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20220109

1月9日。日曜日。曇と晴が混じるはっきりしない天気、食パンを焼く。焼いたものをさらにオーブンで焼いてカリリとしたものを少しだけ砂糖を足したカフェオレに漬けて食べる。表面はしみこんでいるが、奥の方はしみこまずに硬さが残っている。歯でパンを切り裂いた時に伝わってくる硬軟の感覚に、カフェオレがパンの中から出て行こうとする動き。それは、ぐっと何かを握りしめたときの反動とともに出て行こうとするものを口の中で捉えるということだ。それは本を読んでいたり、美術館で作品を見ている、映画を見ている時は、いずれも目の前の現象に集中しているわけだが、何かひとつの考えや視点が定まっていく際にジュッと押しのけられて出て行く思考がある。つまり、ある思考がまとまっていくなかで捨てられていく過程があるのだけど、ほんとうはそこで押しのけられて出ていったものを受けとめる皿というものがあるからだろう。打ち捨てておいてもいいかもしれないが、それがあったということを記録することは意識したい。パンをかみしめて飲み込むまでのあいだにそう考えていた。

20220108

1月8日。土曜日。知人に誘われて都現美で「クリスチャン・マークレー トランスレーティング[翻訳する]」をみる。マークレーの《The Clock》はヨコトリで強く脳裏に残っている。そのときは映像のサンプリングがすごく凝っているなというのが第一印象だったけど今回の展示は違う。端折っていうと「動きから動きに」だった。認知言語学では意味の基盤である「ベース」と、そのなかでその語の意味が示す「プロファイル」がある。たとえば、腕は体をベースとし、肩の付け根から先の部分をプロファイルする。手は腕をベースにし、手首から先の部分をプロファイルするということだ。だから、ベースとプロファイルは互いに不可欠であるとするのが認知言語学の考えとしてある。
けれども、マークレーの作品のなかには、腕が腕そのものをベースにもプロファイルにもしているように知覚してしまうところがある。言いかえると、腕は腕をベースにし、腕の付け根から先の部分をプロファイルする。腕と腕が繋がっているという認識のしかたになってしまう。こうした、ToとFrom。あるイメージ自体が脳裏から立ち去ろうとした瞬間(From)、別のところから同じ種類のものがやってくる(To)。たとえば、《リサイクル工場のためのプロジェクト》ではリサイクル工場でブラウン管のディスプレイを壊してパーツを分けている映像を、プロセスに沿って円を描くように細かく配置している。ぐるっと歩きながら見れば工場での作業が終わることはない。そのうえに、その映像じたいを近い型のディスプレイで見せている。これらを認識したとき、ディスプレイが「ToとFrom」になった瞬間であって、ディスプレイがリサイクル工場でディスプレイを解体するさまを映している、解体されて形を失ったディスプレイをディスプレイが映しているという知覚が続いていく。
ほかにも《ミクスト・レビューズ(ジャパニーズ)》は手話で語る映像で、言語、音、風景、行為などいくつかの表現のレイヤーが複雑に絡みあっている。手話、音があり、風景があり、行為が現れる。豊かなすばらしい表現だが、わたしの目を強くひいたのはこれらの表現がいずれもたったひとりの身体で表現されているということだった。これは、ソースとなるつながりのない短いレビューがミキシングされているからだろうか、物語る身体が「ToとFrom」の双方を兼ねる効果を作り出している(これはおそらく、ナラティブというものが備える自己生成の問題でもあるだろう)。身体が手話を語る、手話が身体を語る。身体が風景をあらわす、風景が身体をあらわす、身体が音を立てる、音が身体を立てる・・・と知覚された。
話はそれるが、展覧会のウェブサイトに掲載されている、マークレーの言葉「矛盾してるようだけど、私は音について、それがどう聞こえるかということだけでなく、どう見えるかということにも興味があるんだ」わたしは以前、『知のスイッチ』に収められている「ひとりのサバイブ」という論考を書いているがそのはじめで国木田独歩の『武蔵野』を取り上げているが、その言語経験に近いものがある。
参考までに《ビデオ・カルテット》には身体障害者の映る映像が3つあるように見受けられたが、その元となるソースは「ピアノ・レッスン」「何がジェーンに起ったか?」「黄金の腕」である。ほかにも、《レコード・プレイヤーズ》は何人かでレコードを叩いたり引っ掻いたりする短い映像だが、レコードの黒い円と人の表情の見えにくさがドイツ表現主義のあの暗さを思う。マークレーを見て知人とお茶をして別れる。その後に久保田成子展と、コレクション展をみたが、その話はまた書いてみたい。帰りの電車のなかで周りは部活帰りの大学生にダウンジャケットを着た人がみえる。大学生の足元にNIKEのエアーマックス95のリメイク。ハイヒールなど硬い靴を履いた人が乗ってくるとその人の足音がわたしの足元に伝わってくる。

20220107

朝、タブレットで新聞を読みながらコーヒーを飲む時間が、一日のエンジンをかける時間になっている。朝光がびたびたに残雪をとかしている。窓から見える外のアパートの屋根にカラスがいて、残った雪を蹴とばしていたのが人間っぽくみえた。作業で必要になったSDカードを部屋の中で無くしてしまい、探すも見当たらない。中身はバックアップしてあるのでデータは大丈夫なのだが、肝心のカードをどこに置いたものか。年末の大掃除のときに間違えてゴミ箱に入れてしまったのだろうか、なんともすっきりしない。懸念の研究計画について時間をかけて検討をする。本文を手直しするか、史料を検討するかを考え、後者を選び、史料を閲覧できるように準備を進める。
『ショア』2枚目をみはじめる。まだ全体の半分にも達していないが、このあたりで風景と関係者の語りが交互にあらわれるのに気づく。風景は、ユダヤ人収容所跡に建つモニュメントや墓という人影がほとんどないものと、駅舎や街中といった人のいるものがある。収容所関係者を盗撮し、インタビューをしているシーンがあるが、ガス室での殺人と、どんどん送られてくる収容者、遺体の処理が間に合わずに建物の横に遺体を積んでいたという回想がおぞましい。その積まれた遺体の山から血などが流れ出て悪臭を放っていたという。これは人類だけでなく、大地をも蔑ろにすることではないだろうか。大地を蔑ろにするというと、写真家ルイス・ボルツの“Candlestick Point”というアルバムも思う。放置されたサンフランシスコの海岸を埋立地にしたところで、廃材やタイヤがゴロゴロしていた風景を撮影した写真だ。夜のカーテンから外を見やる。朝はあった雪は溶けていて、昨日の風景がまぼろしのように思えた。だがまぼろしではない、確かにそれはあった。

20220106

特別快速の電車に乗る。停まる駅よりも停車しない駅の方が多く、ただ風景が流れていく。電車のなかで話をしているふたりの女性がいた。双方ともマスクをして、相手を見ながら頷いている。頷きによって発話が担保されているようにみえる。なぜだろう。『ユリイカ』に書いたぬいぐるみ論でも頷くことによって発話することを書いたな。明るい紫色の手袋をしている女の子が座席に脛をのせて外を見やっているのにつられてわたしも外を見ていた。少し舞っていた米粒ほどの小さな雪があるだけだった。夕方になるとそれは白いスクリーンをあちらこちらに被せていた。
『ショア』をみる。ブルーレイは3枚組で、1枚目を見終えた。収容されて生き残ったユダヤ人たちの語りに、今度はナチス側の人たちが語るシーンが入っている。昨日は通訳が入っている関係で、字幕が語りよりも遅れて出てくることを書いたが、エルサレムやバーゼルにいる当事者やナチス側の人物は語りと字幕が同時に出ている。なぜポーランドにいた人たちだけ遅れて出てくるのだろうか。地理的な距離の表現のためだろうか。この『ショア』にも、アウシュヴィッツの門のシーンで雪がうっすらとあった。そのとき、わたしの目の前を舞っている雪が、1940年代と2022年のあいだにある時間を鮮やかにつなげてしまう。80年前の過去が、つい今日起きたことのように。

20220105

1月5日。夜はひきつづき『ショア』をみている。まだ第一部。監督のクロード・ランズマンがユダヤ人の連行を目撃したポーランド人たちにインタビューをしているシーンがある。ホロコーストだけでなくときおりの雑談も入っている、ホロコーストを語るための潤滑油のように。ポーランド語だろうか、その人が語り、ランズマンの隣にいる人が通訳しているときに字幕が出ている。ランズマンもこのことを語っているようだ。目撃者がそのことを回想している表情と、言語である字幕が交互に表出されている。思い出すことと語ることが切り分けられていて、あの出来事がオーヴァーラップしている。声に重りがつけられたように遅延しているぶん、ゆっくりとホロコーストのことが近づいている。ろう者と手話通訳でいうと、ろう者が手話で語っているときに手話通訳が追いかけ再生するように、その手話を音声に通訳している。ろう者が手話で語る様子と、遅れて手話通訳の声が聞こえてくるようなシーンを思わせた。手話で語るとすぐ声が追いつこうとする、それが手話通訳の仕事であるが、だけど、ろう者が手話で語るところをしっくり見せてもいい。
朝食は食パンにバターかハチミツをのせて食べることがほとんどだが、今日はマーマレード。昨年、三菱一号館美術館で「イスラエル博物館所蔵 印象派・光の系譜」を見たあとにショップに売っていた、オクスフォードのヴィンテージ・マーマレード。瓶にナイフを入れると、つややかな面の岩石が切り出されてくる。発掘現場からオレンジピールが封印された琥珀が発見されたような。5枚切のパンにつけると、朝光を受けた琥珀色が際だちつつも、砂のように崩れていって陽気の春の土を思わせた。パソコンを開く。昨日よりもあちらこちらから連絡が入りはじめ、メールを見ている時間が多くなるのは、そこここで仕事始めを迎えているからだ。途中、いろいろと思い出しては短いメールを入れる。途中、北村陽子『戦争障害者の社会史―20世紀ドイツの経験と福祉国家』を精読しはじめる。今年の仕事のために昨年入手してあった。先行研究へのレビューが丁寧で議論の土壌が丁寧につくられているところがすばらしい。

20220104

1月4日。昨日の夜、風呂あがりに『ショア』の続きを見はじめるが30分もしないうちに瞼が重くなる。第一部の途中で、収容所に閉じ込められたユダヤ人だけでなくその家族も登場しており、ホロコーストが世代を超えて波及していることがすでに示されていた。起床すると白いカーテンを通り抜ける光がほんのりとしていた。年末年始にきていたメールといえば、毎朝配信されるニュースやネットオークションのアラートといった決まった時間の自動的、機械的なものしかなかったが、今日になって昨年末に出してあった電子メールの返信がメールボックスに少しずつ入ってくる。電子メールは不意なものだ、なんの前触れも予感もなくやってくる、遠近感がまったくない。よけいそう感じられるのは昨年、鴻池朋子さんと手紙のやり取りをしたとき、書いて封筒に包むことからポストへの投函、配達員で手から手にわたっていくところを感じていたからだろう。メールの画面に、未読のメールであることを示すボールドがかかっているところがランダムに積み立てられていくところをみると、今年というモーターが回り始めた振動として伝わってくる。このパソコンの画面やLANの向こう側にある手が、キーボードをタイプするときの振動や、メールを送ろうとする肉体の脈動のメロディーが、メールボックスをポップインするとき、この一年が音を立てて稼働していく。

20220103

1月3日。浮かれるような気持ちが衰えて、日常がむっくりゆっくり立ち上がってくる時間が漂っている。昨日の夜からクロード・ランズマンの『ショア』を見始める。ディディ=ユベルマン『イメージ、それでもなお』にて言及されているのが知ったきっかけだが、上映を見逃したり、ソフトが手に入らなかったりで今になってしまった。ホロコーストを生き残ったユダヤ人の証言からはじまる。ほほ笑みながら過去のことを語る当事者に「なぜほほ笑むのですか」と尋ねると「泣きわめいた方がいいのですか?」と返す。笑う、泣くのあいだをよろめくようなシーンで、思わず停止ボタンを押してしまいそうになる。クローズアップも多く、人の口がよく見えるのは、ポストコロナのマスク社会で人の顔が見えなくなったということの返歌にみえる。
ツイッターで山本浩司さんが武井彩佳『歴史修正主義――ヒトラー賛美、ホロコースト否定論から法規制まで』について書評していたのを読む。山本さんは誠実な仕事でいつも注目し、信頼している歴史家だ。本年刊行が予定されている辞書があり、担当している項目についてゲラを何度か読み返して精査する。字数がかなり限定されているので多くを盛り込むことはできず、その項目について研究をしたことがあるので背景や知識があっても、その髄となるものしか残らない。かなり圧搾されたシェープな文章になったと思う。これでいいと思うところまで確認を続けた。溜まってしまった洗濯物を洗い、布団を干す。この季節になると陽光が低く、部屋の奥まで光が射し込んでいて美しい。光が消える頃にはいつもの調査ノートを読み返し、今度の調査について方針を確認する。空が澄んでいる日の夕焼けは橙色が薄く、静かな今夜を予感させた。

20220102

口絵 深沢七郎『楢山節考』昭和32年、中央公論社

新年の二日目、1月2日はいつも何かがゆっくりと始動しようとするときの緩さがある。お雑煮が余っているので昼食にあてて、窓際においている椅子で読書をする。年末に買ったもので、南側から太陽があたる暖かいところ。カーテンのレースを背中に、椅子でいろいろと本を読む。筒井『社会を知るためには』を読了。社会とはわからないものであるということから社会理論を紹介していくプロセスがおもしろい。ギデンズの社会理論は「行為と社会の関係は「緩い」」ことを捉えているという。続いて深沢七郎『楢山節考』を読了。最後に「つんぼゆすりの歌」がある、深沢が「「ろっこん〔六根〕」と云うたびに肩をゆする」のにあわせて声をあげてうたってみる。口絵にギターを手にする深沢。奥にみえる女性の背中と作中の歌が入り混じっていく。おやつにきな粉餅にコーヒー。餅の柔らかさと甘さ、きな粉の甘さと粉っぽさ、コーヒーのビターさ。白と黄金と焦げ茶がわたしの中ですれ違う。この出会いを舌でひっさげながら、YouTubeをタップすると藤井風がライブで歌っていた。口の動きと手がカメラを向いてキーボードを弾き語る藤井、ことばとメロディーがひとつになっている。重めの髪型、袖がゴムになっていないゆったりめのジャージ。一曲を終えると寝転んだままひとり語りする藤井。新年の二日目という緩さがあった。

2022年はじまり、はじまり

これまでツイッターでは日報としてひとつのツイートだけで完結させていたけれど、今年からはこちらに戻ろうと思う。理由はこちらの空間が懐かしくなったからだ。

2022年の元旦、目覚めるとカーテンからの陽光がまぶしい。カーテンの襞が上下のラインを生んでいるのと、立てかけてあったテーブルの短い足が斜めに交差し、シルバーに輝く足に光が反射しているのに見とれながら起床する。

先日から準備していたオードブルを並べていたが、なんだか色が足りない。黄色だ。卵焼きを焼こうと思い立つ。卵焼きはふたつのレシピしか知らないのだけど、そのひとつが母直伝の、やや多めの砂糖と少しの塩に水だけで仕上げるものだ。普段はつくらないが今日は母のレシピで卵焼きを焼いたのをオードブルに載せて正月が始まった。お雑煮もいつものように、どんこ、水菜、鰤、お餅、かまぼこ。家族と会話をしながら新年の話題。今年も元気でありますように。

あまりにも天気がいいので、オードブルもそこそこにピーコートをまとって近所の公園に出かける。家族連れでにぎわっていたが正月らしく凧を揚げようとしていた家族がちらほらいる。多くは中途半端に凧が落ちてしまうのだけど、ひとつだけ木々をはるかに超えて高くなっているものがあった。それを見ながら日光を浴びる。

部屋に戻り、新聞を読む。元旦は書店からの広告も大きく載っているので新年早々モチベーションがあがる。ほか、iPhoneを開いて前から気になっていたAnker Nebula Vega Portableの仕様を確かめる。天井に投影できるプロジェクターが欲しいからだが、自室は梁が大きく出っ張っている天井であるのと、照明器具の位置関係でうまく投影できそうなスペースがないので諦める。積ん読になっている筒井淳也『社会を知るためには』などを読む。

もち米を蒸してお餅にする。ふにふにしていて美味しそうなのを、きな粉餅にしたのを食べながら書いている。
今年はどんな一年になるだろうか。

2022年 1月 01日(土) 22時13分55秒
壬寅の年 睦月 一日 甲寅の日
亥の刻 三つ

身体を光で切り刻む — 宇佐美圭司の芸術

7月2日、雨の日。東京大学駒場博物館の「宇佐美圭司 よみがえる画家」を訪問する。

わたしは東大の史料編纂所や明治新聞雑誌文庫でリサーチをして昼食を食べるときに食堂を利用することがときどきあった。そこに宇佐美の《きずな》が置かれていた。一見したところ、絵画というよりは一種のダイアグラムのようにみえた。それは、わたしが建築学を専攻していてダイアグラムを多く見ているのと、片隅にシルエットの説明がつけられていたからだろう。けれども、食堂は人通りも慌ただしく、あまりゆっくり見ている時間はあまりなかった。そうしているうちに、それは撤去された。撤去されてしまわなければ、こうした今回の企画もまた無かったにちがいない。このことはこの厚い雲のようにわたしの気持ちを曇らせている。

駒場博物館に入ると、宇佐美展のポスターが置かれていたので1部いただく。失われた《きずな》の再現画像がメインビジュアルなので、できればいただいた方が良い。初期から晩年までを厳選し、構成された展示をみていくと、身体障害について考えるときに示唆深いものがある(わたし自身の視点がそれに依っているという点も自覚しているが)。
なぜなら、「身体障害」はその人の身体に在るのではなくて、大衆の認識、メディアといってもよいだろう、その中で形成されている身体だからだ。障害学では「社会モデル」という身体障害の捉え方があるが、それに近い考え方だ。

宇佐美の芸術を通してみることで、それがよくわかるように思う。補助線として、ふたつの視点を提示してみたい。ひとつは、プリベンション(予防装置)ということばを使っていることだ。それと、身体をなぞる輪郭線を使ってマスキングしたことだ。プリベンションについて、宇佐美は「芸術家の消滅」でこう書いている。

「プリベンション(予防装置)の概念を、障害物であると同時に、それと相反する、導入するとか、誘導するとかの意味を持った、克服されるよう計画された障害装置、という両義性において使用したいと思う」

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ある女性と自由

昨今の黒人や女性の人権、香港における言論の自由といったことについて、思い出したことがある。

日中戦争で戦死したひとたちのなかに、原田愛という人がいる。
「愛」は「めぐむ」とよむ。最終階級は中佐だから高位である。鳥取県出身で戦死後に市民葬が営まれた。原田は陸軍士官学校を出て、少しの間だけ代用教員をした以外は、生粋の軍人であった。原田には遺児が3人おり、長女を久美子といった。

やがて戦争は終わった。父はもういない。

久美子は故郷・県立鳥取図書館に勤務した。そのかたわら『因伯民乱太平記』の翻刻をまとめている。あとがきによれば、鳥取藩に打撃をあたえた一揆についての史料が知られないままでいることを惜しんだようだ。そうして、原文を忠実に翻刻しつつ、補足を上に添えるという丁寧な仕事をされている。そのあと、1953年に京都に転任し、京都府会図書室、のちには京都府立総合史料館に勤務している。
3年後、久美子は1956年には京都府の自由民権運動を大きく推進した天橋義塾の存在を知ることになる。これに関連する業績として『京都府議会歴代議員録』の編纂、天橋義塾をはじめとする京都の自由民権運動の研究を立て続けに出し、知られる存在となった。

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重力をつきぬける — 齋藤陽道『感動、』

齋藤陽道『感動、』(2019)より

フョードロフにとって重力とは原罪に似ていて、人類を下方へ、大地へ、横臥状態へ、最終的には死へと縛り付けるものであり、重力の克服とはとりもなおさず死の克服を意味していました。(本田晃子)
『人間の条件』における「墓碑」より

写真集をめくることをなんと表現するだろうか。読む、見る、ながめる・・・。齋藤陽道『感動、』(2019)は「突き抜ける」ではないか。そんな写真集だ。それはおりにふれて齋藤の写真を見てきたが、明確に言葉にしていなかったことを自省する時でもあった。

基本的な構成は前作『感動』(2011)と同じで、横長に写真を配置しているが、前作がソフトカバーだったのに対し、シルバーのかかったハードカバーで「感動、」の黒い字が箔押しされており、重量感のある仕上がりになっている。

ところで、わたしには『感動』と『感動、』はまったく異なって見えた。まず、見開きの色のバランスといった構成が深化しているというのもあるが、それよりもあちこちに散らばっていく生に対するシャッターとしての写真と呼応するかのように、レンズが、カメラが、透明度を高めていた。そう思えるのは、水のなかを撮っているように思われても、浮遊しているかのような写真やそこには空気があるのか、ないのか。重力があるのか分からなくなるような瞬間があった。
本来ならば、写真とわたしの間には、世界をあるきまわる齋藤の身体、彼の身体を支える足、視覚、聴覚、カメラを支える手、シャッターを押さんとする指、食べ物をほおばる口、咀嚼する胃、現像、プリント、印刷といった多くの身体と所作と機械が関わりあっているはずだ。なのに、わたしは齋藤の身体を突き抜けて、写真、いや重力すらも突き抜けて、その生に至っているように思えた。 Continue Reading →

わたしの2010年代

本棚とルイ・ブライユの胸像写真

 

2019年の年末。今年は2010年代を総括した一年であるといえるだろう。

2010年に提出した博士論文が受理され、博士号を取得した。あれから9年が経過したが、2010年代は取得以降の方針を定め、理論と方法を準備する期間であったといえるだろう。最近のアカデミーではよくいわれることであるが、取得することのみならず、「取得したあとの姿勢」も問われている。ちょうど、この2010年の3月は東京大学において博士号が取り消されるという残念な出来事があった。
これは、博士号の取得において、内容のみならず、取得以降の見通しもふくめた評価も必要とするものだったのではないか。それは追い込まれても展開できるしなやかさを備えた問題意識、倫理観、くわえて謙虚な研究姿勢といったこともふくめて提出された博士論文を評価しなければならない時代を告げるものであったように思われる。 Continue Reading →

平成の思い出 ー 恋と嘲笑

今日で元号としての平成が終わる。
わたしにとって、ひとつの元号を生きるというのは初めてのことだ。

けれども、昭和が終わったときのあのどんよりした雰囲気を子供心に刻んでいる経験があるためか、あまり歓喜しているような気持ちではない。何より災害の多い時代だった。平成において思い出は山のようにあって、思い出そうとすれば、箱から無数の思い出たちが飛び出して溢れかえってしまうようで収拾がつかないというのが正直なところだ。

そんな中、ひとつだけ思い出を記すなら「恋と嘲笑」である。

話は高校3年生の時に遡る。進学を控えていてクラスは緊張感のある日々だったのだけれども、クラスにはひとり、好きな子がいた。ロングヘアの活発な子で笑うと唇のかたちがスマートで綺麗だった。その唇が好きだった。

同じクラスになるまでは存在を知らなかったので、おそらく春になってすぐに好きになったんだと思う。けれども話をする機会はまったくなく、そうこうしているうちに、秋学期が始まった。秋学期になると、もう受験モードで部活も引退しているので、みんな家に帰るのが早かった。 Continue Reading →

少し開いた戸の向こう側 — 志村信裕《Nostalgia, Amnesia》(2019)

国立新美術館で配布された、21st DOMANI・明日展の配置図・出品リストを見て、志村信裕の展示場所を確かめると、こう書いてあった。

Nostalgia, Amnesia
2019
シングルチャンネル・ビデオ、サウンド、約40分

「約」という数字がもつ意味は、この作品が公開にあたりギリギリまで作られていたことを示しているのかなと思った。出品リストにおける映像の表示で「約」というのは見たことはなかったからだ。

以前、わたしは志村の《見島牛》を森美術館で見たときのことも書いた。あれから数年が過ぎた。そんなことを考えながら、展示を見て歩く。

ところで、あなたは夏目漱石の短編『永日小品』を読んだことがあるだろうか。これは漱石の思い出や日常が連作になっていて、漱石独特の質量の軽重のコントラストがよく表現されている。このなかの「行列」という章がすばらしい。これは漱石のいる書斎の戸が開いていて、そこから光や子供達が歩いていくのが見えるという、漱石の日常を切り取ったシーンだ。冒頭だけ読んでみよう。

広い廊下が二尺ばかり見える。廊下の尽きる所は唐めいた手摺に遮ぎられて、上には硝子戸が立て切ってある。青い空から、まともに落ちて来る日が、軒端を斜に、硝子を通して、縁側の手前だけを明るく色づけて、書斎の戸口までぱっと暖かに射した。しばらく日の照る所を見つめていると、眼の底に陽炎が湧いたように、春の思いが饒(ゆたか)になる。

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ブルー・カーペットと六畳間

新年、あけましておめでとうございます。今年もライブラリー・ラビリンスをよろしくお願いします。
 
年末年始、ちょっとしたことでかつて住んでいた家に行く機会があった。いまは空家になっている。ブルーのカーペットが印象的なリビング。奥の部屋は6畳で、わたしの部屋だった。
 
 
障子を閉めると、しっとりとした光がはいってくる。
そう、わたしは高校までをここで過ごしたのだった。
6畳の部屋に座り込んで寝転ぶと、しっくりくるところから、わたしの空間感覚はいまも6畳が基本になっているようだ。寝転ぶと、思い出が蘇ってくる。場と記憶の相関ということが古代ギリシャの記憶術でいわれていることをあらためて思い起こす。ここで思いっきり遊んだし、たくさんの宿題をやった。
 
ブルー・カーペット。これを海に見立てて泳いでみたり・・・。
 
思い出しかけたときに我にかえり、すぐに起き上がる。みずからの時間を懐古するのはまだ早いことに気づいたのだった。

紙をかき分ける — 村上友晴展「ひかり、降りそそぐ」

村上友晴展「ひかり、降りそそぐ」を見る。

これは絵画というよりは、一人の織りかさなる祈りのように思えた。

村上の祈りのあいだを歩きながら、わたしは点字のことを思い出していた。点字は、裏側から書く言語である。点字板に紙を挟み、針に似た形状の点筆を使って裏側から紙を向こう側に突き出しているからだ。紙を圧延するものである。紙の表面を凸のパターンにすることで、文字を触覚で読めるようにしている。その意味で点字は厚めの紙を必要としている。 Continue Reading →

風景の分解不可能性 — 「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」

「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」にて

 

ワタリウム美術館にて「Hyper Landscape 超えてゆく風景展」をみた。

この展覧会は梅ラボとTAKU OBATAの二人展となっているが、4階にあるTAKU OBATAの映像作品がおもしろい。ストライプに彫られた木のキューブが落ちていく瞬間をハイスピードで撮影している映像。落ちるキューブを撮影するアングルを変えて組み合わせているため、「横に落ちる」「上に落ちる」「奥に落ちる」といった加速度の表現が同時発生的に可能になっている。そうであるなら、電車が並行している状況や何かが飛んでいる状況とみなすこともできるし、台風で倒れそうなほどに揺れる木の枝のことも想起されよう。そうするともはや木のキューブは木ではなくなってしまう。今でも変わらないが、わたしたちは木に霊魂があることを強く信じている。それは別の意味では、擬人法ならぬ、木の擬物法であって木に加速度を加えることによって、物質性を託すことができる。

梅沢和木の「windows0」という立体作品はパソコンのディスプレイをもとにしている。これは前にも展示されたのを見たことがあったけど、ここで見るとワタリウムの展示空間そのものを凝縮した作品に見えるところがおもしろい。それとヒエロニムス・ボスの絵画のようなキリスト教の世界に基づきながらも得体の知れないものたちがいるが、あのようなわたしたちの感覚では感知できない存在への慈しみを梅ラボの作品から感じる。この作品は撮影禁止だったけど、作家本人が紹介しているものはこちら。これを作った当時、梅ラボは高校一年とのことでパソコンを買ってゲームなどいろいろとやっていたそうだ。 Continue Reading →

背中の思い出 あるいは、思い出の背中 — 村瀬恭子

村瀬恭子《In The Morning》
(1998、村瀬恭子展にて(ギャラリーαM))

 

ときおり射抜かれるような展覧会に出会うことがある。それはしばしば展示室に入った瞬間に決定される。ギャラリーαMにて「絵と、  vol.3 村瀬恭子」はそんな時間だった。

村瀬はグラファイト、色鉛筆、油彩をミックスしながら描いている。それらはざらっとした感触のコットン・キャンバスもしくは紙のうえで表現しているが、薄く伸ばしていて、じわじわとお互い侵食しているような描き方は琳派の人たちを思わせるところがある。
また、これらのメディウムの使い分けによって、奥行きや描かれていないはずの色が描かれている。わたしたちが子供の頃から持っている様々な空想の物語のイメージを仮託する容器たりえている。

何よりも語らなければならないのはこの絵だろう。

《In The Morning》(1998)だ。 Continue Reading →

筒井茅乃とヘレン・ケラー

今日は8月9日。
アメリカのボストンにあるパーキンス盲学校のアーカイヴスにはヘレン・ケラー宛への手紙が多数デジタル化されているのですが、その中にこんな手紙がある。
まさに、今日読むべきものだ。

————–
ヘレン、ケラー先生 Continue Reading →

長谷川利行と東京市養育院

長谷川は人生の最後で倒れ、行病人として東京市養育院に入院した。
胃がんだったという。養育院から矢野文夫に手紙を出し、矢野はすぐに駆けつける。
以下、矢野がまとめた『長谷川利行全文集』の書翰の部分に収録されている回想。

偶発の組成 — 地主麻衣子「欲望の音」

Art Center Ongoing「53丁目のシルバーファクトリー」にて

HAGIWARA PROJECTSにて「欲望の音」スクリーニングを見る。上映が終わった時に思ったのは、ようやく地主麻衣子の作品に浸かったような気がする、言い換えると地主の作品がようやく身体に沈殿していくことが感じられるということだった。わたしが地主の作品を初めて見たのは黄金町バザール2014だと記憶している。

さて、「欲望の音」とはなんだろうか。作家本人が一部をVimeoにアップロードしているものはこちら。 Continue Reading →

思い出の触覚 − 椋本真理子「in the park」

国分寺のswitchpointへ。

椋本真理子の作品には、ニュートラル、非場所性、人工、といった言葉を思い浮かべるだろう。わたしもその一人だけれど、わたしが考えるのは水である。まず、水は椋本の彫刻において登場する回数が多い。また、椋本の作品の中で《private pool》という作品に一番感銘を受けているからというのもあろう。プールの表面を象ったような作品でいて、彫刻としてのプールサイドは存在しておらず、水そのものが現前している。

なぜ、水なのか。ロレンス『黙示録論』では、古代人の意識として、触れるものはテオスであるとしている。引用しよう。

「今日の吾々には、あの古代ギリシャ人たちが神、すなわちテオスという言葉によって何を意味していたか、ほとんど測り知ることは出来ない。万物ことごとくがテオスであった。(・・・)ある瞬間、なにかがこころを打ってきたとする、そうすればそれが何でも神となるのだ。もしそれが湖沼の水であるとき、その湛々たる湖沼が深くこころを打ってこよう、そうしたらそれが神となるのだ。」 Continue Reading →

蟹を埋める

2018年3月16日。夜に買ったアサリを砂出しをするべく、塩水に浸す。

2018年3月17日。朝、アサリの砂が出ていることを確認し、洗ってパックにつめると網の中に丸いものが引っかかっていた。

白く、半透明の蟹だった。

わたしはそれを手に取るとモゴモゴと弱々しく動いた。とりあえず生魚の切れ端を与えたけれども食べようとしない。 Continue Reading →