらったら自動的にイラストになってくる機械があったけれど、それとも違う。被写体がペンをもって紙の上におけば自動的に絵が描かれるというプロセスが入っている。

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ポリツィアーノとボッティチェッリ

PolizianoPoliziano “Stanze per la giostra di Giuliano de’Medici”
(Firenze, Antonio Tubini, lorenzo d’Alopa, Andrea Ghirlandi, c.1500)

いま、集中している研究があり、そのなかで少し気になることがあったので、アビ・ヴァールブルク『サンドロ・ボッティチェッリの“ウェヌスの誕生”と“春”―イタリア初期ルネサンスにおける古代表象に関する研究』を読み始める。原書は1932年、ライプツィヒで出版されたもの。わたしにとってヴァールブルクの出会いはだいぶ前で『蛇儀礼』が最初の読書だった。
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セライオ《プシュケーの物語》について

ヤコポ・デル・セライオ《プシュケーの物語》(1490年頃、ボストン美術館)について記録しておきたい。セライオの生没年は1441–1493というが、確定していないそう。もしそうであれば、15世紀に活躍したフィレンツェの画家とまずは覚えておこう。むろんこういう人いっぱいいるけども。セライオのこの絵はもともと家具の一部だったらしい。横に細長い家具だったと想像される。

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