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百瀬文「ホームビデオ」

気のままに。

明治から平成に戻って(古い史料を読み終えて)、百瀬文「ホームビデオ」に。
ギャラリーの前にはガラスの引き戸になっていて、それをあけるとカーテンがかかっている。中から音はなにもしない。左手でそれをあけると薄暗いバーのような空間におばあさんが話している映像が目に入る。

“The interview about grand mothers”  彼女の二人の祖母が彼女のインタビューを受けている映像。奥に目をやると人に囲まれている彼女がみえたので手をふって挨拶をする。

わたしはすぐこの映像に入って行く。活発そうな祖母はソファに座っていて背後には陽光がさしていて、その微妙なボケ具合に彼女らしさがあった。そう、わたしをとった二回目のデモシーンにどことなく似ている。わたしの背後の壁がうっすらと遠くなっていて。そんなことを思いながら、ふたりの会話をみる。
祖母は・・・どちらが父方の祖母か、母方の祖母か。二人が二人で語っている。そうだよね、楽器であれ、肉体であれ、音は必ず「機構」があるんだよね。声の主体が。そして、この作品はどちらもご存命でなければできないような同時性がさしこまれている。もし、隣に百瀬さんがいたら、「川村さんに何を言ったの?」ときいたかも。
でもまあ、単に素朴な気持ちでみているとこのふたりはまったく違うね。わりと派手目の化粧に服装、活発そうな祖母と控えめで物静かそうな祖母・・・。
(これは字幕がないが、テキストが用意されているので聾者はそれを見てもらいたい)

その祖母たちの斜め向かいには「定点観測(父の場合)」。物静かそうな、でもときどき激しい内面も見せそうな男性の後ろ姿。173項目だったか、彼女が構成した質問用紙に記入して、その答えだけを発声している。それに伴って字幕が表出される。マシンガンのように。これをみていて思ったのだが、わたしはメルロ=ポンティが指摘する、視覚の分離性と聴覚の統合性を実感することはできないじゃない。要するに、視覚を獲得するには目を動かして風景を認識する必要があるのに、聴覚は音から身体に向かってくるという話よね。音が向かってくるのを物理の授業で知っていても、実感することはできない。
でも、あの字幕をみると、これはわたしにとって視覚だろうか?聴覚だろうか? それに音は、そう、消えるものだよね。いつまでもそこにはいない。あの字幕は、徐々にフェードアウトするエフェクトではなくて、瞬殺。次の瞬間には無かったことになっていて、よけいその気持ちを強くさせた。打ち上げ花火のように、ぱあって上がって余韻を残すものではなくて、花火がひろがったと思えば、もうそこにはいない。
最後のエンドロールをみて、ハッとしたんだけど。父の場合、とあるけど、社会的なこととしての父の存在が・・・。そのことを彼女に問おうとしたが、あいにく彼女はたくさんの人たちと会話しているところであった。
一番奥には彼女しか登場しない映像。これはあまり詳しく書かないほうがいいだろう。彼女が寝ていて。途中で無関係のような、意味ありげなシーンが差し込まれるのは、あの赤いマニキュアのシーンのような。そこでフッとなぜか笑ってしまった。そうそう、宮下さんにあの映像でやっていることは気持ちいいと思うというと否定されたけど。

彼女に軽く挨拶をしてから雨にぬれる国分寺をあとにする。
中央線のなかで、ふうっ、と安堵している自分がいた。

それは、今回の個展にわたしをとった映像が出ていないことによる解放感だったのかもしれない。

2013年 6月 21日(金) 23時49分48秒
癸巳の年 水無月 二十一日 戊午の日
子の刻 二つ

 

大内青巒が理想とする死に方

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keyword:大内青巒/原坦山/ジェリコー

2013年 6月 08日(土) 22時45分56秒
癸巳の年 水無月 八日 乙巳の日
亥の刻 四つ

この令嬢たちはどなた?

史料を読んでいたらたまたまおもしろいものを見かけることがよくあります。その一例として、「商工世界太平洋」(9の2、明治43年)にはこんな懸賞が掲載されています。大きな画像はこちら。

明治期日本における著名人物の写真が上にあり、下に女性の写真があります。この女性たちはどの方の令嬢かをあてよ、というものです。例えば、高橋是清の令嬢はどれか、ということを問うている。
一等は賞金としてなんと10円を得られるといいます。

わかるでしょうか?ちなみにわたしはひとりもわかりませんでした・・・。

2013年 6月 05日(水) 21時51分08秒
癸巳の年 水無月 五日 壬寅の日
亥の刻 二つ

小鉢の破片

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久しぶりの休日。部屋を整理し、夏に向けて大掃除をしていたら、なにか硬いものが落ちていた。手にすると、床に落として割ってしまった小鉢の破片だった。
そうだった、冬に小鉢を落としたんだったなと思い出す。と同時に、歴史の不確実性を見た気がした。たとえば、美術史や考古学において、すでに失われてしまった何かの破片を対象に研究をして、全体イメージを構想したり、その模様から年代を推定するなど、いろんなアプローチがある。

それで、わたしが使っていたこの小鉢を知らない人はこの破片からは小鉢の全体を伺うことはできないが、わたしはこの破片から元の小鉢の形を脳裏で再現することができる。さらにこれは小鉢のどの部分なのかを指摘することもできるだろう。いうならば、それは歴史において、わたしという主体と他人という客体において、この立場がいかに相容れない存在であるか(ほんとうに客体という存在がありうるかはともかくとしても)。
たったひとつの破片。小鉢の一部分。この存在の全てでさえ、他の人に伝えることはできないことをあらためて思うと、その裂け目をこの破片の先に見てしまったようだ。

2013年 5月 26日(日) 23時27分04秒
癸巳の年 皐月 二十六日 壬辰の日
子の刻 一つ

昔、好きだった君へ

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2013年 4月 30日(火) 23時18分47秒
癸巳の年 卯月 三十日 丙寅の日
子の刻 一つ

絵画と街とわたしの切れ目 — 今井俊介

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keyword:HAGIWARA PROJECTS/今井俊介/初台

2013年 4月 28日(日) 20時23分12秒
癸巳の年 卯月 二十八日 甲子の日
戌の刻 三つ

【お知らせ】百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」

百瀬文「聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと」が上映されます。スクリーンで上映され、環境は良いと考えています。どうぞよろしくお願い致します。

平成24年度 武蔵野美術大学 造形学部卒業制作・大学院修了制作 優秀作品展

会期:2013年4月3日(水)~4月25日(木)
休館日:日曜日
時間:10:00~18:00(土曜日は17:00閉館)
入館料:無料
会場:武蔵野美術大学美術館 展示室3
アクセス:〒187-8505 東京都小平市小川町1-736
交通についてこちらを参照してください。

※当作品は、上映時間約 25 分の映像です。
※上映開始時間は、毎時間【:00】【:30】からになります。作品の構成上、途中入場が出来ませんのでご了承ください。

スチールはこちらをどうぞ。

瞽女とざらつき

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keyword:橋本照嵩/瞽女

2013年 4月 03日(水) 22時41分23秒
癸巳の年 卯月 三日 己亥の日
亥の刻 四つ

「盲」と接続する(ソフィ・カル展)

原美術館で開催されているソフィ・カル展をみにいく。
彼女の盲人を撮影した写真というのは、わたしにとっては京都盲唖院のすでに忘れ去られた人たちのような存在をあらためて召還しているようにも思えた。障害者の記録として、というよりも、目が見えないという盲の身体が織りなす物語が明治から平成に連続しているということなのだと思う。

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花びらの重力

20130327

keyword:桜

2013年 3月 27日(水) 00時49分00秒
癸巳の年 弥生 二十七日 壬辰の日
子の刻 四つ

エリヤと天使(ルーベンス展)

20130325Rubens

rubens_angel“Le prophète Elie reçoit d’un ange du pain et de l’eau”(vers 1626/1628)
ペーター・パウル・ルーベンス《天使からパンと水を受取る預言者エリヤ》

keyword:ルーベンス展/bunkamura

2013年 3月 25日(月) 21時39分31秒
癸巳の年 弥生 二十五日 庚寅の日
亥の刻 二つ

理想の醜さ

20130325

kewword:TOKYO ANIMA!/最後の手段/深山にて

2013年 3月 25日(月) 00時08分24秒
癸巳の年 弥生 二十五日 庚寅の日
子の刻 三つ

松木武彦『列島創世記』- 岡本太郎がみた火焔土器について

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この本は話題になり、サントリー学芸賞を受賞しておられるため、あちこちで言及が見られます。とりわけ、このブログでは細かな応答までされていますので、ここでは要点のみ述べておきましょう。
まず、この本の指針は3つにまとめられると著者の松木武彦さんはいいます。

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ミケランジェロ《ピエタ》におけるキリストは死んでいるのか?

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篠原治道『解剖学者がみたミケランジェロ』(2009)ではサン・ピエトロ大聖堂の《ピエタ》において、キリストは「死んでいるのか?」ということを論じているところも面白いところです。これを観察すると、右の膝から足首にかけて、筋のシルエットがみえるといいます。これは筋収縮によるものであるといいます。これは生存している人にみられます。
また、それはマリアの右手が「キリストの右の側胸部から腕にかけて脇の縁を豊かにたわませている」ところで、これほど豊かなたわみとなると、生存している可能性が高いとします。
また、「キリストの右手の甲には指の付け根から手首に向かって次第に粗くなっていく、菱形(りょうけい)をした静脈の網目が微妙に表現されている」といい、これが浮き出ているということは呼吸があるはずで、生きているはずだと結論づけます。このようにピエタを観察し、筋収縮、たわみ、静脈の3点でピエタは生きている、と篠原は考えているのです。

Scala miche

ミケランジェロが16歳のときに制作した《階段の聖母》(カーサ・ブオナロッティ、フィレンツェ)においては、右足に力が入っているところで、土踏まずの形からみて、マリアはこの場を立ち去ろうとしているところであることを指摘しています。

2013年 3月 20日(水) 22時40分08秒
癸巳の年 弥生 二十日 乙酉の日
亥の刻 四つ

ミケランジェロによる男性器(陰茎・陰毛)の表現について

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篠原治道『解剖学者がみたミケランジェロ』(2009)を読みました。この本はタイトルの通り、篠原がミケランジェロの幼年期と彫刻について解剖学的に論じるというものです。美術史では見えてこないいくつかの要素があるといえるでしょう。

LLでは木下直之『股間若衆』をご紹介したことがあります。この本は絵画と彫刻における裸体像の性器の表現をめぐる政治的・倫理的な面を取り上げています。この本に関連して読むことができるのが『解剖学者がみたミケランジェロ』で、具体的には、ダビデやキリストなどの彫像やシスティナの天井画における裸体の陰部の表現です。
木下の同書では主に近代日本における様相を扱っていましたが、ルネサンス美術の一例としてミケランジェロを取り上げてみましょう。 Continue Reading →

木下直之『股間若衆 男の裸は芸術か』

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会田誠展にわいせつな表現があるということで抗議されたということもあり、性器表現についてどういう概念が働いているかを勉強しようと思っていました。また、2011年に東京国立近代美術館「ぬぐ絵画 – 日本のヌード 1880-1945」が開催されていることも思い出しながら読みたい本です(わたしにとって読書というのは、単に読むのではなくて、問題意識をもって読むということが重要なところと思います)。 Continue Reading →

Day oneをDropboxで同期する方法

人気メモアプリのDay oneについて、データ”journal.dayone”をdropboxに置くことで同期する方法を解説します。
このアプリはiPhoneとMac両方から同期しながらメモをとったり日記を書いたりできるので便利なのですが、同期の設定に不具合があるらしく、ググると困っているという方がたくさんいる。そこでわたしが取った方法を紹介したい。

まず、わたしの環境は、iPhone(OS5)とMacbook Air(OS 10.8)。MacにあるDay oneのヴァージョンは1.7.2。iPhone版は1.10です。iPhone版を使ってdropbox下に共有ファイルを作るように設定しています。
しかしMacにあるDay oneのsync設定がうまくいかない。これがその設定画面。 Continue Reading →

アルノー・デプレシャン「魂を救え!」

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わたしが学生時代、梅本洋一先生の講義にレポートを出していた。ほとんどはダメだったけれど、このレポートに限っては「最後のところが好きだ!」と仰っていた。
以下、そのレポートの全文。今読み返すと直したいところがあって恥ずかしいけれども、先生のことをちょっと思い出すために。
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突然炎のごとく — 梅本洋一

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keyword:梅本洋一/デプレシャン/魂を救え

2013年 3月 12日(火) 23時25分00秒
癸巳の年 弥生 十二日 丁丑の日
子の刻 一つ

岸田吟香展カタログを入手せよ

豊田市郷土資料館が特別展「明治の傑人 岸田吟香 ~日本で初めてがいっぱい!目薬・新聞・和英辞書~」を開催しています。さっそくカタログを入手しました。これは1000円で購入することができます。内容は11章で成立しており、岸田吟香の一生と業績を集結したかのような内容になっています。いうまでもなく、岸田は近代辞書学、新聞史(ジャーナリストの歴史)、日本近代美術史(岸田劉生、高橋由一関連)、医学史(精錡水関連)、訓盲院関係において重要です。
訓盲院に関してはとくに目新しいトピックはありませんが、このカタログは岸田の一生を追っているために人物像を知るにあたって不可欠の二次資料といえます。さらに最新の知見も盛り込まれており、必見でしょう。たとえば、
岸田はいくつか日記を残していますが、これらを比較・整理しています。
以下のようにたっぷりと写真を使っており、至れり尽くせりの構成です。これが1000円とは安すぎないでしょうか。

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遠隔地の方はカタログ代1000円に送料340円を添えて現金書留で資料館に送ると購入することができます。2冊購入する場合は送料が450円となります。資料館にたずねたところ、1100部のうち100部ほどしか残っていないので品切れは確実でしょう。
購入される方はあらかじめ資料館に問い合わせておくなど、お急ぎになることをおすすめいたします。

2013年 3月 09日(土) 23時43分11秒
癸巳の年 弥生 九日 甲戌の日
子の刻 二つ

保護中: 関東聾史研究会3月定例会

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わたしは女性を探している — 川村麻純展

昨日、資生堂ギャラリーで開催された川村麻純さんの個展へ。
わたしは川村さんの展示を二度訪問したことがある。最初はBankartで開催された芸大先端の制作展。これについては「見えない女性たち」という感想を書いた。そのときはヴィトーレ・カルパッチョや小瀬村真美さんのことを引き合いに女性たちの生死の表現が気になったし、川村さんの「声を撮りたい」という言葉に驚いたのだった。

その次は、LIXILでの個展だった。このときは、平日の昼ということもあり、あまり人がいないことをいいことに「女性の目と自分の目を合わせてみるとどうなるかな・・・」ってあのスクリーンに接近したら、その女性からずっと見つめられているというドキドキ感があった。時間を越えてわたしとその女性が見つめ合っているということになろうか。川村さんが被写体にカメラを見つめてくださいと指示していることがよくわかる撮影なんだと実感している。
ということで、今回は3回目の訪問になる。

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感想(2) ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

東京五美術大学連合卒業・修了制作展に出品されていた百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》の上映が終わりました。武蔵野美術大学のブースで、しかもテレビとヘッドホンによる上映という、作家にとっては「好ましくない環境」でした。

それゆえ、出演者としてもあまり積極的にPRはしなかったのですが、ヘッドホンがある、ないだけで全く違うように見えてしまうことであったり、あるいはヘッドホンがない人にとっては、聞こえない人が映像をみるかのような状況になっているという指摘もありました。また、ヘッドホンをつけてもなお、声を聞くことはできないという指摘もあったように周囲の反応がよく、広報させていただいたという経緯があります。

今日でその上映も終わりましたし、百瀬さんがKABEGIWAのポッドキャストで、ある程度、作品の背景について語っていると聞いていますので、ここでも少し3点、応答しておきたいと思います。ネタバレにならないように書いておきます。

(なお、まだ見ていない人は読まない方がいいでしょう)

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大乗寺の儚さ

愛知県立美術館にて「円山応挙展―江戸時代絵画 真の実力者―」が始まりました(2013年3月1日―4月14日)。

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明治の新聞記者・金子静枝

「京都新聞」2013年2月22日付、明治の京都で活躍した新聞記者・作家の金子静枝について寄稿しました。もとはといえば、去年の表象文化論学会において発表したものが京都新聞の方の目に留りました。
以下よりダウンロードすることができます。
https://tmtkknst.com/LL/wp-content/uploads/2013/02/kaneko20130222.jpg

この掲載日はわたしの誕生日でもあります。そして、この記事の〆切が18日で、金子の命日でした。金子の命日に仕上げられた記事が、わたしの誕生日に載る・・・。何かの因縁でしょうか?

どうぞよろしくお願い致します。

2013年 2月 28日(木) 17時18分52秒
癸巳の年 如月 二十八日 乙丑の日
酉の刻 一つ

エル・グレコ

elgreco
keyword:エル・グレコ展/ギリシア/クレタ/ウィトルウィウス/ヴァザーリ

2013年 2月 27日(水) 00時13分03秒
癸巳の年 如月 二十七日 甲子の日
子の刻 三つ

VHSの摩擦

河合政之さんのヴィデオ・インスタレーション。
パソコンなど準備されたイメージは使わず、VHSというアナログなものを使って、映像を映し出すという。ザァァァという音がするかもしれない、わたしのようにアンテナを使ってアナログテレビを見ていた世代として最後のほうにあたる人からみると、これはテレビのあの歪んだ像ではなくて、VHSと再生装置のあいだで人為的なスパークを起こさせたときの電子的な歪みなんだろうと思う。言葉が出てこなかったりするときがあるだろう?そんなときのなんともいえない、言葉へのしにくさのようなこと。一度河合さんのパフォーマンスをみてみようと思う。

2013年 2月 21日(木) 19時12分17秒
癸巳の年 如月 二十一日 戊午の日
戌の刻 一つ

写真と風景のあいだ

20130218

keyword:鈴木理策/ギャラリー小柳/アトリエのセザンヌ

加藤由美子「黄金金閣 — 炎上から再建へ」

前のポスト「新聞の挿絵にみる、明治の金閣」と関連しますが、鈴木博之編『復元思想の社会史』のうち、加藤由美子(1972 -)「黄金金閣 — 炎上から再建へ」(148-157頁)の部分を読みました。

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これは、金閣が昭和25年(1950)7月2日未明に炎上する前後の背景と復元されたときの動きを俯瞰した論考です。

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新聞の挿絵にみる、明治の金閣

明治の『京都日報』にあった連載小説より、金閣での捕り物の挿絵があった。
これは金閣をバックにしていて、主人公が屋根から飛び降りていると考えられるところ。ちなみに金閣は1950年に焼失し、1955年に再建しているのでこのイラストは焼失前ということになる。 Continue Reading →

服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(2012)

服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』(山川出版社、2012)を読了しました。

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史料に史料をたたみかけるような史料批判は煩雑になりやすいところですが、「ここにはこう書いてあり、これにはそうあり、このように読みとれる・・・」と平易であろうと務めようとする気持ちが感じられました。
目次はこちらをみてください。以下、気になったところをメモとしてまとめておきます。

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ニンテンドー64にイジェクターが無い理由

任天堂が販売していたゲーム機「ニンテンドー64」にはイジェクターと呼ばれる、カセットを抜くためのスイッチが無い。ファミコンとスーパーファミコンには採用されているが、ニンテンドー64には無いのである。これは説明書も含め、ニンテンドー64に関する書籍には情報が含まれていない(管見のかぎり)。
そこで、わたしは任天堂の問い合わせ窓口まで尋ねたことがある。そこで得られた回答は以下のようになる(原文のまま)。

—-
ゲーム機本体の機構は、その必要性やデザイン、コストなどさまざまな要素を考慮して決定いたします。

最終的に、ニンテンドー64では、イジェクトスイッチを採用いたしませんでしたが、さまざまな要素を勘案して決定しておりますので、具体的な理由はお答えいたしかねます。

ご期待に添えず申し訳ございませんが、何卒よろしくお願い申しあげます。
—-

理由は教えられないという。イジェクターそのものはシンプルな装置で、とくに難しい技術が必要とは思えない。本体の流線の効いたデザイン、基板の位置、イジェクターの配置のデザインがうまくマッチングしなかったかもしれないし、生産上の問題もあったのかもしれない。さてどうなのだろう?ニンテンドー64が何周年かを迎えたときには明らかにしてもらいたい。

2013年 2月 04日(月) 20時37分38秒
癸巳の年 如月 四日 辛丑の日
戌の刻 四つ

中原中也 最後の詩

中原中也が生前最後によんだ詩。

この写真は、山口市の中原中也記念館にて。
なぜかふっと思い出した。

光を消す – ゲルハルト・リヒターのストライプ

20130126keyword:ゲルハルト・リヒター/Gerhard Richter/ワコウ・ワークス・オブ・アート/WAKO WORKS OF ART/Strip/”New Strip Paintings and 8 Glass Panels”

2013年 1月 26日(土) 23時35分37秒
癸巳の年 睦月 二十六日 壬辰の日
子の刻 二つ

感想 ― 百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》

平成24年度 武蔵野美術大学 卒業・修了制作展において、百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》をみた。

わたしは、この作品で「木下さん」と呼ばれる出演者だ。

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百瀬文《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》について

武蔵野美術大学大学院の院生、百瀬文さんが修士制作として、わたしとの対談を映像作品として制作されました。
優秀賞にきまったとのことで、おめでとうございます。後日再上映もあるそうですが、今回はじめての上映ということでご案内致します。
撮影後の編集については、一切何も知りませんし、まだわたしはこの作品を見ていません。スクリーンに映し出された過去の自分とその内容についてどのような感情を抱くのかをいま、想像しています。

どうぞよろしくお願い致します。

以下、引用。
——————————

皆様、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

このたび、平成24年度武蔵野美術大学卒業・修了制作展にて新作の映像作品を上映いたします。
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立命館での講演風景

lecture201301

生存学センターより頂いた写真。創思館の401、402のレクチャールームなるところ。
スライドの前にいるのがわたしで、その向かいには手話通訳者が着席するという仕組みで進めました。
じつは作業がたてこんでいて、徹夜明けだったりする・・・。
それはともかく、この報告の内容については、こちらを参照してください。

2013年 1月 15日(火) 22時45分20秒
癸巳の年 睦月 十五日 辛巳の日
亥の刻 四つ

 

 

立命館大学先端総合学術研究科での講演について

1、はじめに
立命館大学にて講演をしてきました。テーマは「明治10年代の京都盲唖院の発展と縮小に関する諸様相」でした。
ねらいは、京都盲唖院に関するトピックをしぼって話をしてほしいということで、京都ということもありますし、現地の方ならば誰もが知る事項についてお話ししようと考えていました。そこで取り上げたのは、

1、明治13年7月に明治天皇が京都盲唖院の授業を天覧したことについて
2、琵琶湖疏水の計画によって、京都盲唖院の経営が厳しくなったことについて

でした。また、参加される方々は院生が中心と思われるため、研究の手法についても知りたいという希望があり、それについても内容を盛り込むようにしました。

ここではどのように準備をし、どのように発表をしたのか、またディスカッションではどのような話題があったのかについて記録しておきたいと思います。

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突然出てきた女

帰省中、家族で夕食を食べたときに母から聞いた話。

母が小学生のころ、父(わたしから見れば母方の祖父、故人)の実家に帰省したときの話で、場所は大分の宇佐。
たまたま母が家を出て外にいたとき、隣家から30歳と思わしき女性が出てきて、いきなり「あーあー」と言ったという。言葉を話すことができないことが明らかで「どうしたんだろう」と怪訝そうにしていると、父が「あの人は耳が聞こえないんだ」と教えてくれたという。その人は教育を受けた経験もなく、ただ家にいるだけだったという。それっきりその女の人には会っていないとのこと。
これは、母が初めて聾者という存在を知ったという話で、どうして今まで話してくれなかったのかなあと思っていたけれども、ふっと思い出したという。

これは母に限らず、京都盲唖院関係の調査をしているときにときどき聞く話ではだけれども、母がそういう聾者をみたというのは知らなかったな。
わたしはこの会ったこともない女の人やその家に行ってみたくなった。学校に行かせなかったのだろうか。

・・・・・・・

もし、わたしが明治に聾者として生まれていたら。
あの女性のように「あーあー」と言いながら、ほとんど無意味に近い人生を送るのだろうか。それとも京都盲唖院か東京盲唖学校に通学しただろうか。これは、どんな家に生まれるか、あるいは何らかの出会いによるものだろうか。

まあ、そんなことを考えること自体とりたてて意味のあることではないが、日本語をこうして読み書きしていること自体が不思議なことに感じられるような、そんな話だった。

2013年 1月 06日(日) 23時09分00秒
癸巳の年 睦月 六日 壬申の日
子の刻 一つ

絵の見せ方 — ある家の方法

道を歩いていたら、こんな家をみかけた。立派な構えで、戦前の建築のようにもみえる。庭の木が剪定されていることや郵便受けの具合からして、人が住んでいる気配がする。この家の前をとおったとき、玄関先に目をひくものがあった。黄色いものだ。

Th DSC 5523

一見してすぐわかるけれど、正月を意識した油彩画だった(注連縄が飾っていなかったけど)。この絵は二枚あり、バックが同じ黄色なのでペアで制作されたものであろうか。
たしかにこの玄関先に華を添えている。 Continue Reading →

遠近法の静かな崩壊 — ポール・デルヴォー

下関市立美術館にてデルヴォー展をみる。府中市美術館では「夢にデルヴォー」と「夢に出るぞー」と語呂合わせしたコピーが使われていたけれど、下関ではそのようなものが使われず。どうも地域によって広告のやり方が違うようだ。東京だとあまりにもオーバーフローしているためか、奇を衒うようなやり方がマッチングしているのだろうか。それはさておき、府中市美術館で見逃していた展覧会を下関でみたというわけだ。

デルヴォーについての思い出がある。それはだいぶ前、横浜でのことだった。
みなとみらいにある横浜美術館の常設展示にデルヴォーの絵画がよく展示されている。それで、ある日、シャンパンを飲み過ぎて、少し頼りない足取りで横浜美術館を訪問したことがあり、デルヴォーの絵の前にたったことがある。 Continue Reading →

2013年の始まり — お雑煮

母からお雑煮の作り方を伝授された。作るのをお手伝いする機会はこれまでもあったけれども、一から作る方法を教わったのは初めて。

母は言った。

「これから何があるかわからないからね。」

確かに。いつの日か、わたしの両親は鬼籍に入る。もちろんそれはわたしだって同じことだけれど。そういうとき、わたしが困らないようにというつもりなのだろう。
母の言葉に感謝しつつも、我が家の台所でそのやりとりをしたとき、一瞬が永遠に、永遠が一瞬に感じられた。

正確には、母の実家のお雑煮の作り方で、そんなに難しくないレシピだったけれども、わたしがこれを一人で作ることはあるのだろうか?
そんなふうに2013年は始まった。

2013年 1月 02日(水) 00時16分20秒
癸巳の年 睦月 二日 戊辰の日
子の刻 三つ

2012年

2012年も終わりに。この一年を振り返るなら、『金色夜叉』での一文につきるかもしれない。

「とかつは驚き、かつは憤り、はたと睨(ね)めて動かざる眼(まなこ)には見る見る涙を湛(たた)へて、唯一攫(ひとつかみ)にもせまほしく肉の躍(をど)るを推怺(おしこら)へつつ、窃(ひそか)に歯咬(はがみ)をなしたり。可懐(なつか)しさと可恐(おそろ)しさと可耻(はづか)しさとを取集めたる宮が胸の内は何に喩(たと)へんやうも無く、あはれ、人目だにあらずば抱付(いだきつ)きても思ふままに苛(さいな)まれんをと、心のみは憧(あこが)れながら身を如何(いかに)とも為難(しがた)ければ、せめてこの誠は通ぜよかしと、見る目に思を籠(こ)むるより外はあらず。」

2012年 12月 31日(月) 23時59分24秒
壬辰の年(閏年) 師走 三十一日 丙寅の日
子の刻 二つ

小さな椅子と文字をなぞること

大掃除を手伝う。

ふと、わたしが子供のときに使っていた椅子があった。かつてはわたしが食べるときに使っていた椅子だけれど、いまは洗濯物を受ける椅子になってしまっている。一種のアフォーダンスといおうか。

座ってみるととても小さい。お尻が納まるかどうかという感じ。もちろんわたしの身体が大きくなったからだけれども、逆にいえば、あのときの小さかったころの自分の身体を想起する。逆行する時間。

夕食のとき、母からおもしろい話をきいた。医学書院から出たインタビューについての話題になったのだけど、そのときに母が言っていたのは、マンホールの話。

わたしが3歳のころ、母に連れられて道を歩いていると、マンホールの蓋が道路にはまっていて、そこには「ガス」と書いてあった。それをみたわたしは、指で「ガス」とずっとなぞっていたという。他にも看板をみかけるとその文字をなぞろうとしたという。いまもなぞるように文字をよみ、なぞることで書き続けているのだから変わらないのだろう。

あの椅子に座っていた小さな身体と現在の身体のあいだで有変と不変のところが明瞭にみえた瞬間だった。

2012年 12月 30日(日) 23時29分27秒
壬辰の年(閏年) 師走 三十日 乙丑の日
子の刻 一つ

古本への処女航海

わたしが初めて行った古本屋「檸檬」。はじめて行ったのは小学校の6年生ぐらいではなかっただろうか。商店街のなかにあって、通路の左右に店舗があったのだけど、左は倉庫になったので右側だけ使っている。

主人は亡くなられたが、奥様が頑張っておられて、娘夫婦が別店舗で営業をしている。

品揃えは特段珍しいというわけでもないのだけど、しかし・・・わたしはこの古本屋で品定めをすることで、本との付き合いがより深くなっていったのだった。

帰省するたびに顔を出して、奥様と軽く会話をする。奥様がわたしを述懐するとき、こう仰られた。

「子供のときのあなたねえ、とてもつまらなそうな顔でじっと本棚をみつめているものだから、どうしたのかな、大丈夫かなといつも思っていましたよ。」

思わず苦笑してしまう。そんなにつまらなかったのかなあ・・・じつはこのお店で高橋留美子の『うる星やつら』『めぞん一刻』を知ったし、手塚治虫だってあった。新潮文庫や岩波文庫の多様さを知ったのもこのお店なんだし。それに『うる星やつら』の全巻はここでまとめ買いしたんだよ。

「ええー、そうですかねえ。」

と否定するのだった。いろんな本を通り過ぎた現在、ここに戻ってくるとあのときの、小学生のときの自分に出会えそうな気がしてくる。

2012年 12月 30日(日) 00時04分53秒
壬辰の年(閏年) 師走 三十日 乙丑の日
子の刻 三つ

クリスマスに前の彼女から「ばかぁ」と軽く言われた

20121225

keyword:死/海浜/空/夏/入道雲/父母/彼女/友人

2012年 12月 25日(火) 23時51分07秒
壬辰の年(閏年) 師走 二十五日 庚申の日
子の刻 二つ

なぜ、♥なのか ― ハート型の歴史

クリスマスですね。この日はいつもより少し背筋を伸ばしてあるくと気持ちのよい日です。
ところで、クリスマスというと恋愛がイメージされるようになっていますが、そうはいっても恋愛は常に嬉しいことだけではなく、ときには悲しいことも多くあります。それで、好きだよ、という言葉やメールの最後に「♥」の型をつけることがあります。しかし、どうしてハートが「♥」なのでしょうか。

この話をするにあたり、徳井淑子『涙と眼の文化史―中世ヨーロッパの標章と恋愛思想』が取りあげられる一冊でしょう。

アマゾンのサーバでエラーが起こっているかもしれません。一度ページを再読み込みしてみてください。

この本のなかで、徳井さんによる心臓の表現「ハート型」の部分をピックアップしながら、ライブラリーラビリンスから皆さんへのクリスマスプレゼントとしたいと思います。
このお話の結論を先にいえば、心臓がハートの形「♥」をとるようになったのは15世紀のタピスリーや写本にみられることであり、それは中世文学における愛の表現と分ちがたい関係であるということです。

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京都市営バス204をめぐる旅

京都での調査が終わった。
京都府立盲学校で毎日朝から夕方までずっと手を動かして・・・。昼休みは何も考えずにいた。調査をひととおり終えたことで気分転換にピンボールしたかったけれど、ちょっとぐったりしているので行かず。

わたしが通っていた京都府立盲学校は千本北大路の交差点近くにあって、わたしは204のバスを利用している。一番の理由は便利だからだけど、前からこのバスのルートが好きで、同時になんともいえないセンチメンタルな気持ちになる。この204のルートは以下のようになっている。map

wikipediaより引用

ごらんのように204は中心にある京都御所をぐるりと囲むようなルートといえばいいだろう。時計回り、反時計回りの両方が存在する。本数も多く、観光向きといえるかもしれない。

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気になるあの子

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フランス国立図書館のfacebookで知ったこの画像。ロスチャイルド家のジェームズ・デ・ロスチャイルドとその妻ベティの娘シャルロットだという。アリ・シェフェール(1795 – 1858)によって1842年に描かれた一枚で現在はプライベート・コレクション。
髪型といい、この子は・・・。 Continue Reading →

明治村訪問記

今日は愛知県犬山市にある明治村へ。

明治村は、建築家・谷口吉郎と名古屋鉄道・土川元夫が1961年にスタートさせた事業で、背景には明治文化を維持することにあるという。1965年にオープンし、現在にいたっている。初代館長が谷口だった。
約100万平方メートルに明治時代の建築を中心を展示しており、とくに、1963年に西郷従道の邸宅を移築したのをはじめとし、近代建築を学ぶものにとっては必ず訪れなければいけないところになっている。日曜日に訪問したが、親子、若者、カップルと多様な雰囲気。混雑している様子はまるでない。ゆっくりみてまわることができる。

どの建築も一見の価値があるけれども、絶対に外せないのは帝国ホテルではないか。フランク・ロイド・ライトによる日本唯一の建築。そういうわけで、明治村は近代に関心のある人なら訪れる価値のあるところだ。そこで、明治村についてメモをしておきたい。

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川村清雄の和魂洋才

目黒区美術館の「もうひとつの川村清雄展」にいく。目黒駅から歩いていくのだけど、春に行くと桜がきれいなんだよね。このあたりは。
川村は江戸東京博物館と目黒区美術館で開催というこれ以上考えられないタイミングで回顧展が開催されていた。この二館で開催されたのはたまたまとは思えない、生年160周年だし、そのためなのだろうか。江戸東京では『形見の直垂』(上の画像)が展示されていた。勝海舟の胸像を見つめようとしている女性が勝との微妙な関係を思わせる作品。

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須田悦弘と椿

追記:日記の椿図屏風というのはこのサイトにある写真がそうだ。

2012年 12月 14日(金) 00時17分01秒
壬辰の年(閏年) 師走 十四日 己酉の日
子の刻 三つ

国への殉教

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海老原喜之助「殉教者」(1951、東京国立近代美術館蔵)

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カルロ・クリヴェッリ「聖ガブリエルの霊視」

カルロ・クリヴェッリ「聖ガブリエルの霊視」(部分)(1489頃、ロンドン・ナショナルギャラリー)

まだみたことはない。この絵の右上にマリアと幼いイエスのふたりを金で包み、光を線で表現するという方法がつかわれている。光の表現は大きく分けて線と点があるよね、点の歴史とからめて考えられるところ。日本でいえば截金だったり。 Continue Reading →

通路にものをおかないということ

京都府立盲学校におじゃまさせていただくことはお伝えしたことがあるけれど、まわりを歩いているとこんな看板がある。なんというか、この看板をみることで、ああ盲学校に来たなという感覚が強くなる。わたしの場合、バイアスなのか、はり、きゅう、マッサージときくとすぐ盲人たちのことを思い出してしまう。

IMG 2749

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